4.大沢真澄

大沢真澄は1968年東京都で生まれた。

生家は日本橋で代々絹織物の問屋を営んでいた。父六郎は婿養子で、国立大学を卒業した後、商社に勤めた後、大沢家に入った。母陶子は3人姉妹の次女で、毅然とした女性だ。

真澄には弟が1人、妹が1人居た。姉弟仲はひじょうに良かった。良くも悪くも真澄が15歳になるまでは幸せな家庭であった。


大沢家は典型的な女系家族だ。真澄の父も婿養子だが、おじいさんも婿養子だった。そして大沢家を仕切る女性たちは祖母、母、真澄と3代続く宝塚歌劇団の大ファンだった。

その影響で真澄は中学生になると宝塚歌劇団に入団したいと強く思うようになった。幸い真澄の身長はかなり高く172cmもありルックスも良かった。

真澄が母に相談すると

「あなたは一応この家の跡取りだからダメと言いたいところだけど、試験だけでも受けてみたら」と理解を示してくれた。

真澄は父に付き添われて大阪まで行って宝塚歌劇団の入団テストを受けてはみたがまったくダメだった。その頃から宝塚は女子の憧れとなり、入団テストのための準備が必要となっていた。まったく準備なしで行った真澄はハナにも掛からなかった。またなぜかこの年の合格者は後年女優となるようなトップスターがゾロっといた。それも不運であった。


宝塚歌劇団の入団テストは落ちてしまったが、真澄の心中には華やかな芸能界でスポットライトを浴びるという願望がメラメラと燃え上がっていた。

もともとそんなに積極的なタイプではなかったのだが、大阪まで新幹線に乗って出掛けるという経験が眠っていた本能に火を点けたようだ。

大手の芸能プロダクションのオーディションを受けたがそこでは優勝出来なかったが、それを見ていた他の芸能プロダクションからスカウトされた。

「あなたはこの家の跡取りなんだから、キチンと大学行ってキチンとしたお婿さんもらってちょうだい」

芸能界デビューしたいと母に告げると予期した答えが返ってきた。

「でもお母さん、なんとしてもやりたいの。ネッ、分かって」

「絶対だめです」


真澄は家出同然に芸能プロダクションの寮に入った。高校は芸能科がある高校に転校した。高校の授業料は父がこっそり払ってくれた。

晴れて真澄は17歳で今野みゆきという芸名でアイドルデビューした。

しかしまた不運が訪れた。

真澄は売れなかった。なぜかというと、その頃からおニャン子ブームが起きて、正統派のアイドルは時流から外れたからだ。

そのおかげで真澄はアイドルとしての仕事がほとんど入らなかったために優秀な成績で高校を卒業できた。奇しくも母の望む通りになった。

それでも真澄は芸能界にぶら下がった。

声優になろうと思った。高校卒業と同時に最初にスカウトされた芸能プロダクションは解雇された。ツテを頼って声優のプロダクションに所属した。

そこでは細々と仕事はもらいつつもギャラはメチャクチャ安かった。基本給は10万円、あとは仕事量に応じての歩合給だが、アニメの端役をちょっと読んでも、5千円くらいのギャラであった。

とても10万円とちょっとでは生活できないのでアルバイトをする。夜はだいたい居酒屋のホールで料理とドリンクを運んだ。

声優というよりはどちらかというと居酒屋の店員が本業になった。

そんな謎のような生活が10年以上続いたある日事件がおきた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る