第三章 策謀

第14話 獅子身中の虫

 リヴァリア王――シュティードリヒ三世は悩んでいた。その悩みとは、彼の一番下の愛娘であるアーシアについての事だった。

「ふぅ……」

 シュティードリヒは重々しい溜息と共に黄金の玉座に腰掛ける。装飾家の趣向を凝らした部屋。金の彫刻や、細々とした刺繍の入った絨毯がある。玉座の後ろには、リヴァリアの象徴である巨大な盾と月の紋章が飾られていた。 

 この玉座の間は、現在では聖人リヴァリアの間という高尚な名称で呼ばれ、玉座にはシュティードリヒしか座ることは許されない。もちろん、それはアーシアですら例外ではない。

「アーシア……」

 シュティードリヒは幼き頃のアーシアの笑顔を思い出す。素直で、何の邪気すらも垣間見せることのなかった時代。それがどうして、ああなってしまったのだろうか。

 盾と月の紋章から一目で分かるように、元々リヴァリアは好戦的な国家ではない。国家を築いた初代リヴァリア王は聖人として、尊敬の念を死後随分経つ今になっても向けられるお方であった。

 専守防衛が基本方針であり、決して先制攻撃を行うことはない。そういった行いが時代の移り変わりと共に次第に評価されるようになり、シュティードリヒが王位についたばかりの頃には『平和のリヴァリア』と称されていたのは、今となっては遠い過去の話だ。

 今ではリヴァリアは、アーシアのその場の感情に振り回される道具に過ぎない。リヴァリアを恐れる国、憎む国など、悪感情を持つ国家は数え切れない程に増えている。元が清廉なイメージだっただけに、裏切られたと思う人々の割合が非常に多いのだ。

 それでも、シュティードリヒはアーシアを切り捨てることなどできない。

 単純に自らの愛娘だという情がある。しかし、シュティードリヒはわがまま放題の娘をいつまでも放置する程に甘くはないという自負もあった。

 しかし、第二の力の問題。これが厄介であった。アーシア個人の力量は当然ながら、アーシアに徹底的に鍛え上げられた私兵はより厄介だった。人格が歪むほどの訓練を課せられ、薬物耐性や拷問を耐え抜く精神的な強さ。有事の際にはアーシアに従う女神の士気向上の効果によって痛みと恐怖を取り除かれるという悪魔の連鎖。

 それぞれが一騎当千の力を持ち、アーシアの私兵一万でリヴァリア国軍三十万に対抗できるのではないかという噂がまことしやかに囁かれていた。

 第三の問題は――。

「もう……遅いか……」

 時間の問題であった。

 死んだ命は決して戻ることはない。仮にアーシアを処断したとして、それで周辺国の心情が抑えられるとは到底思えなかった。彼らはもうすでに奪われているのだ。アーシアだけの問題ではない。平和的に解決しようとすれば、王族に連なる者すべての首を捧げなくてはいけなくなるだろう。

 それは、それだけは……。

「絶対にならぬっ!」

 シュティードリヒは拳を握りしめた。

 俗物と言われようとも、シュティードリヒは我が子らを心の底から愛している。アーシア以外にも二人の娘がいるが、シュティードリヒは誰も政略の道具にするつもりはない。二人の優秀な王子はシュティードリヒの誇りであり、愛する妻は庶民の生まれだ。

 その誰もがシュティードリヒにとって掛け替えのない存在だ。もちろん、アーシアとて……。

 悩めるシュティードリヒ。そんなシュティードリヒの心を癒やすように、リヴァリアの間、朱色の巨大な扉の前から快活な声は届く。

「父上、ゼペルです! お話したい事があり、馳せ参じました!」

「よい。入るがいい」

 シュティードリヒの頬が少しだけ緩む。門番によって扉が開けはなてられると、精悍な顔つきにブラウンの瞳と短く刈りそろえられた短髪。騎士の鎧を纏った青年が顔を見せた。

 シュティードリヒの嫡男。ゼペルだった。今年で二十三歳になるゼペルは、十六の時に自ら国を守れる力を持ちたいと騎士団に入団し、一兵士として尽力してきた。その功績が認められ、今年からリヴァリア第三遊撃隊を任せられている。その能力と、誰の懐にでも入り込めるあたりの柔らかさ、柔軟な感性から、シュティードリヒがいずれは己の玉座をと、特に目をかけている存在である。

 ゼペルは聖人リヴァリアの間に入るやいなや、開口一番に言う。

「父上! 革命軍の存在にはお気づきでしょうか!?」

 何やら酷く焦った様子のゼペルに、シュティードリヒは怪訝そうな表情を浮かべる。

「もちろん知っておるよ。しかしその革命軍とやらは多くが婦女子で構成されているというではないか。それほど脅威ではあるまい」

「ならば、その革命軍に女神持ちがいるという情報はどうですか?」

「……なに?」

 その言葉に、シュティーリヒは眉を寄せる。

「宰相の報告にはそんなものはなかったはずだ……」

 宰相――ブルータスは、シュティードリヒの親友であった。幼い頃から知り合い、シュティードリヒは国王。ブルータスは宰相となるべく教育を施されてきた。シュティードリヒが家族以外で誰よりも信頼を寄せる人物。

「やはり……そうですか……」

 ゼペルが言葉にも、表情にも苦渋を滲ませる。

「ゼペルよ……どういう事だ?」

 シュティードリヒの動機が早くなる。嫌な想像で脳裏が埋め尽くされようとしていた。

「私と懇意にしているメイドが話してくれました。ブルータス閣下は……アーシアの派閥に与しています……」

「…………っ」

 リヴァリア王国も決して一枚岩ではない。少なくとも、アーシア、次男のキュスター、ゼペル、そしてシュティードリヒ四つの派閥が存在していた。アーシアは言わずもがな。次男のキュスターに関しては、キュスター本人は穏やかで争いを好まない性格ではあるが、支援する貴族の数はゼペルよりも多い。最大勢力は当然シュティードリヒではあるが、国家の頭脳であるブルータスがアーシアに与するとなると、状況は非常に悪い。実権のみならず、とうとうアーシアがリヴァリアを本気で手中に収めに来たという事だろう。

 なにより――。

「何故だ、ブルータス!」

 親友の裏切りに、シュティードリヒは脳が焼き切れそうな程の怒りを覚えていた。

「父上……お気を確かに……」

「……分かっている」

 ゼペルの心配そうな顔に、シュティードリヒはなんとか己を取り戻す。悲しむのは後でもできる。今は国防が先だ。

「革命軍に女神持ちがいた場合、我らの被害はどの程度になると考えている?」

「恐らくは一割……最悪で二割といった所でしょうか。女神持ちは厄介ですが、革命軍自体は恐るるにたりぬかと……」

 女神持ちといえど、個人でできる事は限られている。

「という事は、その女神持ちはアーシアのような特殊なタイプではないという事だな?」

 アーシアほどの超長距離魔術が扱える者は非常に希だ。アレは戦争を遊戯に変えてしまう。

「ええ。情報が確かなら」

「ふむ……その情報源を教えてもらう訳にはいかぬか?」

 腕を組みながら、シュティードリヒは鋭い視線をゼペルに向ける。ゼペルは顔を僅かに背けて言った。

「申し訳ございません。それだけはご勘弁を。しかし、信頼できる情報元です。なんなら制約を交わしても構いません」

 制約とは、個人対個人、または個人対国、果ては国家間で結ぶ決して違えることのできない誓いの事だ。呪術的なものであり、日付、内容などを記した札を三日三晩漬け込んだ特殊な杯を互いに交わし、制約が守られれば消化されて消える。しかし、約束を違えると体内で毒に変わり、飲んだ者を死に至らせる。

 しかし、シュティードリヒはその提案を一蹴した。

「……いや、よい。ゼペルの言うことならば、信じよう」

 国王としては、万が一に備えて交わすべきだったのかもしれない。しかし、シュティードリヒは我が子くらいにはただの人として接したかった。

「ありがとうございます。ところで、父上――」

 ゼペスが表情を正す。普段と違った様子に、シュティードリヒは困惑した。

「どうした?」

 すると、ゼペスはとんでもない事を口走った。

「アーシアをこのまま野放しにしておいて、本当によいのですか?」

 その言葉にシュティードリヒは酷く焦る。

「こ、これ! 言葉がすぎるぞ! アーシアは胸の内に秘めておく内は何も言わん! だから、そういう事を口にするでないっ!」

「しかし父上! 今回の革命軍が決起した大きな理由の一つは、アーシアによる少女への理由なき暴虐ではありませんか! 多くの少女やその両親が今も悲しみに暮れております! もしマリナやソフィーが同様の目にあったら父上はどう思われるのですか!? 僕は……僕は絶対に許すことができないと思います!」

「っ」

 ゼペスが一息に言い切っり、シュティードリヒは圧倒される。また、ゼペスの言葉にシュティードリヒは深く共感していた。ゼペスの言うとおり、正義なき少女への虐待行為は、シュティードリヒとて心の底から嫌悪する事案だ。だが、我が身可愛さに今まで見て見ぬ振りをしていた。自分よりも遙かに若いゼペスにそれを気づかされるなど、恥ずべき事だ。でも、一番恥ずべきなのは、気づきながら何もしない事ではないだろうか。

「…………」

 シュティードリヒは深く考えこんだ。

 それをゼペスは黙って待つ。

 しばらく時間が経ち、ようやくシュティードリヒは口を開く。

 実の娘への反逆の言葉。

「ゼペス……すまぬ。ワシが情けないばかりにお前には苦労をかけるな」

「いえ……父上とリヴァリアのためならば、僕はどんな苦労も厭いません」

 ゼペスは笑ってみせた。シュティードリヒも無理に笑みを作る。

「お前の言うとおりだ。アーシアをこのままにはしておけん。革命軍を退けた後――」

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