5.20年振りの実家
「ああ…、真澄かい…」
弱々しい声で母が真澄に語りかける。
「お母さん…」
「お父さんは亡くなったわ」
真澄の頰にドドっと大粒の涙がこぼれ落ちる。
「なんで‼︎ なんでなの?」
「事故だったのよ。しょうがなかったのよ」
あっけない幕切れだった。
真澄は父の死亡の連絡を受けて約20年振りに生家の敷居を跨いだ。父は帰らぬ人となり客間の8畳間にひっそりと横たわっていた。多少顔は白いが、生きてるそのまんまだった。
「昨日は普通にお仕事に出掛けたのよ。そうしたら江東区の高層マンションの下を歩いていたら、自殺しようとした人が上から落ちてきて、お父さん下敷きになってそのまま…」
母はウッと泣く。
真澄は涙が止まらなくて、オイオイ泣いているだけだ。
…なんてあっけないの?あんなに優しかった父が、死のうとした人に巻き込まれて死ぬなんて…
弟の忍が黙って瓶ビールを持ってくる。冷えたグラスを4つ出しビールを黙って注ぐ。忍の配偶者の和枝がキュウリのおしんこと里芋の煮物を出す。4人で黙ってグラスのビールを空ける。大沢家はそういう家だ。
「お父さんも飲んでください」
と母がグラスに入ったビールを父の枕元に置く。
グビッとグラスを空け、真澄はフーッと息を吐く。やっと落ち着いて来た感じであった。
「事業はどうするの?」
と真澄が忍に聞く。
「僕は4年前からサラリーマンになっているから、店は全部森田さんに任せてある。もし森田さんが続けるのであればやってもらいたいけど」
「森田さんももう60歳だから辞めたいって言ってたわ」
と母が答える。
「じゃあ店たたむってこと?」
「しょうがないんじゃない」
「そんな150年も続いた大沢屋も終わりなの?」
「しょうがないんじゃない、子供が3人も居て誰も継がないんだから」
母がチクリと刺す。
「特にあなた、20年振りに帰ってきてよくそんなことが言えたわね」
「だってしょうがないじゃない」
「何がしょうがないのよ⁈」
母もビールが回ってきて語気が強まる。
「だってそうでしょう…」
「まあまあ、こんな席でそんな話をしなくても」
忍が割って入る。
「そういうあなたこそどうして外に勤めに出たの⁈ お父さんの後を継ぐんじゃなかったの?」
矛先が弟に向かう。
「…やっぱり結婚するとどうしても自営業じゃ嫁さんと子供を養うのはキツイよね。僕が辞めた時はもう森田さんの給料を払うのがいっぱいいっぱいだったから」
「そうよ、あなた勝手に外に出てった分際でよくそんなことが言えたわね」
母が弟を援護しつつブーメランのように真澄の体を斬りつける。
「だいたいあなたどこで暮らして何してるの?ここで言ってごらんなさい!」
「まあ、いろいろ」
「いろいろの中身を言ってちょうだい」
「…居酒屋とか…バーとか…」
「まあ、なんてことなの!結局水商売しかやってないんじゃない」
「まあ、でもちゃんとしたところだから。保険も入ってるし」
「ああ〜、お父さん。この子はなんて子なのかしら。とっくに結婚して子供が2、3人居てもおかしくない歳なのに。私もお父さんといっしょで、孫の顔も見れずに死ぬのね。お父さん待ってて、すぐそっちに向かいますから」
と母は子供たちを呪いオイオイ泣く。
真澄、忍、和枝は返す言葉も無く、ただビールを飲んでいるだけだ。
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