第16話 疑念

「……くそっ」

 思わず私は吐き捨てた。堤防の上から視力強化して、南南西の方角を目を皿のようにして見つめるが、そこにリウリス帝国の残党の姿を見つけることはできない。同じく、千里眼でも姿を捉えることはできなかった。恐らくは森の中を大きく迂回するルートを通っているのだろう。同じ攻撃を受ける程、敵も馬鹿じゃないという事だ。


 残党が通ると想定されるリヴァリアへのルートは三つだけ。一つは戦略級術式を避けるために南南西から大きく迂回して、毒蛇や毒虫の多数生息する入り組んだ森を通って、流通用にセフィエド地区に設置された橋を渡ること。

 もう一つは川を泳いでくることだ。この世界において、水源は貴重だ。もし川に術式を打ち込んで干上がったり、不純物が混じったりすると最悪である。

 最後はリウリスが七割の兵力を失う原因となった北の平原側を通るルート。ここは見晴らしがよく、進軍するには最も適している反面、私の術式を遮るものがなく、また運良く突破したとしても、その先に待つのはリヴァリア守備隊の駐屯地である。

「本当に残党は城下町側から来てるの?」

 無法の乱闘、乱戦は敵も避けたいはずだ。立地上、リヴァリアは小高い丘の上にあり、周囲を見上げんばかりの堤防と川に囲まれている。確かにセフィエド地区側にある橋を渡れば、その後はずっと楽になる。だが必然、それまでの移動距離は果てしなく長くなる。リウリス帝国は死に体のはずだ。本国からの支援も期待できないはず。それにもかかわらず、どうやって十万もの兵の補給線を確保しつつ、難攻不落と言われる森越えに挑もうというのか……。

「開拓ルートに出てきてくれれば狙い撃ちにできるのに……」

 焦れる。そこに敵がいるのは分かっているのだ。流通用に国を挙げて作った森を二分する開拓ルートに出てきさえすれば、すぐに勝負はつく。

「もう限界でしょうにっ……」

「奴らも必死であろう。本国はリヴァリアに抑えられ、もう敗走は決定的だ。憎しみは人から疲労を忘れさせる」

 腕を組んで飄々とシュリエルが言う。

「それにも限度ってものがあるでしょ……」

 私が以前迎撃したリウリス帝国の兵を十万も殺し損ねていたはずがない。リウリス帝国は七割の軍を派遣していたはずだから、必然的にその残党とやらは後発部隊という事になる。リウリス帝国はすでにほぼリヴァリアが手中に収めている。その際に、戦闘に発展することはなかったはずだ。つまり、リウリス帝国はリヴァリアの軍に抵抗することなく、最後の頼みの綱であった後発部隊を送り出したという事になる。

「一体どうして……」

 意味が分からない。この十万の兵で籠城をしていれば、少なくともかなりの期間を持ちこたえることができたはずだ。時間を稼げれば、同盟国に支援要請するなりして、逆転の道を模索することも可能だったのだ。

 それにも関わらず、生命線を自ら放棄した理由はなんだ? 何より、革命軍の進軍といい、あまりにタイミングがよすぎる。

「……きな臭くなってきたわね……」

 革命軍の女神持ち――確かジョシュアといったか。あの優男はそれなりに名の通った魔術師だったはずだ。よもや、リウリス帝国の残党と何か関係しているのだろうか。

 まぁ、とにかく今は――。

「まずは与しやすい革命軍を狙うわ。ミリー、革命軍の位置は分かっているのよね?」

「はい。密偵から十分おきに念話が届いております。推定総軍一万弱。現在位置はセフィエド地区の真上に位置するラウド地区です」

  ミリーは淀みなくそう答える。

「私兵はいざという時のために待機。ミリーはお父様にリウリス帝国の残党の件を伝えて、リヴァリア軍を動かせるように話をつけて」

「畏まりました」

 私兵達の運動と演習がてら、革命軍にぶつけようという思惑は崩れ去ってしまった。せっかく私兵が女神持ちを相手にどこまでできるか見るチャンスだったというのに本当に残念だ。

 ミリーは堤防の上に刻まれた転移陣の上に立ち、そこに魔力を込める。ミリーの周囲の空間が目映い光源に覆われて、ミリーはその場から消える。リヴァリア国内には、こうした転移陣の刻まれた転移ポイントが複数存在している。転移ポイント外からも、もちろん転移は可能だが、一々転移陣を刻むのは手間がかかって面倒なのだ。また、もちろんこれは誰もが知っている情報ではない。

「よしっ」

 ミリーの後に続いて、私も転移陣の上に乗る。そこに魔力を流し込むと、頭の中にいつくものイメージが伝わってくる。これはそれぞれの位置に刻まれた転移陣に宿る微弱な波長によるものだ。私はその中からラウド地区のものを選択し、魔力を一気に注ぎ込んだ。

 瞬間、私は光に包まれる。

 ラウド地区に私が到着すると、ミリーから連絡を受けていたのか、密偵の一人が近づいてくる。どこまでも無機質で表情のない機械のような少女。キビキビとした足取りで、私の前に少女は跪く。

「お待ちしておりました、姫様」

「挨拶は結構よ。この辺りで一番見晴らしの良い場所に連れて行って」

「了解致しました」

 少女は立ち上がると、私を誘導する。

 およそ五分ほど歩いて、私はとある建物の屋上に案内される。ラウド地区にて、一番とされている高級宿だった。

「――視力強化」

 風が強く、私は無造作に揺れる髪を抑える。いつの間にか陽は傾いてきて、周囲を暗闇が飲み込もうとしていた。

 私は拡張させた視力を頼りに、密偵の指さす場所を丹念に探っていく。

 そして、

「見つけた……」

 木々に隠れ、いくつかのグループに分かれて周囲を警戒しながら移動する一団を私の視界がついに捉える。ここまで一体リヴァリアの軍は何をしていたのか。革命軍に攻撃や妨害を受けたような様子はなく、警戒はしつつも、どこか悠々とした雰囲気が漂っていた。

「鈍ってるわねっ!」

 近年は骨のある相手が襲ってくることが少なかった。私の威光に恐れを成して、小競り合いが精々だ。そのせいで、リヴァリア国軍には危機感が足りていないようだ。私が国を手に入れた暁にはもう一度、一から徹底的に鍛え直してやらなくては……。

「貴方、念話使えるわよね?」

 密偵の少女に尋ねる。密偵は相変わらず無表情で頷いた。

「なら、他の密偵に側面から革命軍の一団に攻撃を加えるように指示なさい」

 密偵の眉がほんの僅か、普通の人間なら気づかない程度に顰められた。

「我々はもちろん戦闘面の訓練も受けています。しかし、満足いく成果を出せずに密偵という仕事を与えられました。そんな我々十人足らずでは、いくら相手が素人同然とはいえ何もできないと思うのですが?」

「は?」

 私は密偵のお腹に蹴りを入れる。

「っ……う、うぅ……」

 密偵がお腹を押さえて蹲るのを冷めた目で私は睥睨した。

「誰に意見してるわけ?」

「も、申し訳……ございませんっ」

 ダラダラと脂汗を流しながら、密偵は必死に頭を地面に擦りつけて謝罪する。ミリーならともかく、密偵風情が私に意見など、不快以外の何者でもなかった。

「誰もあんた達が革命軍を一掃できるとは思ってないわよ。ここから術式を放ったんじゃ革命軍だけじゃなくて、ラウドの街まで焼き払っちゃうでしょうが。あんた達の役目は身体を張って被害の少ない地点まで革命軍を追い立てることよ。付け焼き刃の訓練をしたとしても、所詮烏合の衆。目の前で何人か死ねばすぐパニックになるわ」

 私は指さして示す。

 そこは、ラウド地区の大通りだった。陽が落ちて暗くなってきたのもあって、すでに人通りは少ない。その大通りを通る射線上に革命軍を誘導してくれさえすれば、全滅とはいかないまでも、多大な被害を与えることができる。

「っ」

 人形のようだと思っていた密偵の少女の表情が、始めて歪んだ。それは、明確な怒りを宿している。

「つまり、我々に死ね……と?」

「そうは言ってないわ。私は追い立てて誘導しろと言っているの。それさえできれば、すぐに逃げてくれて構わないわ」

 まぁ、十人足らずで一万近い革命軍を誘導しようとすれば、相当大胆な方策をとらないと無理だろう。たとえば、身体に爆弾を巻き付けての自爆攻撃……とかね。

「やり方はまかせるわ。……ほら、早く取りかかりなさい」

 地面を見たまま動かない密偵を煽る。密偵は唇を血が出るほど噛みしめて、目を瞑った。念話を飛ばしているのだろう。

 密偵はしばらくそうして、目を開けると言った。

「私もそちらに合流してよいでしょうか?」

「好きになさい」

 一礼して、密偵の少女はその場から駆け出す。私は千里眼を発動させ、密偵の奮闘を見守ることにした。

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