第13話 救世主降臨

「革命軍は今すぐここから立ち退けーーーーー!!」

「「「立ち退けーーーーー!!」」」 

「革命軍は即刻解散しろーーーーー!!」

「「「解散しろーーーーー!!」」」

「お優しいアーシア姫殿下様の敵を許すなーーーーー!!」

「「「許すなーーーーー!!」」」

 もう一時間以上経つというのに、シュプレヒコールは一向に終わる気配を見せなかった。延々と同じ主張を繰り返すそれに、私はうんざりと嘆息する。

「さすがに飽きてきたな」

 いつの間にか傍に戻ってきているブレンナーさんの言葉で、私はピシッと背筋を正す。

「おいおい。夫の声を聞いて緊張するとはどういうことだ?」

「……すみません。ブレンナーさんの元で働いていた頃の癖が抜けなくて……」

 癖とは本当に厄介だ。仕事をもらうために背筋を正して、媚びを売っていた記憶が夫婦になった今でもなかなか消えなかった。

 ブレンナーさんが天幕の外をチラリと見て、太陽の位置を確認する。そして呟いた。

「そろそろだな」

「そろそろ……ですか?」

「ああ」

 その時――。

 うるさかった外のシュプレヒコールが、突如ピタリとやんだ。

 ソレを合図に、壁際に腰を下ろしていたオルガさんや談笑していた女性陣もすぐさま無駄口を止め、姿勢を正して入り口の前に整列する。

 ブレンナーさんが口元に微笑をたたえ、言った。

「ほら来たぞ、我らが革命軍の救世主様だ」

 天幕内に光が入る。同時に現れた数人の姿。その中心にいる人物がブレンナーさんの言う救世主様なのだろうが。

「え?」

 その姿は思わず、そんな拍子抜けの声が私の口から漏れるくらいに、頼りないどこにでもいそうな青年の姿だった。

「がははは! まっ、その反応になるのも無理はないか!」

 私の反応を伺っていたブレンナーさんが笑う。それに何か反論しようとする気も起きなかった。まさか私とそう年も変わらなく見える青年に、ブレンナーさんや他の女性達が命や命運を預けているなど、想像もしていなかった。

 いや、それだけではない。……今や、私もあの青年に命運をかけているのだ。彼が生き残らない限り、ジョセフィーヌさんに未来はないのだから。

「っ」

 私は今すぐにでも少年に駆け寄って、ジョセフィーヌさんを助けて欲しいと懇願したい衝動にさらされる。そんな私の気配を察したのか、肩にブレンナーさんの手がかかる。

「気持ちは分かるが、今は無理だ。あいつは今、リヴァリアに一泡吹かせるために常に魔力を編んで準備している。……それを発動させるまで、魔術は使えない」

「……っ、はい」

 分かっていても、気持ちは急く。ジョセフィーヌさんがいつまで持つかは不透明だ。

「安心しな。革命軍の準備はすでに最終段階だ。俺たちが呼ばれたのも、その合図のためだろう。目処が経ったってことだな」

「……そう、ですね」

 自分を強引に納得させる。革命軍は大義を成そうとしている。成功すれば、鬼姫から解放されて、数え切れない程の女性が救われるだろう。私の勝手で、命がけの彼らに水を差すような真似は、許されない。

「訓練はどうかな?」

「はい。滞りなく」

「そう。良かった。期待してるよ」

「はい!」

 革命軍の救世主たる彼は、オルガさんと何事か話していた。察するに、兵の練度のことだと思う。オルガさんは冒険者で戦いの経験も豊富なことから、革命軍の一部隊を与えられているらしい。戦闘に不慣れな女性も部隊に大勢いるとの事で、その事を聞かれたのだろう。

 彼はその後も天幕内で膝をつく女性に次々と声をかけていく。彼に声をかけられた女性達は一応に頬を赤らめ、瞳を輝かせて応対していた。

「…………」

「どうした?」

「……いえ」

 ブレンナーさんにはそう言ったが、内心複雑だった。女性達がどうして、この命がけの戦いに挑むのかが分かってしまったから。

 もちろん、顔を傷つけられた怒りはあるだろう。オルガさんのように、家族から何からすべてを奪われたのなら、なおさらだ。

 だけど、オルガさんのように家族にまで見捨てられた人は多くはない。むしろ、逆に家族から多大な支えを得ている人も多くいるらしい。

 それでも何故戦うのか。

 それは偏に、救世主である彼のために他ならない。

 私は彼の姿を見つめた。果たして彼は、自分が女性達を死地へと送ろうとしていることに気づいているんだろうか? また、私は彼に命運を預けていいんだろうか?

 そう深く考えている内に、彼は私とブレンナーさんの元へとやってきた。

「やぁ、ブレンナー」

 気軽げに、少年は言う。

「おお、ジョシュア! 以外と元気そうじゃねぇか。例の術は負担がかかるって聞いたから心配したぞ」

 ブレンナーさんは私にするのと同じように青年――ジョシュアの肩をバシバシ叩いて手荒い歓迎をする。

「まぁね。実際負担は大きいよ。だけど、それを女性達に見せるのはみっともないからね」

「違いねぇ! がははははっ!」

 そこで、ニヤリと意地悪げにブレンナーさんが笑う。

「女性といえば、外の女共はどうしたんだ?」

「不思議な事に、僕の顔を見た途端に逃げてしまったよ」

 二人は顔を見合わせて笑った。

「ところで、彼女が君の妻になった方かな?」

「おう、紹介するぜ! 妻のルミナだ」

 ブレンナーさんに促され、私はジョシュアさんに頭を下げた。

「は、初めまして。ルミナと申します」

「こちらこそ、僕はジョシュア・ゼルゲイノフ。ブレンナーとは旧知の仲なんだ。よろしくね」

 以外にも、ジョシュアさんは気さくな人だった。その事実に、私は少しだけ安堵する。

 ジョシュアさんに手を差し出され、私は慌てて握った。私とジョシュアさんの手が触れ合った瞬間、一瞬だけジョシュアさんが目を見開く。

「……あの?」

 ギュッと握られたまま、いつまでも離れる気配のない手。困惑と共にジョシュアさんを見上げるとハッとしたように彼は首を振り、手を離した。

「おいおい、なんだぁ!? 俺の嫁は渡さないぞ!」

 冗談交じりに眦を釣り上げるフリをしながら、ブレンナーさんがジョシュアさんの肩に手を回そうとする。それをスルリとジュシュアさんはすり抜けて、誤魔化す。

「別になんでもないよ。良い肌を持ってるなと思っただけさ」

「おお! お前もそう思うか!? ルミナの肌の具合は最高だぜ!」

 下品なブレンナーさんの言葉に、四方八方から女性陣の好奇の視線が突き刺さる。

「ブレンナーさん! 外でそういう事言うのはやめてください!」

 私が羞恥に耐え、俯きながら言うと、今度はブレンナーさんの矛先が私にやってくる。

「ほぅ? 外じゃなければいいのか?」

 サラリとお尻を撫でられた。

「ブレンナーさん!」

 少し強めに怒鳴ると、ブレンナーさんの動きが止まる。そして、縦にも横にも大きな身体を縮こめる。

「わ、悪ぃ……。調子に乗った……」

「あ、いえ……」

 分かってくれたならそれでいいんだけど。それにしても予想以上にブレンナーさんはションボリしていた。そういえば、ブレンナーさんのする事を強く拒絶したのは始めてだったかもしれない。

「なるほど。べた惚れだね。ブレンナーが甘えるなんて」

 オルガさんに続いてまた言われた。だけど、不思議と甘えられていると知って、嫌な感じはしなかった。ブレンナーさんの容姿が大きな赤ちゃんみたいだからかもしれない。試しにションボリするブレンナーさんの頭を私は撫でてみる。

 ナデナデ……ナデナデ……。

「っ」

 ブレンナーさんはほんの僅か動きを止める。私を見つめて、頬を緩ませた後――。

「な、なにしやがる!? 餓鬼じゃねぇんだぞ!」

 そう激高した、その頬は少し赤らんでいて、まったく怖くない。私は少しだけ、ブレンナーさんという人間を理解できたような気がした。

「はいはい。ご馳走様」

 ジョシュアさんが苦笑を浮かべる。ブレンアーさんは彼を追い払うような仕草をしながら言った。

「おら! いつまで見てやがる! とっととてめぇのやるべき事をやりやがれ!」

「あははっ、了解」

 爽やかな笑みを浮かべて、ジョシュアさんは私達に背を向ける。それを伺っていたジョシュアさんの部下らしい男性数名が天幕内の椅子と机を端に寄せた。

 ジョシュアさんは部下から椅子を一つだけ受け取ってその上に乗る。そして、私達を手招きした。私達は駆け足でジョシュアさんの前に自然と整列していた。一糸乱れない動き。ジュシュアさんはそれを強要していないのに、自然とそうしなければならない空気が天幕内には流れている。光景としてはまるで学芸会じみているのに、緊張感だけはいつの間にか息が詰まりそうに張り詰めている。気づけばこの場は、ジョシュア・セルゲイノフという青年に掌握されていた。微笑む彼を見上げていると、私はなんでもできそうな高揚感に襲われる。それは私だけではないようで、ジョシュアさんの言葉を今か今かと待ち望む女性達の頬の紅潮からそれが窺えた。

「コホン!」

 ジョシュアさんは咳払いを一つして。

「僕達は、たぶんリヴァリアには勝てない」

 そんな衝撃的な事を平然と言ってのけた。私達の間に、動揺が走る。女性の一人が手を上げた。幼げな可憐な容姿。だが、無残にも右目が抉られている少女だった。

「か、勝てないってどういう事でしょうか? ……私達は……死ぬんでしょうか……?」

 語尾が震えていた。言葉の内容から少女は前線に参加するのだろうか。

「いや、そうじゃない」

 ジョシュアさんは静かに首を振る。

「僕達の目的を忘れてはいけない。僕達の成すべきことは鬼姫――アーシア姫を打倒することだ。リヴァリアを滅ぼすことではないんだ。リヴァリアにおかしな法ができ始めたのが五年前。それまで、リヴァリアはごく普通の国家だった。そうだろう? ブレンナー」

 皆の視線が一斉にブレンナーさんに向く。ブレンナーさんはそれを当然のように受け止め、答えた。

「ああ、その通りだ。今でこそ外の国々から見て超好戦的と思われているが、アーシアが裏で実権を握り始める五年前までは、むしろ平和を指向する国家だったぜ。リヴァリア王も信頼に値するお方だった。まぁ、骨抜きにされちまった今となっては何とも言えないがな」

 ブレンナーさんが肩をすくめる。この場にいる女性達、恐らくはジョシュアさんも含めて、物心ついて少しした後くらいには、もう今の世の中だった。

 その頃の私なんて、少しの食料を恵んでもらうためだけに、地べたを這いずり回っているか、ジョセフィーヌさんの後ろをついていくだけの無力な存在だった。

 しかし、鬼姫は私と対照的に、その頃にはもう国の実権を握っていたというのだ。恐ろしいという言葉では、とても足りない。 

 「つまり、アーシア姫あっての昨今のリヴァリア王国なんだ。アーシアさえいなくなれば、昔のように戻る公算は高い」

  オルガさんが手を上げる。

「でも、そうなると国家の運営はリヴァリアの王族がこれまで通り行うってことだよね……ですよね? それは危険じゃないかい……ですか?」

 ぎこちないオルガさんの敬語に、ジョシュアさんは普段通り喋るよう指示する。

「ジョシュア様はともかく、私達女がやろうとしてるのは復讐さね。アーシアを奪われた王族が、私達や市民に報復を考えてもおかしくないんじゃないかい?」

 確かに、一理あった。だが、それをブレンナーさんが否定する。

「それはないと思うぜ。なにせ王族ですら自分の娘であるアーシアを恐れてるからな。さすがに喜びはしないだろうが……あのヘタレ共に大それた事ができるとは思えない」 

 王族は皇女三人に王子二人。鬼姫は年齢的には一番下のはずだ。それにも関わらず、誰もがこれまでアーシアのやってきた事に異議を唱えてこなかった……こられなかったのなら、私も大丈夫な気がする。ただ、ブレンナーさんのようにヘタレだとは思わない。だって、誰だって死ぬのは怖い。今日一日で膨らんだ私の頭の中の鬼姫は、親族だからと容赦する人だとは思わないから……。

「僕達は弱い。リヴァリアとの戦争になれば、呆気なく敗北するだろう。それは絶対に避けなければならない! これまで僕は魔術を通じてアーシア姫を観察してきた。アーシア姫は勇敢なお方だ。遠距離攻撃が主体だが、それに関しては僕が君たちを命を賭して守ることを約束するよ。得意の遠距離攻撃を防がれたアーシア姫はいずれ焦れて前線に出てくる。そこを狙うんだ」

 本当にそんなに上手くいくのだろうか。ジョシュアさんの言い分では、軍が出張ってくれば私達の負けは確定する。鬼姫も、私達の規模が大きくない事ぐらい把握しているだろう。軍を出せば蹴散らせるのに、わざわざ姿を現す必要なんてないはずだ。ジョシュアさんは鬼姫の性格も計算に入れているのだろうけど、さすがに博打が過ぎるような気がした。

 私の微妙な表情を目敏くジョシュアさんに見つけられる。

「ルミナさん、どうしたのかな?」

 見つけられたものは仕方がない。私は覚悟を決めて、しょうじきに言った。

「それでもリヴァリアが軍を出さない保証はないんですよね? その賭は危険ではないでしょうか?」

 私が言うと、ジョシュアさんは口元を少し緩めた。そして、自信満々に言う。

「保証ならあるよ」

「え?」

 私は呆気にとられる。

「保証ならある。そのための準備を僕達がしてきたんだ」

「…………」

 そう言い切られては、もう私達にできるのは信じることだけだった。次いで、実際の行動、作戦の説明の段階に入る。ジョシュアさんは視線を彷徨わせ、誰かを探す。少しして視線を止めると、その人物を呼んだ。

「ルシアナ、君の立案だ。君に任せるよ」

「ありがとうございます」

 上品に頭を下げて、集団の中からルシアナさんが出てくる。右顔面に仮面を被っているルシアナさんは、どこから見ても品の良いお嬢様にしか見えない。しかし、その下には皆さんと同じ消せない傷が確かにあるのだ。胸が痛んだ。

 それにしても、ルシアナさんが作戦の立案者とは驚きだ。頭の良さそうな雰囲気はあるが、女性が学を得るには難しい時代だというのに、それだけで尊敬に値した。

 ルシアナさんが皆の前に立つと、どこからともなく黄色い声援が飛ぶ。ジョシュアさんに向けるそれとは違って、敬愛するお姉さんに向けるような暖かな声。

 ルシアナさんが地図を広げるように指示をすると、ジョシュアさん補佐の男性が指示に従う。そのルシアナさんの一挙手一投足に注目がいっているのが分かった。

「ルシアナさんって本当に人気あるんですね……」

 なんとなく感じてはいた。だけど、声援が飛ぶほどとは思わなかった。

「ルシアナはね。数ヶ月前からの初期メンバーの一人なのさ。私と同じで年も一番上だし、皆の相談にもよく乗ってくれてる。ジョシュア様の人望もあるけど、私らがやっていけてるのはルシアナの存在も大きいのさ」

 何気なく呟いた言葉に、オルガさんがわざわざ近づいてきて、耳打ちしてくれる。

「……そうなんですねぇ」

 私とは、まるで違う。

 尊敬と、かすかな劣等感を覚えながら、私はルシアナさんの語る作戦に耳を傾けるのだった……。

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