第17話 捨て駒
「私達の命も今日までか……」
「儚い人生だったぜぇ……」
とりあえず集合した密偵達は、アーシア姫に命じられた無理難題を実行するための方策を練っていた。その口々から自然と、弱音が漏れる。
彼、彼女らを励ますように、ヴァネッサは声を張り上げる。
「諦めるのはまだ早い! 生き残るために皆で考えましょう!」
よく人形のようだと言われるヴァネッサであったが、その内心には熱い心を抱えている。幼少期から連日行われ、多数の死傷者を出した訓練のせいで、いつからか満足に笑う事もできなくなってしまったが、ヴァネッサの仲間を思う気持ちは本物だった。
「で、……具体的にどうするんだよ」
ブラドが声を上げた。ヴァネッサとは同期で、ずっと同じ部隊に所属している。言うなれば、腐れ縁のような関係。そこに蜜のような甘いものはないが、そういった関係にヴァネッサは心地よさを感じている。
「早くしないと、姫様が焦れてラウド地区ごとやっちまうぜ? それに革命軍に時間を与えると、それだけ任務が困難になる」
アーシア姫は口でこそラウド地区に配慮を見せるような事を言っていたが、時間が経てばどうなるか分かったものではない。
「そうね……」
軍において才能なしと判断されたヴァネッサ達ではあったが、それは異常にレベルの高いリヴァリア軍だからであって、普通の軍なら主力として通用する自信があった。しかし、相手は一万近い軍勢だ。その大半が素人同然だとしても、十人やそこらのヴァネッサ達でどうこうできる訳がない。
「特攻……しかないか」
ブラドの言葉に、ヴァネッサ達の誰もが沈黙する。実際に、それ以外に策はない。ヴァネッサ達が追い立てようとしているのは羊ではない。女神持ち率いる相手だ。生半可な覚悟では通用しない。
「それか、いっそ逃げちまうか」
「馬鹿……」
ヴァネッサはブラドの頬をつねる。
「冗談だっての。敵前逃亡すればどうなるかぐらい……分かってるさ」
敵前逃亡は軍法会議なしの即死罪。リヴァリアの兵士は敵に背を向ける腰抜けを決して許さない。
「なら、覚悟決めて行くっきゃないか……」
皆が重々しく頷いた。本当なら今こうして話している時間さえ惜しい。
「順番はどうする? ……コインで決めようか」
返答も待たずに、ブラッドがポケットからコインを取り出して宙に投げた。それを手の甲で受け止め、ヴァネッサ達に問うた。
「さぁ、表か……裏か……」
皆で一斉に、無作為に追い立てても、効果は薄い。実際にやることは特攻だが、大多数を相手にする関係上、連係が大きく重要でもあった。その点、長い付き合いであるヴァネッサ達にこの任務はピッタリと合っていたとも言える。
まず、私達の班で最年少の少年、ユリウスが先陣を務めた。
「はあああああああああああああああああああっ!」
恐怖を吹き飛ばすように、自分を鼓舞するようにユリウスが側面から革命軍に襲いかかる。ナイフに夜闇をキラリと反射させ、ユリウスはどんどんと革命軍との距離を詰めていった。
対する革命軍は、突然の襲撃に少なからず動揺していた。声の元を探すために顔を左右に振っている。暗闇に慣れていないようで、ユリウスがすぐ傍に接近するまで気づかれることはない。
やがて、距離は零になり――。
「っりゃ!」
ナイフの切っ先が、革命軍の女の首に突き刺さる。その後もユリウスは、素早く女を蹴飛ばし、二人三人と仕留めていく。
「動揺するな! 落ち着いて対応し――」
ろ、と言いかけた男の首筋に、矢は突き刺さった。鎧の隙間を縫うような精密さ。馬上から先導していた男が、土の上に崩れ落ちる。
「……よし」
ヴァネッサは僅かに口元を緩ませる。
先導役と思わしき男の死によって、革命軍の混乱は最高潮に達していた。軽装備の女達が縦横無尽に逃げていく。その逃げた女をヴァネッサ達は巧みな連携で次々と仕留めていった。
革命軍は逃げられないのを悟り、誘導されている事に気づくこともできずに、ヴァネッサ達の思惑通りに後退していく。
だが――!
「ぐっ……はっ」
ユリウスの呻きが響いた。ドキリとヴァネッサの鼓動が跳ねる。まだ声変わりもしていない瑞々しい声が苦悶に揺れていた。その胸元には剣が深々と突き刺さっている。
最年少のユリウス。まだ幼いのに、リヴァリアの騎士になると意気込んで、希望を捨てていなかった。夢を諦めて挫折したヴァネッサ達もユリウスを応援し、いつか花開くその日を信じていた。そんなユリウスが殺された。未来を絶たれた。怒りにヴァネッサの心が燃えそうになる。
「ユリウス!? こんのおおおっ、よくもおおおおおおおっ!」
ユリウスと特別仲の良かったリサが、仇をとろうと連係を捨てて踏み込む。
「リサ! 戻りなさい!」
リサの行動によって理性を取り戻したヴァネッサの制止が虚しく響いた。怒りに我を忘れたリサは足を止めることなく、ユリウスを殺した鎧の男に飛びかかった。その額に、ヴァネッサのお株を奪うかのような正確な射撃。矢に貫かれた反動で、リサの身体が僅か、宙を浮いた。ヴァネッサの視界の先に、矢をつがえる女の姿。その女には鼻がなかった。
「私達の仲間を……よくもやってくれたね!」
怒りと悲しみに咆哮しながら、鼻のない女は矢をヴァネッサに向け、放つ。その動作には予備がなく、あまりにも華麗でスムーズな流れであり、ヴァネッサは一瞬だけ見とれてしまう。しかしすぐに我に返ると、首を軽くクイッと横にずらして矢を躱す。矢の射線から逃れるために不規則に動き回りながら、ヴァネッサは矢を番え、放つ。
ヒュンッ!
軽い音と共に、矢が鼻のない女に迫る。ただでさえ視界の悪い林の中、それも暗闇だというのに、女は身に着けていた籠手で軽々と矢を地面に叩き落とした。
鼻のない女が手を前に突き出す。
進軍の合図だと、すぐにヴァネッサは悟る。
同時に、鼻のない女の背後から、軽装の女達がこちらに向けて駆けてきた。
「「「たあああああああああああああっ!」」」
その動きは決して速いものではない。ヴァネッサや鼻のない女からすれば、子供が遊んでいるようなものだ。
しかし、何分数が多い。木々の間をすり抜けて、視界いっぱいの女達が片手剣を手に襲いかかってくる。
ヴァネッサはその間にも一人、二人、三人、四人と正確に射撃するも、女達に怯む様子はなかった。憎しみをその瞳に浮かべ、鬼のような形相でヴァネッサ達に殺意を向けていた。四方八方から襲いかかる冷たい死の刃に、ヴァネッサの頭の中が真っ白になる。
「ああ……」
ヴァネッサは悟る。彼女たちはリサと同じなのだと。ヴァネッサは、憎悪という感情を弱い人間が持つものだと思っていた。それは事実で、リサはその結果死んでいる。だけど、今の状況はどうだろう。弱いはずの女達は集団となってヴァネッサ達を殺そうとしている。ヴァネッサは始めて、積み重なった憎悪の恐ろしさを理解した。
密偵だったヴァネッサが知った事。それは『敵』というもの。憎悪を抱き、死を恐れず。死にものぐるいで自分たちに『死』を運ぶ存在。それを踏み越えない限り、リヴァリアの騎士になんてなれるはずがなかったのだ。ヴァネッサには結局の所、覚悟がなかった。口だけの覚悟だった。だから、こうして窮地に陥った時に簡単に諦めてしまう。
勝利の意識が恐怖を乗り越えることができない。
「呆けてるんじゃね!!」
「っ!?」
そんな諦観にも似た表情を浮かべるヴァネッサの横を、ブラッドが通り過ぎる。ブラッドは女達に突っ込むと、女達を次々に血祭りに上げていく。殺す毎に血が吹き荒れ、ブラッドの身体を汚していく。まるで死のダンスのようだった。
「呆けてるんじゃねぇって言ったろ! 援護しろ!」
「え、ええ!」
ヴァネッサはブラッドの背後から片手剣で突き刺そうと構える女の心臓に矢を打ち込む。それでも、戦況は圧倒的に劣勢で、ブラッドがじわじわと後退してくる。それはブラッドだけでなく、他の生き残っている仲間も自然と寄り集まった。
「キリがないな……」
ブラッドが毒づく。その全身には切り傷が刻まれていて、血がダラダラと零れていた。ブラッド以外も、ヴァネッサを除いて、まさに満身創痍といった体だ。
ヴァネッサ達はそれぞれ背中を預け合う。それを囲むように、女達が幽鬼のように立ちふさがる。その表情に、ヴァネッサはふいに違和感を覚えた。
「ねぇ、ブラッド」
「なんだよ、こんな時に。諦めの言葉は聞きたくないぞ?」
「言わないわよ……そんな事。少し気になる事があっただけ」
「なんだよ?」
じりじりと、女達とヴァネッサの距離が縮まる。ブラッドはヴァネッサに、早く続きを言うよう視線で促す。
「あの女達の顔……どこかで見たことない?」
「ん?」
ブラッドが目を細める。
「例のやつで顔に酷い傷はあるが……特に他には……あ!」
最初こそ怪訝な顔をしていたブラッドが目を見開いた。
「あの生気のない表情……女神様に士気向上の術をかけられた私兵隊の顔とそっくりだ……」
その時、
ヴァネッサの脳裏に、声が届いた。
――ご苦労様。
それが誰の声で、どういう意味を表しているのか、ヴァネッサはすぐに理解した。理解してしまった。もし一人なら、ヴァネッサは怯えてへたり込んでいたかもしれない。
だけど、ヴァネッサの傍には、信頼に値する男がいた。
「…………ブラッド」
「ん?」
ヴァネッサは無理に笑顔を形作る。
「私ね……もしかしたらブラッドの事、好きだったのかも」
その時ばかりは、いつもの無表情を保てなかった。皮肉にも、こんな絶体絶命になって初めてヴァネッサは笑顔の作り方を思い出したのだ。
ヴァネッサの奇妙な笑顔を見たブラッドは目を丸めて、吹き出した。ヴァネッサが静かに睨むと、ブラッドは感慨深げに言う。
「お前の笑顔がもう一度見られて良かった。あと……な? 俺はずっとお前の事が好きだったよ」
ヴァネッサは今度こそ、本物の作られていない笑顔を浮かべた。「嬉しい」と呟き、 目尻から一筋の涙を零す。
リイイイイイイィイイイイイイイイイイイイイイイイイイイィイイイイイイイイイイイインッッ!!!
二人を祝福するように、夜闇が照らされる。目を開けていられない程の白光がラウド地区の地面を抉り飛ばし、林をなぎ倒し、消し去りながら迫る。
それをヴァネッサ達のみならず、革命軍すらも手を止めて、呆然と眺めた。
ヴァネッサとブラッドは手を握って、静かに目を閉じた。
しかし、
一秒――――二秒――――三秒――――…………。
どれだけの時間が経とうとも、お互いの体温、感触が消えることはなかった。
「あ……」
先に目を開いたのか、ブラッドが声を上げた。
釣られてヴァネッサが目を開くと、そこには――。
「嘘……」
天高く、どこまでも渦巻く竜巻が、壁となって破壊の光を妨げていた……。
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