第19話 不本意な決着

 鏡面結界は受け流しに特化した魔術。だから当然、同時に多数の攻撃を受けると、それだけ防ぐのは困難になってくる。弾丸のような質量の軽いものはともかく、複数の竜巻に同時に攻撃されると、困難な状況に陥るのは必然だろう。

 おまけに――。

「っ!」

「主よ! 躱せ!」

 鏡面結界が砕け散る、竜巻の一房が私の元まで届く。

「ああああああっ!」

 気合い一閃!

 私は死力を込めて、ジョシュアの剣を僅かに押し戻す。ジョシュアはすぐに体勢を立て直し、私に強烈な一打を浴びせようと、剣を振り上げた。私は、少しだけ生まれた千分の一秒の間で、間一髪術式を練り上げる。

「神の砦!」

 私を黄金の障壁が取り囲んだ。ジョシュアの女神の加護を得た剣が結界と接触すると、ほんの僅かの抵抗を与えるだけで、脆くも神の砦が崩れ去った。

 だが、戦いの場ではそのほんの僅かな時間こそが生死を分かつ時間である。

 ジョシュアの剣と障壁の触れ合う角度から私はその射程を計算し、紙一重で躱した。

「やるね!」

 嬉しげに目を細め、ジョシュアが口笛を吹いて賞賛を示す。しかし、もちろんこれで終わりではない。竜巻が私の脇腹目がけて、目と鼻の距離まで迫っているのだ。

 それを避ける術は――残念ながらなかった……。

 その変わりに、私は一言、魔法の言葉を呟いた。

「シュリエル……『狂歌』」

「……よいのか?」

「誰に言ってる訳?」

「……了解した」

 私は迫り来る衝撃に備えて歯を食いしばった。

 やがて、私の脇腹を抉り、貫くように囂々と渦巻く竜巻が潜り込んだ。

「ぎっ!」

 フワッと一瞬の浮遊感。

 それを私が自覚した時には、

「ぎっ! いっあああああああああっ!」

 私の身体は天高く、どこまでも舞い上がっていた。















 身体が鉛になったかのように重い。竜巻が直撃した脇腹からは血が止めどなく流れ、私の身体からは刻一刻と命の水がこぼれ落ちていくようだ。

「がっはぁっ!?」

 吐血した血液が宙に撒き散らされる。

 私は空を飛んでいた。身体が竜巻に押し流されている。しかし少しして、浮かぶ感覚から一転、落下する背筋の凍るような虚無感に襲われた。

 最早、私は自分がどうなっているのか、肌を伝うほんの僅かな感覚を通してしか認識できない。目の前は真っ暗で、その感覚が正しいのかすら理解できないでいた。

 そんな私の耳に、声が届いた。


『人の命のなんたる短き事か。ああ、儚き生よ。我が慈愛によって咲き誇れ!』


 それは、歌だった。


『遍くくだらぬ迷いは捨てよ。ああ、尊き生よ。業深き手を掲げて賛美せよ!』


 それは、女神の祝福だった。


『闘争せよ! 勝ち取れ! 勝利の先に人の世は開けん!』


 その声が私の心の中に、真綿に水を含むかのように浸透していく。私は目を開いた。世界は、空は、どこまでも青く、広く、美しかった。


『勝利せよ! 勝利せよ! 勝利せよ!』


「ああ、うるさっさいわね……」

 勝利する。そんなものは私にとって、当たり前の事だ。生まれたその瞬間から、私は勝者であり、私以外は敗者なのだから。そういう風に運命づけられているのだ。

 え、誰がそんな事決めたかって? そんなの――。

「――――私に決まってるじゃないっ!」

 全身の血管がブクブクと音を立てて膨張する。自己が拡大していく。千里眼に似た感覚だけど、その凶暴性は比べるべくもない。千里眼が浸食だとするなら、これは侵略だ。どこまでも暴力的に、相手のすべてを奪い尽くしたい。 


『我が元へ勝利をもたらせ!』


 シュリエルが最後の言葉を唱える。要するに、自分にために戦って死ねという意味らしい。まったく、酷い女神もいたものである。

 だが、女神であるシュリエルよりも、私の方が遙かに偉い。私は神だ。唯一神だ。少なくとも、私の中ではそうなのだ。

 私は私を信仰する。だから、決して折れることはないし、私自身を疑うこともない。


 最強! 究極! 無敵! 天才! 美少女!


「ふ、ふふふふ……」

 完璧すぎて、嫌になってくるくらいだ。

 今回の革命軍進行、リウリス残党の進行、不可解な事も多いが……、

「まっ、なんとかなるでしょう!」

 なんとかならなかった事なんて、生まれて一度もなかった。すべてはご都合主義。私が世界の中心なのだから、私に不利益になる事が起こるはずもない。

 一見不都合に見えても、結果的にそれが私のためになるのだ。世界はそういう風にできている。

「さぁ、世界よ……せいぜい私のために働きなさいっ!」

 それは私達にとって、裏技のようなもの。肉体へのダメージがあまりにも多く、また制御もできないために、ほとんど使用することはない。

 それが【狂歌】。

 女神シュリエルのもう一つの特性にして、最大の武器である。

 その加護を受けた人間は、あらゆる苦悩を取り除かれ、勝利だけを追い求める怪物に変貌する……。











「……終わったか」

 ジョシュアは風の加護を解き、剣を鞘に収める。ジョシュアが鞘に収めた剣を空に投げ捨てると、剣は夢か幻のように風に吹かれて消失した。

「案外、呆気なかったな」

 ジョシュアは僅かな悲しみのような感情を浮かべ、眉を伏せた。

 しかし――。

「っ!?」

 ジョシュアは空気の乱れを感じ、天を見上げる。そこには、完全に脱力しきった私の身体が唸りを上げて地面に激突しようとしていた。

「……馬鹿な……」

 ジョシュアが呆然と呟いた。

「僕の一撃は確実に手応えがあった。……あれを喰らって生きていられるはずがない……」

「くっ……ふははっくくっ」

 そう言われても、生きているものは仕方がないじゃないの。私は高揚し爛々と朱色に輝く瞳で、こちらを見上げるジョシュアと視線を合わせた。

「一体誰が……終わった? 呆気ない? それ、もしかして、私に言ったのかしら?」

「うっ!?」

 私の極大の殺意に、ジョシュアの足が僅かに竦んだ。それを今の私が見逃すことは決してない。

「今、怯えたわね? 私に……」

 余裕綽々と構えたいたジョシュアが初めて見せた怯え。私はその感情に、舌なめずりを抑えきれない。

 ジョシュアが再び抜刀の構えを見せる。私が易々とそうさせるはずもなく、私は空気を蹴って加速した。

「うらああああああっ!!」

 咆哮を上げながら、ジョシュアの身体目掛けて突っ込んでいく。ジョシュアが風の剣を生成すると同時に、音速を超える速さで私はジョシュアの首を掴む。

「ぐぅぁっ!」

 ジョシュアの苦悶も一瞬。ジョシュアの身体を私は背後に立ち並ぶ木々目掛けて投げ捨てる。ジョシュアの身体がまるで喜劇や冗談のように、唸りを上げて木々に迫った。その直前、ジョシュアは風の加護を得て事なきを得るものの、私が間を与えることはない。

「ほらほらほら! とろとろしてるんじゃないわよっ!」

 ジョシュアを守護する風ごと、私は蹴りつけた。

「ぎぃ……っ!」

 ジョシュアの身体がくの字型に折れ曲がり、風の防御もろとも、木々を粉砕する。

「まだまだこんなもんじゃないでしょ!」

 追い打ちをかけるように、ジョシュアの頭部を殴りつけようとして、私の拳は阻まれる。

「んん?!」

 ジョシュアは結界のように、風で自己を覆っていた。

「それがどうしたぁ!?」

 私は気合いを入れて、咆哮する。たったそれだけで、ジョシュアの風の防御が跡形もなく吹き飛ぶ。

 しかし、

「……油断は禁物だよ」

 息を荒げながら、ジョシュアはニヤリと頬を歪めた。

 私の周囲をいつの間にか、複数の竜巻が取り囲んでいる。

「殺れ!」

 ジョシュアの合図と共に、私に竜巻が殺到する。私は結界を張っていないし、シュリエルは天からじっとこちらを見下ろすばかり。

 竜巻によってどうなるかは、火を見るよりも明らかだった。

 そう、普通ならば……。

 凄惨な肉と骨が砕ける嫌な音が林に残響する。

「ありえない……」

 しかし、呆然としたのはジョシュアの方。私は陶然と微笑みながら、言った。

「私に不可能はないのよ」

 私の身体は悲惨な有様だった。右手と左足はひしゃげて変な方向へと複雑に折れ曲がり、、胸部には風穴が開いている。その風穴から、心臓がチラリと覗いていた。

 どう見ても致命傷であった。しかし、心臓は何の異常もないとばかりに、正常に作動していた。

「痛みも、恐怖も、何もないのよ……ああっ、私ってなんて素敵なのっ?!」

 歓喜に浸る。脳内麻薬が異常放出されて、興奮が止まらない。

 訳も分からず、ただただ自分が愛おしい。そこに、意味はなかった。ただ、勝利を追い求めるために、必要な力の充実だけが私を満たしている。

 そうこうしている間に、

「……」

 口をポカンと開けるジョシュアの眼前で、私の身体の傷がものすごい早さで再生していく。まるで時間を巻き戻しているかのように、数秒もすれば、私の身体はいつもの綺麗な姿を取り戻す。

「こ、このっ!」

 ジョシュアが焦ったように手を振るう。再び竜巻が殺到し、私の手足をちぎり飛ばしていく。

「あははははははははっ!!」

 しかし、そのたびに直ぐさま再生をする。たとえ頭を破壊されようと、心臓を破壊されようとも、それは変わることはない。

「いい加減……諦めなさい?」

 ジョシュアの怯え混じりの顔を私は無造作に殴り飛ばす。

「ぐっ! あっ!」

 それだけで、ジョシュアの身体は数十メートルの距離を吹き飛び、もんどり打って転がった。

 私が悠然とジョシュアに近づき、その襟首を掴み上げる。

 どんな顔を浮かべているのかと、その表情を覗きこんでみて、私は些か困惑した。

「っ……ふ、ああっ、あ、あはは、はは」

 虫の息ながら、ジョシュアが浮かべているのは間違えようもなく、笑顔だったから。

「何、笑ってんのよ」

 それが気に入らなくて、私はついつい声をかけてしまう。

「……君は、やっぱり……いいなぁ……そう思ったのさ……」

「はぁ……」

 私は嘆息した。この期に及んでこの言葉。まったくもって嬉しくない。

「私は自分を殺しに来る人間なんて大嫌いよっ」

「……僕はね……君の……そういう不満そうな顔が……好き……なのさ……」

「趣味悪!」

 私を愛さない人間に価値なんてない。だけど、私を愛していても、私の利益にならない存在にも、価値なんてないのだ。

「ま、ともかく終わりね。でも、……そうね。もし死んでなかったら、あんたを私の下僕にしてあげるわ」

 女神持ちの戦力がいれば、私も非常に楽になる。いずれ殺すことにはなるだろうけど、別段今すぐ殺す必要もなかった。

 私はジョシュアをその程度には評価している。

「それは……ありがたい……ね」

 ジョシュアは表情を和らげる。そのボロボロでどうしようもない顔は、なんとなく悪くないなと思った。 

 私はジョシュアの身体を軽く上に投げる。

 その身体が目前まで落ちてくるタイミングで、私はジョシュアの鳩尾に、紛う事なき殺意を込めて、拳を打ち込んだ。

「――――っ」

 風が吹いた。

 ジョシュアの身体は声もなく、林の奥へと姿を消した。

 同時に、天を貫かんと猛っていた竜巻が、消えた……。

「っ!」

 ジョシュアの死に顔を拝むため、倒れ伏した背中を視界に納めた辺りで、私は膝を地面についた。足だけでなく、全身の筋肉という筋肉が悲鳴を上げて笑っている。頭がボーとして、酷く怠い。シュリエルの士気向上の副作用は、何度経験しても慣れる兆候すら見られなかった。

「……う、うぁ……」

 すぐ傍には、血溜まりの中をジョシュアが泳いでいた。普通なら間違いなく即死している傷を負いながら、まだ呻き声を上げることにできるタフさには感心してしまう。私はなんとか立ち上がると、ジョシュアに近づき、今度こそ止めを刺そうと腕を振り上げる。

 だが――。

「くっ、ふっ……あぁっ!」

 指先に魔力を込めようとした瞬間、脳に激痛が走った。典型的な魔力切れの兆候だった。

「こんなぁ……時にっ」

 あと一瞬でカタががつく。だというのに、もう僅かの力も魔力も残っていなかった。それだけジョシュアが強かったという事だ。しかし、同時に私がまだまあ未熟であるという証拠でもあった。

「情けないのぉ……」

 降りてきたシュリエルが「ふぅ」と呆れたように溜息を吐いた。

「……うっさ……ぃ」

 私はそれに満足に反論もできない。 

「……ぁ……ぅ」

 やがて、私の意識は深い闇の中に飲み込まれていくのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る