第35話⑬六道文と六尺(りくせき)の孤と鬼が住む縣
「爺さん、何やってんだよ!」
そんなミラの声が、この部屋中に木霊し満たしていた。
「ふん、さっきも言ったろ? これが外道に堕ちた奴らの末路。ケジメって奴だよ」
そのミラの問いかけに酒場の亭主は、刀のついた血を払い飛ばしながら冷淡に答えたのだった。
その血は鮮血で、今しがた切った物だろう。少なくとも、ここに来るまでの道中に切って捨てたチンピラ連中のものではない。
ということは、あの離れた扉の位置からこのご老人は、壁際にいるシンを切ったということになる。かのご老人は、どうやら驚くべき魔法の使い手のようだ。
「なあ、シンよ。お前の役目は今日で終わりだ。王国は遥か昔に潰え、王も古の誓いも今日にはなくなる。お前は国を思う臣下としては間違っちゃいなかったのかもしれねえが、王殺しに加担し外道になっちまった咎は消えやしねえ。来る日にこうなる覚悟も出来ていたはずだ」
そんなことを言う酒場の亭主に、シンは灯が消えそうなほどか細い声で、やっと答えた。
「そう、ですかい。やっと、重責から解放されるのですか。やっと、ですよ、師匠。この、苦悩の日々、もう、少し早、ければ……」
シンは、言葉を全て紡ぐことなく息絶えたのだった。
息絶えたシンとその師匠である酒場の亭主=イゾウの間には、私では知りえない苦楽が沢山存在しているはずだ。だから、その死に別れくらい、余韻を残してしかるべきだと私は思う。
イゾウがシンに歩みより、その目を閉じさせてやるくらいの余韻は、だ。
「……別に、死を慎む時間なんざ、必要ありやせんぜ。あっしたちは、こうやって汗や涙の変わりに血を流しながら生きてきやした。泥にまみれて死ななかっただけ、こいつの死に方は上等でさあ」
そんな私の気遣いも、どうやら彼らには必要の無いモノだったようだ。……弔う間も必要ないとは、随分と悲しい生き方をしている。
「そんなこと、どうでもいいだよ! 爺さん、いきなり現れて私の仇を横取りするってのはどういうことなんだ!」
ミラがそう言うのも無理はないだろう。彼女がここまで着いて来たのは、両親の仇を取る為だ。しかし――
「なら、別に俺がシンを殺しても文句ねえな。こいつは、お前の両親を直接殺した訳じゃねえからよ」
イゾウから口から出たのは、彼女の考えを裏切る言葉だった。……どうやら、この件の真相は私の想像通りのようだ。
「はあ? 何言ってやがんだ? 耄碌しやがったか、ジジイ。そいつこそが、ジジイが言っていた仇の化け猫だろうが!」
「……ああ、そうだよな。お前には、そう映るわな。いいか、ミラよ。俺がいつも言っているように、目に映ることだけを盲信して、突っ込む癖は治せ。いいか、真実ってのは、目に映るその先にあるんだぜ」
そう、イゾウが言い終ると、使用していた魔法を――『停止』させた。
すると、翁の体に著しい変化が表れ始めた。
ざわざわと体中から、緻密で短い毛が生えはじめ、体は頑強になり、目は金色に染まり、歯は肉食獣の様に鋭くなっていった。
「……なっ、なんだよ、それ」
魔法で施されていた偽装が解かれると、翁の身体は、まさに化け猫と言っていい風貌となっていた。
「見りゃわかるだろ、ミラ。これがお前の言っていた、親の仇。化け猫さ」
ここにきて、ミラは事の真相を把握するに至った。誰が化け猫で、誰が親の仇なのか、と。
「な、なんでだよ。なんであんたが、そんなことするんだよ!」
ただ、そのことを上手く理解出来ないミラは、カタカタと震える手で銃を翁に構え、詰問するしか出来なかった。
……きっと翁は、事情を正確に伝えるなんてまどろっこしことはしないであろうから、私が余計な口を挿むしかないな。
「ミラ、私の調べでは、六道文が今のような組織になったのは、簒奪が行われる前です」
私の突然の報告に、驚きこちらを振り向くミラと、感情の分からない目で見つめてくる翁。どうやら、どちらも聞く耳を持ってくれてはいるようで助かる。
「それと、これまでのやりとりから推察されることから推察される全容は、六道文が外道に堕ちた禍根はモズと君の父上で、それを討ったのがイゾウで、その後の組織をなんとか切り盛りしていたのがシンということです」
財政難に陥っていた六道文のへ、シンがモズを連れてきたことでその財政が改善していったという。ただ、その後、モズの拝金主義を支持し強めていったのがミラの父親だ。そして、行き着くところまで行ったとき、簒奪が行われて、今の組織へ移行していったという。
私が聞いた話では、今の六道文は、一番ひどかった頃と比べればまだましだという。
「……言い訳はしやせんぜ。俺がやったことは王殺しそのものだ。まあ、古の誓いを蔑ろにする王を諌めるのが家臣である俺の仕事で、行くところまでいったバカ弟子を殺してでも止めるのは、王の師匠であった俺の仕事だと思っただけでさあ」
禍津人の表情は分かりづらく、イゾウがどんな思いでそんなことを言ったのか、読み取ることは出来ない。ただ、ミラの父親と翁の間には、深い絆があったことだけは、確かだろう。で、なければ――
「だからよ、ミラ。なんどでも言うが、王を殺した外道は俺だ。そして、お前に討たれる覚悟は出来ている。さあ、その銃で俺を撃て。躱したりなんざしねえぜ」
こんなことは、言わないだろう。
「な、なにいってんだよ。正気かよ!」
震えるミラは、銃を構えることが出来ない。それも、無理はないだろう。実の育ての親が仇で、殺せと言われてもいきなり実行できる子供なんて、そうそういない。
「俺は本気だぜ。お前もしってんだろ? 俺がいつも、本気だって。だから、お前にいつも言っていた『仇をとれ』って言葉も、本気だ」
イゾウは額を指さし、ここを撃つようにミラに急かす。けれど、ミラはその重い銃を構えることすらできず、ただ震えるばかりだ。
「む、無理、だよ」
膝をついたミラは、どうしてもイゾウを討つことができず、ただ、泣くことしか出来なかった。それを、読み取れない表情で眺めるイゾウ。
「まあ、お前ならそうするだろうと、思っていたよ」
翁は、ミラを育てているうちに、理解出来ていたのだろう。彼女には、仇を討って組織を粛清して、国を再建するなんてことは無理だと。
だから、彼女を守るために、外道集団とかした組織を潰す方向で翁は動きだしたのだ。暴走していた組織の外と内から情報を集め、その機会を窺っていた。そして、私という人物が現れたとき、それを実行に移したのだ。
「しかし、こうなっちゃ仕方がねえ。この俺の不出来な企みにも、蹴りを付けねえといけねえ。申し訳ありゃしませんが、鬼の旦那。ここまで付き合っても貰ったのも、何かの縁。そのお手前、拝借させて貰っても構いやしませんか?」
腰を深く沈め、手を前に出してそんなことを言いだす翁。
「ここまで来たのも何かの縁です。もちろん構いませんよ。で、私は何をすればよいのでしょうか?」
私がそう答えると、翁は、その分かりづらい禍津人の顔を笑ったようにゆがめた。
「これは失礼を。実はあっし、名をイゾウと申しやす。これでも、100年以上の間、六道文のご意見番なんざやらせて頂いておりました。その中で、組織のために尽力してまいりやしたが、てめえの力不足で組織を潰し、王を殺めるにいたり、ここにきて外道へと堕ちるに至った次第です」
イゾウの芝居がかった言い回しは、いったい何のためのものだろうか。
「そのけじめ、己では付けることも出来ず、こうして旦那に頼む羽目になりやした。本当なら、命を使った鬼退治でも思っておりやしたが、どうやらあっしの見立て違いのようで。旦那、今の姿を見るに、鬼なんて不浄の存在では無く、本当はあっしなんてお目通りも叶わない英傑なんでしょう。失礼ですが、お名前をお聞きしても?」
私には何のためか分からなかったけど、この拍子で問われれば、答えずにはいられない。
「私は今世に生を受け、スバルありたいと思っています。しかし、今あえて名乗るなら『――――』と、返しましょう」
私の前世の名は、翁だけに届くように、魔法を使った。もう捨てた名前だ。誰の耳に入れるつもりも無い。
「なるほど、良い名前だ。最後に、あなたの様な英傑と死合えるとは、あっしの様な外道には勿体無いことです」
刀を抜く翁。なるほど、それが翁なりのけじめなのか。
「わかりました。貴方がそうおっしゃるのでしたら、私もそれに応えましょう」
そう言って、私は短刀を抜いた。
そして今、一人の少女を置き去りにした死合の幕が開けるのだった。
忌み子転生、捨てる親いれば拾うエルフママ有り @gengoroumaru
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