第2章 ー恭平と早苗ー
1.ストリートミュージシャン
その男は今日もそこに居た。
…おとこは〜 ゆめ〜に いきぃ〜るぅ〜…
…お〜んなぁ〜は〜 あ〜いに いきぃ〜るぅ〜…
ジャジャジャ、ジャーン
JR川崎駅前、肌寒くなってきた初秋の夕暮れ時、人だかりが出来ている。
その人だかりの中心で、その男はフォークギター1本でせつせつと歌い上げる。
…あぁ〜つぅ〜い あぁ〜いのぉ〜 よかぁ〜んにぃ〜…
ジャッ、ジャッ、ジャジャジャ、ジャーン
男の唄と演奏に群衆のボルテージが上がっていく。
ポローン、ポロポロ、ポローン
ポロポロ、ポロポロ、ポロポロ、ポローン
美しいギターフレーズに聴衆が惹きこまれる。最前列にいる妙齢の女性たちがジリッと前に歩を進める。両手を胸の前に組んでジッと演奏する男を見つめる。
…あ〜い らぁゔゅ〜う〜…
ジャジャジャ、ジャジャジャ、ジャジャジャ、ジャーン、ジャジャーン
男は渾身のフィニッシュを極める。ガクッとうなだれる。
最前列の美しい女性が一瞬、キャッ、と小さな声を発する。女性の脚元にはなぜかパシャパシャと小さな水たまりができる。
しかし聴衆が密集しているのと、早い夕暮れに隠れて、そういう現象には誰も気づかない。
男は10曲ほど歌い上げ、深々とお辞儀をする。
男の前に置かれたギターケースには山のような小銭と、小銭に交じって千円札、エッ、一万円札も!
最前列の失禁してしまった若い女性が惜しげもなく一万円札を投げ込む。
投げ込まれた一万円札を男はチラッと見て女性に改めてお辞儀をするとともに、小さな声で、ありがとう、と言う。
聴衆は三三五五に散会していく。
しかし一万円札を投げ込んだ女性はジッと相変わらずそこに立っていた。
男はコンビニでもらうスーパーバッグに無造作にその大金を掻き集めて放り込む。お札も全部ごちゃまぜだ。
そしてそのギターケースにギターを、こちらはそれこそ女性を抱くように、そっと横たえ、そして棺に蓋をするようにソッとパタンと閉め鍵をかける。
男は女性を見る。
「帰らないの?」
「…ええ…」
男は女性の顔をマジマジと見る。左手には相変わらずコンビニの袋に入れた大金を持ったままだ。
「オレはそういうことはしないんだけど」
女性は最初男が言っている意味が分からずキョトンとしていた。やっと意味が分かって
「ちがうんですっ!ちがうんですっ!」
と顔を真っ赤にして、両手をバタバタと振る。
「じゃあ、どういうことなの?」
「あのぉ〜、私今日広島から出てきたんですけどぉ〜 そこのホテルに今日は泊まってるんです」
「あっ、そういうこと」
「なんか見てたらライブいっぱいやってて、そうしたらあなたのライブになんか引き込まれちゃって」
「それはありがとう」
「お名前を教えていただいてもいいですか?」
「オレは大山恭兵。君は?」
「斉藤美樹です」
「それじゃ、今日はありがとう」
恭兵がくるっと回って帰ろうとすると
「ま、待ってください」
と美樹が引き留める。
「もっとお話ししたいんです」
「ゴメンね。うちで奥さんが待ってるから」
「え〜っ!結婚なさってるんですか?」
「うん、店を手伝わないといけないんだ」
「お店をやってるんですか?」
「…」
「連れてってください!」
「まずいね」
「行きたいんです」
「ダメだ」
と言って恭兵はスタスタと立ち去る。
美樹は取り残された。
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