第15話 急変
――それ以上、私は聞きたくなかった。
私は千里眼の同調を解く。フワッと実態に戻る奇妙な感覚。いつまで経ってもこれだけは慣れなかった。
「お父様……ゼペルお兄様……」
これだから千里眼を多用はしたくないのだ。革命軍を殲滅する準備のため、不確定要素を減らそうと改めて城内全域を千里眼で調査中、チラッとお父様の頭の中を覗くとコレだ。ふいに、知りたくない事も知ってしまう。こんな時ばかりは、両の目を抉りだしたくなる。
「なんで……」
そもそも、どうしてお父様とゼペルお兄様は私を危険視しているのか意味が分からない。私はお父様やゼペルお兄様に危害を加えたことなんてない。むしろ、肉親として多大な愛情を注いできたはずだ。私は身内には甘い。だから、お父様とゼペルお兄様があんな酷い事を考えていたとしても、どうこうするつもりはない。
ただ、寂しかった。
そんな折、部屋のドアがノックされた。
「姫様、ブルータス様がお会いになりたいとのことです」
「分かったわ。少し待って」
アンナに返事をして、私ははだけた裾を直す。目元を軽く拭うと、鏡の前でメイクを最低限整えた。
「いいわ」
そう言うと、ドアが開く。隙間から滑り込むようにブルータスが入室した。ブルータスは私の部屋を不躾に見渡すと「ふんっ」と鼻を鳴らし不快そうに眉を顰めた。
「相変わらず趣味の悪い部屋だ」
「乙女の部屋に来て開口一番それ?」
相変わらず失礼な男だ。私にこんな態度をとる存在をシュリエルを除いて、私は知らない。ブルータスは私の許可もなく、我が物顔で椅子に腰を下ろすとアンナに言った。
「おいメイド。紅茶を出せ」
「は、はい! た、ただいま!」
傍若無人な態度に面食らいながら、アンナはせっせと紅茶の用意をする。私はアンナに優しく言った。
「アンナ、私のもお願い。急がなくて、ゆっくりでいいからね」
「は、はいぃっ!」
何故だろう。余計にアンナが焦りだした気がする。まぁ、それは置いておいて――。
「何か用?」
私が問うと、ブルータスはたくわえた顎髭を撫でながら、殺人鬼のように鋭い目つきを私に向ける。やせ細った骸骨のような身体に加え、左目を眼帯で覆っているのがまたブルータスに異様な雰囲気を与えていた。
「報告に来ただけだ。例の件はちゃんと口止めしておいた。それで文句はないだろう」
「ああ、それ?」
私が興味なさげに言うと、
「何だ? ゼペル辺りから情報が漏れたか」
「…………なんで分かるのよ」
勘が鋭いなんて次元を超えている。ブルータスは、「お前とは観察力が違う」などと言って私を煙に巻くが、何か秘密があるに違いない。
「大方ゼペル辺りに絆されて、今頃シュティードリヒはお前をどう処分するか考えているんだろう」
「…………」
私は目を細めて、ブルータスを睨んだ。そんな私の視線をどこ吹く風とばかりに、ブルータルは落ち着き払った様子でアンナの入れた紅茶を啜る。
「……ミリーの入れた茶の方が上手いな……おいメイド」
「は、はい!」
射竦められて、アンナが硬直する。
「メイドを名乗るなら茶くらい入れられるようになれ。俺は無能すかん。精進しろよ」
「もっ……申し訳ありませんでした!」
アンナが、涙目になりながら深々と頭を下げる。
「ちょっと言い過ぎ……」
これではアンナがあまりにも可愛そうだ。私はフォローするためにお茶を一啜って、止まる。
「あー……」
これはなんというか……あれだ。
つい最近飲んだアンナのお茶の味と全然違う。恐らくは焦って蒸らし時間を間違えたのだろう。私は視線を彷徨わせる。たぶん無理にフォローすればアンナを恐縮させるし、ブルータスに馬鹿舌だなんだと言われるに決まっている。私は一瞬思案して、
「次は期待してるわ」
そう言うのが精一杯だった。ブルータスが嫌みに笑うのが視界の端に見えて、ムシャクシャする。
「用件が終わったのなら帰りなさいよ」
負け惜しみのように、私は言った。だが、ブルータスはゆったりと足を組み替える。
「例の件、覚えているだろうな?」
「ええ、もちろん」
ブルータスがタバコを咥える。アンナに火をつけさそうとしているのを私は慌てて制止した。
「ちょっと! タバコ吸うなら出てってよ!」
「ちっ」
舌打ち一つ。ブルータスは私を睨んだ。
まったく、私の部屋でタバコを吸おうだなんて、本当に何を考えているんだろうか。私の部屋がヤニ臭くなるなんて、想像するだにおぞましい。
ブルータスはタバコを握りつぶしてアンナに渡す。アンナは四苦八苦しながらタバコの残骸を受け取り、アワアワと狼狽えた。
「手……洗ってきなさい」
私の言葉に、アンナは頭を何度も下げながら退出する。アンナの退出と同時に、ブルータスは口を開いた。
「貴様が王位を継承すれば、その暁には今のむちゃくちゃな国策を見直す。俺の許可なしには新たな国策は承認されない。……間違いないな?」
「……ええ」
今のところはそのつもり。だが長い人生、何が起こるか分からない、私の王位継承と同時に安心したブルータスがポックリなんて事もあるかもしれないのだから。
「もし俺が王位継承と同時に死ぬなどと夢想しているなら諦めておいた方がいい。俺はまだまだ死なんよ」
「…………」
コイツッ……。
「どうした、瞬きの回数が多いぞ?」
「なんでもないわ。目に塵が入っただけ」
「そうか。それは大変だ」
ブルータスは肩を竦める。
今更ながら私は心配になってきた。本当にブルータスにお父様を裏切る気はあるのだろうか。お父様とブルータスは親友だ。生まれた頃から国を背負うために生きてきた。
「一つ……聞いても良いかしら?」
ゆえに、ここらで一つ、確かめておこう。
「なんだ?」
「どうして私に協力してくれる気になったの?」
王位を簒奪しようと思い立った時に、私が最初に声をかけたのがブルータスだった。正直、冗談交じりというか、ダメ元で声をかけてみただけだ。軽い調子で裏切りを持ちかける私に、ブルータスは二つ返事で了承を示した。
「理由は以前に説明しただろう」
「本当にあれが理由なの?」
「くどい。私はつまらん嘘は言わん」
「…………」
その時も私はブルータスに理由を尋ねていた。返ってきた答えは――。
『お前なら力で奪い取ることもできただろう。実の親を……人を手にかけることを迷う貴様を始めて俺は見た。……貴様にも、やはり人の心はあるのだな』
と、いったものだった。
確かに、私はお父様を殺そうなどとは思っていない。だが、私に協力する理由としては、あまりにも弱い。だって私は人間なのだから、人の心があるのは当たり前じゃない。
「ま、いいわ」
私は目を一度瞑ってチャンネルを切り替える。ブラウンの瞳が黄金に輝くと、私の精神はブルータスに同調する。その瞬間、僅かのノイズが意識に走るが、すぐに元通りになった。
「…………」
上辺だけでなく、念には念をブルータスの心の奥まで覗き混む。数分して、私は自らの肉体に帰還を果たす。
「……ブルータス、貴方を信用するわ」
「それは有り難い」
ブルータスは無表情で、まったく有り難がっているようには見えなかった。だけど、ブルータスの言った事が真実であるのは、千里眼で覗いた以上、疑いようのない事実だった。
「なぁ、アーシア」
「何よ?」
違和感のある呼び名。ブルータスに名前を呼ばれたのは、もしかしたら始めてかもしれない。
「こちらからも最後にもう一度問うておく。例の約束に相違はないな? …………また、王位簒奪を思いとどまる気はないのか?」
何を分かりきった事を……。
「ないわ!」
はっきりと私は口にした。
私はすべてを手中に収める。私の目に映る範囲にあるすべてのものを私のものにする!
「……理解した」
ほんの少しだけ、ブルータスが肩を落としたように見えた。この傲岸不遜な男に限って、そんな訳はないだろう。きっと私の見間違いだ。
立ち上がると、それ以上言葉を口にする事なく、ブルータスは部屋を後にした。
ブルータスと入れ違いにミリーがノックもなしに部屋に駆け込んでくる。一言文句を言ってやろうとするのを私は飲み込んだ。ミリーの表情は真剣だった。
「姫様! 革命軍が進軍を開始したそうです!」
なんだ、それだけなの? 大袈裟な……と私は思った。しかし、ミリーの発言はそこで終わりではなかった。その内容に、今度こそ私の背筋が凍り付く。
「同時に南南西よりリウリス帝国の残党十万が接近中! もう目と鼻の先の位置です!!」
「なんですってぇ!?」
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