第二十話 引きこもりと沈黙する鬼
「離して! 許して! おーろーしーてー!!」
不動明王のような男の人(ドドちゃん)に抱えられてはや五分、俺は目的の建物からはどんどん引き離されていき、やがて『はなれ』のような建物に担ぎ込まれた。後ろからはりっちゃん氏がとてとてと無邪気についてくる。かわいい。
しかしここが秋洲邸だとしたら、実の娘を『はなれ』なんかには住まわせないだろう。そういう意味で俺は目的から大分遠ざかったといえる。
それに加えてもう一つ、最悪の出来事が俺に降りかかっている。
(担ぎ挙げられた拍子にインカムを落とした……!)
頼りの(?)春姉ぇの助力が得られないのは痛い。助けてもらえばもらうほどつらい状況になりそうだけど、一人で人の家に忍び込むよりもましだ。これでもう俺は完全な孤立無援の状態になってしまった……
それでもなおジタバタと暴れていると、どこか暗い部屋に入った途端ふっと体が軽くなったような気がして、それから俺は畳の上にそっと置かれた。
直後に部屋の電気が灯された。
和室だ。
それもかなり広い。
十五畳は下らないだろうこの和室は、しかし広さに反するように簡素だった。荷物らしい荷物は何もない。
「ドドちゃんのおへやひろいねー!」
目を白黒させている俺とは別に、りっちゃんは楽しそうだ。畳の上でごろごろと転がったりしている。かわいい。
一方俺を運んだ大男のほうは、床に俺を放置したまま部屋の奥の方でなにやらごそごそしている。
俺の運搬も結局は優しかったし、床に置くときも別に乱暴にはされなかった。いったいどういうつもりなんだろう……そして誰? 見た感じものすごい強面ではあるんだけど……お姉さんの家族? そうは見えない。
「……」
一言も話さないままドドちゃん氏は部屋の奥から何かを運んで来た。
あれは……おぼん? 湯気の立った湯飲みが二つと、それからオレンジジュースが一つだ。
どっかりとちゃぶ台の前に胡坐をかくと、ドドちゃん氏はズイ……と湯飲みを俺に押してきた。
「え、いただいていいんですか」
「…………(コクリ)」
黙ってうなずくと、ドドちゃんは自分の湯飲みがぐいっとあおった。体が大きすぎて湯飲みがお猪口みたいになっている。
「わーいオレンジジューチュ!! ドドちゃんありがとう!」
オレンジジュースのコップをもって誇らしげに部屋を闊歩しようとしたりっちゃん氏を、ドドちゃん氏はむんずと掴んで自分の足の間に座らせた。ちゃんと座って飲めということなのだろう。
え……ドドちゃんやさしい……
そして子供の面倒見がいい……
ドドちゃん氏の人物像をつかみかねてぼんやりと眺めていると、お茶を飲みほしたドドちゃん氏が俺にじろりと視線を向けた。
「あ、い、いただきます……」
ずぞぞ……
冷静になってみると変なシチュエーションだ。ドドちゃん氏は俺をここに連れてきてどうするつもりなんだろうか。
「……」
「へ? あ、お茶ですか? おかわりは大丈――」
無言で、しかし半ば無理やりにお茶を注がれると、ドドちゃん氏は自分の湯飲みにもお茶を注いで一息にそれを飲み干した。
「……」
「……」
ずぞぞ……
奇妙な沈黙が和室に流れる……
りっちゃん氏も空気に押されてオレンジジュースをチロチロとなめるようにしている。かわいい。
「……」
「……」
「……」
「……」
「……えっと、あの……」
「…………?」
沈黙に耐えかねて、俺はついに声を発した。どうも、このドドちゃんという男の人は悪人というわけではなさそうだ。顔怖いけど。
虎穴に入らずんば虎子を得ずだ。お姉さんについて思い切って聞いてみてみよう。
「あの……秋洲香波さんって、ここにいるんですか?」
「……」
「サンタさん、香波ちゃんのこと知ってるのー!?」
ドドちゃん氏はお姉さんの名前を聞いてじっと俺に視線を向け、りっちゃん氏の方は興奮したようにドドちゃん氏の足の中で身を乗り出した。
「ドドちゃんねー! 香波ちゃんのふぃあんせ? なんだよー!」
「えっ!?」
りっちゃん氏の言葉に俺は思わずそう呟いた。
フィアンセ? ということは婚約者!? ドドちゃん氏が?
「…………」
俺の視線を受けて、当のドドちゃん氏はゆっくりとうなずくと懐からなにケースを取り出した。あれは……名刺入れ?
「……」
「あ、どうも……」
静々と名刺を受け取ると、俺はそこに書かれている文字を見た。
『 百目鬼セメント株式会社
営業部一課
「百目鬼セメント!?」
超有名なセメント会社だ。あちこちにへんてこな形の工場が立っていて、大体に『百目鬼セメント』の字が記されている。現社長の百目鬼氏はたまにメディアに露出するが、徹底した現場主義で知られた実業家だ。そして顔が怖い。
ということは目の前のこの百目鬼さんは……
「……」
ドドちゃん……あらため百目鬼さんは何も言わずにじっとこちらを見ている。なにかを俺から読み取ろうとしているようだ。しかしまったく話さない。これでどうやって営業してるんだ。
まあでも、秋洲家が日本有数の食品会社を経営していて、相手の百目鬼家が日本随一のセメント会社を経営している。それで両者の娘と息子が婚約……これはもう大体の事情が見えてきた。
おそらくは、政略結婚に近いものだろう。
そしてあのお姉さんの性格からして、それが嫌で家を飛び出してきたのかもしれない。それで最終的には俺の家の窓をぶち破ったと……
現段階では想像の域を出ないが、おおかた間違ってもいなさそうだ。
「そうか……フィアンセか……」
とりあえずはお姉さんの身に危険がないことは分かったが、これはまた根深い問題だぞ……
もし俺の想像が間違っていないのなら、お姉さんのほうはきっと結婚したくない。ならお相手の百目鬼さんのほうはどうなんだろう……
そっと百目鬼さんの方を見ると、彼はどこからか盆栽を取り出してちゃぶ台の上に乗せていた。
あれ? いつの間に?
「……」
どことなく満足げだ。自分の作品なんだろうか。
よく見るとなかなかよくできた盆栽だ。持ち主の愛着が伺える。
「……盆栽、趣味なんですか?」
「…………(こくり)」
「結構お上手ですね」
「…………」
やはりまったく表情が動かないが、しかし百目鬼さんはどことなく嬉しそうなオーラを発している。
わりとお茶目なのだろうか。結構見た目とのギャップがはげしい。
この人がお姉さんと結婚したら……
少しその様子を想像してみて、そして全く想像できなくて俺はそれをやめた。
「……うーん」
微妙な状況になってしまった。
とりあえずお姉さんの安否を確かめるという当初の目的は達成できたが、なんだか新たな問題が発覚してしまい、このまま諸手を挙げて撤退するのも後味が悪い状況だ。お世話になったお姉さんをこのまま放置するのもあれだし……でも人の縁談に口出しができるわけもないし……どうにかならないものだろうか……
「おい、瞠目、いるのか」
「……!」
突如襖の向こうから野太い声がして、部屋の中の百目鬼さんが少し反応した。
スッとりっちゃん氏を膝の上からどかすと、百目鬼さんは立ち上がって俺を抱き上げた。
そしてそのまま部屋の隅の巨大な壺に押し込んだ。
「!?!?」
え!? なんで!?
そう思う間もなく、襖が開かれて誰かが部屋に入って来た。俺は完全に壺に収まっているので誰かは分からない。
「ん? その壺が気に入ったのか?」
「……」
「そうか。あとで譲っていただけないか聞いてみよう」
「おじちゃんこんばんわー!」
「おぉ立香ちゃんは元気がいいねぇ。瞠目は遊んでくれたかな?」
「うん!」
「……」
「……瞠目、今から香波さんを交えてまた話し合いをする。お前も来い」
「……」
「なに? その壺を持っていくのか? それはお前、だめだろう」
「…………」
「……まあそんなに言うならしかたない。その場で掛け合ってみよう。全く、縁談の場でもそれほど積極的ならな」
(いやなんで会話出来てるんだよ)
壺の中でこっそりと呟いていると、やがてすさまじい力で俺が入っている壺ごと持ち上げられた。
え!? 俺を縁談の場に連れて行く気なのか?
百目鬼さん、一体なんのつもりで……
(というかこれかなり酔うな……)
暗闇の中で揺られながら、俺はついにお姉さんの下へ向かうこととなった。
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