2.小料理屋

「ただいま」

「あなた、お帰りなさい」

汚いかっこうをしてギターを持った男を、黒いドレスを着た美女が出迎える。

男は、はい、と言ってコンビニの買い物袋を美女に渡す。さも近所のコンビニに用足しに行ったかの如く。

「あなたいつもすいません」

と女は言って中を見る。

「まあ、1万円札が入っているじゃない」

袋の中にはごちゃまぜの小銭と、それに混じるように数枚の札が入っている。女は札を取り出しシワを伸ばしてきれいに重ねる。小銭はレジの横に置いてあるコインカウンターにさっさと入れられ数えられる。

「まあ、今日は5万5千円もあるわ。あなたはやっぱり天才だわ。何やってもお金が転がりこんでくるようにできてるんだから」

「あんまりうれしくないね」

「そんなことはないわぁ。あなたがこうして稼いでくれるからこのお店もやっていけるんですもの」

「この店がやっていけるのはさーちゃんの魅力のおかげだよ。あのヘンタイジジィどもが列をなして来る」

そう恭兵が吐き捨てるように言うと、入り口のドアがドヤドヤと空いて、サラリーマンのオヤジどもが4人入ってくる。

「いらっしゃい。山本さん。あら〜っ、今日は部長さんも来てくだすって。うれしいわーっ」

「ママぁ〜、今日は全員揃ったからこの店貸切だーっ。ママも我々が貸し切る。ママは今日は我々の奴隷だ。いいかなぁ〜?」

「まぁ〜、奴隷だなんて、うれしいわぁ〜」

「ほんとぉ〜、よし!ここでひざまずけ」

「いいわよぉ〜。そのかわり札束でブってちょうだい。帯付きのね」

「マジぃか〜?そんなの見たことないよぉ〜」

「じゃあダメね。おとなしくそっちのテーブル席に行ってちょうだい」

男たちは美人調教師に扱われる猛獣のごとく、狭いテーブル席にしずしずと着席する。

恭兵はヘドの出るような会話を背に店の奥に引っ込む。


恭兵は早苗がしつらえた晩御飯をささっとかっ込み、白い割烹着を着て再び店に出る。

その様相はどう見てもストリートミュージシャンではない。普通に料理人だ。それもかなり年季を積んだ料理人だ。

しかしそのルックスとはうらはらに、恭兵はまったく料理は作れなかった。それでもこの店のマスターで通ったのは、この店のメニューに秘密があった。

ポテトフライ、ハムエッグ、ソーセージ焼き、オムレツなど、家庭料理がゾロっと並んだメニュー。誰でも作れる。

実は早苗も料理はまったくダメだった。それでもお客が来るのは、早苗の女性としての魅力以外のなにものでもなかった。

そういう状況を見て恭兵は何も考えることはない。恭兵が考えるのは美しい旋律が天から降ってきてそれをいかに再現し、採譜するかということだ。そう恭兵はどこまで行ってもミュージシャンなのだ。こんな小料理屋の店主に収まることなどできるはずがない。


「よおっ、マスターも飲んでくれよ」

とサラリーマンのお客の1人が恭兵に一升瓶を差し出す。

「いや、まだ仕事中なんで」

と恭兵が愛想笑いをする。

「そんな硬いこと言うなぃって」

「今日はこの人転勤で新橋最後なんだよ。マスター飲んでやってよ」

と山本という男が説明する。

「俺も頑張ったんだけどもよぉ〜、明日から地方へ島流しなんだよ〜」

と恭兵に酒を執拗に勧め泣く。

「マスター飲んでくれよぉ〜」

「それじゃいただきます」

と恭兵は4人の席に行き腰を下げてコップ酒をいただく。そして一気に飲み干す。

「いや〜、マスター飲めるね〜」

「いや落ちぶれていた時にはアル中だったもので。医者には止められているんです」

「そうなんだぁ〜。マスターくらいの人だといろいろあるよねぇ〜」

「俺も転勤先で頑張ってまた新橋に戻ってくるよ」

と転勤すると言った男はガハハと豪快に笑った。

早苗は暖簾の横で男達の会話を黙って見つめていた。

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