第二十一話 引きこもりと大人になれない奴ら

  壺の中で揺らされること数分。百目鬼さんもしゃがれ声のおっさん(おそらく百目鬼さんの父)も一言も会話をしなかった。百目鬼さんはそもそも話さないんだけど......

  二人が無言のまま階段を登ったり降ったりしているのがわかる。どれだけ広いんだこの屋敷は。

 さておき、数分後。


「失礼します」


 しゃがれた声がしてから襖が開けられる音が聞こえた。数歩進んでから、俺が入った壺がドカリと床に置かれるのを感じる。


 『話し合い』の場に到着したということだろう。


「……その壺は?」


 するどい女性の声がする。もっともな疑問だろう。

 ……というかなんだか聞いたことのある声だな。


 ともかく、冷たく張り詰めたその声に、なにか好意のようなものを感じられる隙はない。厳格で冷徹、感情の起伏は徹底して殺しているような声だった。

 

「これは……はなれに置いてあったのを倅が大層気に入りまして、是非お譲りいただけないかと……」

「……壺を買ってもらうためにあなた方を屋敷にお招きしたわけではありませんが?」


 ごもっとも! ごもっともだよ! 縁談だっていうのに急に壺を担いで来られたらびっくりだよね!


「その通りです……」


 おっさん!! テレビであんな強面のおっさん!!! あっさり退くなよ!!!


「……まあよいでしょう。時間を無駄にするわけにはいきません。話し合いを始めましょう」


 冷たい声で、百目鬼さんの反対側から女性が言った。


(もしここが縁談の場だとしたら、おそらくお姉さんも同じ部屋にいるはず……)


 俺は壺の中で思案した。

 仮に事態が俺の想像通りで、お姉さんが望まれない縁談を強制されていたのなら、俺はそれを止めるべきなのだろうか。

 この裏にスノヤと百目鬼セメントの両企業が絡んでいるのだとしたら、もはやお姉さんの情緒や俺の感情一つで水を差していい問題ではないだろう。

 家のしがらみに捕らわれたお姫様を、『その結婚、待ったァ!』と言って止めるのはいかにも白馬の王子様で格好いいが、しかしもはや現実に目をつむれるほど俺も『子供』ではない。しかも今は白馬の王子様どころか黒衣のエセ忍者だし……

 世の中には大人の都合がある。誰か一人の上に成り立つ大勢の幸福というものがあるのだ。大学でも学んだ。ベンサムの功利主義、最大多数の最大幸福。お姉さんが犠牲になっても、それ以上に助かる人がいるのなら……

 だったら……


(黙って壺に収まって、あとで黙って屋敷を出よう……)


 俺は心を決めて、壺の中で耳を澄ませることにした。



「……それよりも、香波さんが帰ってきて本当によかった。心配しましたぞ?」

「……」

「香波ッ!」

「……ご迷惑をおかけして申し訳ございません」


(……お姉さんだ!)


 声を聴けばすぐにわかる。百年ぶりに再会した気分だった。

 しかしやはりというか、沈んだ声だ。大変不服そうだが、『ご迷惑をおかけして申し訳ございません』は俺に言ってほしい。マジで。


「屋敷を抜け出してどこへ行っていたのか……責任というものを考えなさい! あなたはまだ子供ですからわからないでしょうけれど、世の中には――」

「ま、まあまあ……香波さんにも事情があるのでし――」

「あなたはお黙りなさいッ!」

「はい」


 おっさん……


「いいですか、何度も言いますようにスノヤの経営は貴女の父親抜きではなりたたないのです。貴女の父親が死んだ今、鎌倉時代から続いた一族経営を続けるには遠い親戚にあたる百目鬼様を婿養子に迎えるしかありません。理解していますか?」

「……」

「返事をなさい!」

「…………わかってます」


(父親が死んだ!?)


 俺は驚愕していた。

 そうか……そういう事情が……

 お姉さんの父親はスノヤの経営者だったのだろう。スノヤは規模に反して株式上場もしていない特別な企業だから、氏の訃報は大々的にメディアに報じられることもなかった。鎌倉時代からの伝統を汲み、保守的な経営を続けてきたスノヤにとって、一族以外の人間に経営を任せるわけにはいかないということだろう。


「それなら、この縁談の重要性も分かりますね? お遊びはもう十分でしょう。大学院へも通わせて、今まで好きなようにさせたのですから、もうこれまでになさい」

「……」


 さんざんな言い方だ……

 そう思ったが、しかし言い出せるわけもない。スノヤの伝統というものは、俺が想像しているよりもずっと重いだろう。なにか口を出して取り合ってもらえるわけもなし、そして俺が責任をとれるわけでもないのだ。


「……わたくしどもとしましても、この縁談はなんとか結ばせていただきたい」

「……」

「……なに?」

「…………」

「バカをいうな瞠目。お前はまだ子供だから分からんだろうが。俺もお前のかあさんとはお見合いだった。最初はぎこちなかったがそのうち愛も生まれる」

「…………」

「文句を言うなバカもんッ! まだわからんか! 俺はお前のためを思って言っとるんだぞ!」


 相変わらずどうして会話が成立しているのかは分からないが、どうも百目鬼親子の方も上手く意見をすり合わせられていないようだ。

 そしてそれよりも……


(二人とも『お前はまだ子供だから』って……)


 そのセリフは俺の心の奥深くに刻み込まれている。


『お前はまだ子供だから、お金の使い方がわからないだろう』『だから家に入りなさい』

『私たちが管理しよう』『お前はまだ子供だから』『お前はまだ子供だから……』


 そう言って奴らは俺に迫って来た。

 子供だから? 子供だから全部『大人』が決めるのか? 『大人』の都合のいいように?


 全身が汗ばんで、思考が黒い迷宮に引き込まれそうになる。


 『鏡太君はもうちょっとわがままになりなさい』


 よみがえるのは、あの日風邪をひいていた俺にお姉さんがかけてくれた言葉だ。


 『そんなのって、馬鹿みたいじゃない。私は私だけのものよ。好意も悪意も、私が欲しい分だけいただくの』


 あの言葉を俺だけにかけられていたわけではない。あれは……そう、お姉さん自身にかけられた言葉だ。


(……大人ぶっていたのは俺の方だよなぁ……)


 そうだ。

 子供だからなんだというんだ。

 子供だからってなにも決められないなら、それこそ大人になんてなれない。せいぜい体の大きな人形だ。

 最大多数の最大幸福なんて、俺と関係ないじゃないか。

 俺が考えるべき幸福は、お世話になったお姉さんのものだけだ。顔も知らない奴らの幸福のために恩人を犠牲にするなんて恩知らずもいいところじゃないか。


 俺は決意を新たに暗闇から飛び出す。

 迷いはこれっぽちもなかった。



「その結婚、待ったァ!」


 


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