彼の彼女はとても醜い

朝霧

だが、彼女の彼はとても美しい

「ねえ、僕の女知らない?」

 甘ったるい、男にしては高い声が廃屋に響いた。

 様々なものが腐った様な異臭が混じり合った醜悪な臭いが充満したそこに似つかわしくない声に、その場にいた彼らは一斉に自分たちの後ろを振り返った。

 振り返ったのは5人の男。

 年齢はばらばらだった、一番若い男はまだ十代半ば、一番年老いているのは60から70ごろの老人だった。

 ほぼ同時に振り返った彼らが目にしたのは美しい少年だった。

 髪の長い少年だった、背中の中程まで伸びたその黒髪は艶があり、十分手入れされた女のそれよりもずっと上質だ。

 肌は病的なまでに白い、一度も日に当たったことのない様な色をしている。

 その顔立ちは恐ろしいほど整っていた、その少年を見た5人のうちの1人、40半ばの無精髭の男はその顔を見てこう思った。

 まるで高貴な姫君の様な顔だ、と。

 その少年の声を初めに聞いていなかったら、彼らはその少年を美しい少女と見紛っていたかもしれない。

 少年は振り返った彼らの顔を見渡して、小首を傾げてもう一度口を開いたが。

「ねえ、僕の女、知らない?」

 ニコニコと人懐っこい笑みを見せる少年に、彼らの中で一番体格のいい男が気味の悪い笑みを浮かべた。

「あんちゃん、あんちゃんの女って、ひょっとしてこれのことか?」

 その言葉と共に男はそれの後頭部を片手で掴んで、少年にそれの顔を見せた。

 それはひどく醜い少女だった。

 ざんばらに不揃いの髪は痛んでいて、艶がない。

 顔の右半分に大きく引き攣れた様な火傷跡がある、元々はおそらく普通の顔立ちをしていたのだろうが、その火傷跡一つで酷く醜い顔立ちになってしまっている。

 衣類が剥ぎ取られ、露出した身体は簡単に砕けてしまいそうなほど細い。

 その胸元にも、脇腹にも、太ももにも百足が這っている様な、見ているだけでが吐き気を催すような模様の刺青が入れられており、全身のあちこちに引き攣れた大きな火傷跡と、紫色の痣が点在している。

 打ち捨てられた人形の様な、思わず目をそらしたくなる様な風貌の彼女の目は虚ろで、焦点がどこにもあっていない。

 パーカーのフードを深々と被り、紫色に暗くなった空の下をふらふらと頼りなく歩いていた彼女を、女に飢えた彼らが数日ぶりに餌を見つけた獣の様にこの廃屋に引きずり込んだのはつい先ほどのことだった。

 衣類を剥ぎ取って露わになったその彼女の醜さに彼らは全員度肝を抜かれたが、ただそれだけだった。

 それほどまでに彼らは女に飢えていた。

 だから彼らは激しい抵抗を見せた彼女を袋叩きにして、彼女が動けなくなるまでその細い肢体を殴り、蹴り続けた。

 彼らにとって都合のいいことに、彼女は無能力者だった。

 本当は何らかの能力を持っている可能性もあるが、彼らから逃げようと無様に手足を振り回すだけの抵抗しか見せなかったため、能力持ちだとしても今この状況では意味のないものだったのだろう。

 そして、とうとう身動き一つ取れなくなった彼女を犯そうと、その順番を決めている最中に少年が現れたのだ。

 彼女の顔を見た少年の顔色が変わる。

「あ、いたいた。それだよ、僕の女。……よかったぁ、ずっと探してたんだよねえ」

 にっこり、とやっと探し物を見つけた子供の様に無邪気な、歓喜に満ちた笑顔に。

 その笑顔に、彼らはぞくりと怖気たった。

「はい。見つけてくれてありがとう。でも返してね。それ僕のだから」

 ニコニコと笑ったまま少年は彼女に手を差し出した。

 彼女の頭を掴んでいる男は、その無邪気な笑顔に一瞬状況を忘れて彼女を少年に渡しそうになった。

 しかしすぐに正気に戻り、差し出そうとした彼女の頭を地面に叩きつけた。

 彼女は短く濁った悲鳴をあげるが、それだけだった。

「返すわけねーだろう」

 馬鹿じゃねーのと男は自分を鼓舞する様に下卑た笑い声をあげる。

 その笑い声につられて他の男たちも笑い声をあげる。

「お前はここでてめえの女が犯されるところをおとなしくみとけ」

 男は立ち上がる。

 そして、ふん、と全身に力を込めた。

 メキメキと、男の全身の筋肉が盛り上がる。

「てめえみてーなモヤシに能力を使うまでもないが……その態度も顔も気に食わねーからな」

 男は筋力増加の能力を持っていた。

 彼女を甚振る時には間違って殺してしまわぬ様にとその能力を使うことはなかったが、この少年は別に殺してしまって構わないと考えたらしい。

 男は少年に向けて丸太のように太くなった拳を振るう。

 線の細い、ろくに鍛えていない様な少年の身体はひとたまりもなく吹っ飛んで、無様に地面に転がる。

 彼らの誰もがそう信じて疑わなかった。

 しかし――

「……は?」

 少年の顔を殴りつけた瞬間、男の拳がぼろりと砕けた。

 脆くやわい泥団子が砕けるかの様に、粉々に。

「な、んだ、こりゃ……」

 男は痛みを感じなかった。

 ただ消失した右拳の感覚と、地面に落ちた自分の拳のかけらに、自分の右拳が無くなった事を悟る。

 血は流れなかった、そこで男はおそるおそる血が流れない自分の右手首を見やる。

「――っ!?」

 そして、声にならない絶叫を上げた。

 男の右の手首は人間の肉ではない何かに変質していた。

 見た目はそれらしく見えるが、赤い肉に見えるそれも、白く折れた骨に見えるそれも、何か別のものに成り代わっていた。

 ボロボロと脆く崩れていくそれは、まるで――

「バイバイ、おにーさん」

 自分の手首が何になってしまったのか男が理解する寸前で、するりと音もなく男の懐に入り込んだ少年が男の喉元を軽く撫でる。

 その瞬間、男の首はぱきりと音を立てて折れた。

 てん、てん、と男の頭が地面に落ちて転がる。

 遅れて頭を失った体の筋肉が風船の様にしぼみ、大きな音を立てて仰向けに倒れる。

 地面に転がった男の首を見て、他の男達の顔が真っ青になった。

「みーんな、しんじゃえ」

 その声に、彼らが目にしたのは、砂の城を壊してはしゃぐ幼な子の様な笑顔の少年の美しい顔だった。


「で? 何やってんのおまえ」

 最後の男の首を粉々に踏み砕いた少年がひどく不機嫌そうな声を上げる。

 先ほどまでニコニコと機嫌よく笑っていたその様子とは別人の様な態度だった。

 声を投げかけられた少女は力を振り絞って顔を上げようとしたが、痛みと疲労のせいでそれだけの動作すら叶わなかった。

 指先一つをやっと動かせる程度の気力しか残っていない彼女の頭を少年は掴んで、持ち上げる。

「聞いてんの? さっさと答えろよこの附子」

「……っ…………ぁ」

「なーに。なにいってんのかぜんぜんわかんないんだけどー?」

 少年は掴んでいた頭を手放す、手放された彼女の顔は再び地面に叩きつけられた。

「……なにやってんのあほなのばかなのしにたいのころしてやろうかこのくそおんななにかんたんにつかまってんのなにぼくいがいのおとこにさわられてんのふゆかいなんだけどぜんしんのかわひっぺがしてやろうかぶすのくせになにさかられてんのおかすきがおきないくらいみにくくしてやったのにぼくいがいのおとこをさそいやがってこのくそおんなぼくいがいのおとこになぐられやがってぼくいがいのおとこにけられやがっておまえじぶんがだれのものなのかわすれたのかならもうにどとわすれられないようにしてやる」

 苛立ちを隠そうともせず少年はその場で地団駄を踏む。

 そして、何を思ったのか彼女の薄い腹を思い切り蹴飛ばした。

「――っ!!」

 掠れた悲鳴はほとんど音になっていなかった。

 少年は癇癪を起こした子供の様に、彼女の腹を何度も何度も蹴り上げる。

 彼女が白眼をむいて気を失った頃、彼はようやく足を止めた。

 ぜいぜいと荒く息を吐きながら、力を失った彼女の身体を見下ろした。

 壊れた人形のように力なく横たわる彼女の顔は、苦痛に歪みながらもほんの僅かに笑っていた。

 少年は彼女の身体をゆっくりと抱き上げる。

 そして、その細い身体を折ってしまいそうなほど力強く抱きしめた。

「お前を痛めつけるのも、犯すのも、甚振るのも僕だけでいい。僕だけで十分だ。だから、もう二度と――」

 懇願の様な声が彼女に届くことはなかった。


 あの日彼女は彼に助けてほしい、とは言わなかった。

 助けて、とはいえなかった。

 ただ、一つだけ願いを口にした。

 殺してほしい、と。

 もう誰にも犯されたくないから、殺してほしいと。

 彼は彼女の願いを叶えなかった。

 泣きながら、それだけはできない、と。

 だが、彼はその代わりに不器用に彼女を救った、自分を傷付け、彼女を傷付け、幾つも罪を重ねて彼女を救おうと無様にもがいている。

 だから、彼女は彼のことが大好きなのだ。

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