第12話 憎悪の理由
「おーす」
「し、失礼します」
私はブレンナーさんの後に続いて、天幕をくぐった。町の外れに立てられた革命軍の拠点であり、そこにはすでに大勢の人が集まっていた。その視線が一斉にこっちを向いて、私はたたらを踏む。
「うっ」
「安心しろ。皆仲間だ」
ブレンナーさんに肩を叩かれて、少しだけ緊張が解れた。解れたついでに落ち着いて天幕内を見渡してみると、何故だか女性の姿が多く、私は面食らってしまう。
「女性の方が多いんですね」
「ん? ああ」
ブレンナーさんに聞いてみると、ブレンナーさんは何故だか微妙な表情を浮かべる。目を細め、立ち並ぶ女性達にどこか同情的な視線を向けていた。
「リヴァリアの女には例の儀式があるからな。鬼姫を恨む女が多くても仕方ないだろ」
「儀式……ですか?」
私もリヴァリアに住む女の一人だけど、思い当たることはなかった。疑問符を浮かべる私に、ブレンナーさんは驚いたように目を見開く。
「何だ、気づいてねぇのか?!」
といわれても、何のことだか私にはさっぱり分からない。ブレンナーさんは苦笑を浮かべて頭を搔いた。
「十五の誕生日に城に呼ばれただろ。スラム街の生まれのお前もたぶん行ってるはずだぜ」
言われて、私は思い出す。
「あ、はい。一度だけお城に招待されました。でも、一晩泊まって生まれて初めてのご馳走を食べた以外には……特に……」
何か特別な事があった訳じゃない。本当に、フカフカのベッドで寝て、ほっぺたが落ちそうなくらい美味しい食事を食べて感動しただけだ。あの時は仕事もまだ始めてなくて、世間知らずだったから、招待してくれた鬼姫にすごく感謝したものだ。
「そうか……普通の女にとってはそうだったのか……」
私の言葉を聞いて、ブレンナーさんは神妙に顎をさすっていた。
「どういう意味ですか?」
「ほら、あっちの女見てみろよ」
私が問いかけると、ブレンナーさんは徐に一人の女性を指さす。
「はぁ」
素直にそこを見ると、顔の右半分を仮面で覆った妙齢の女性の姿がある。顔は半分しか見えていないのに、それぞれのパーツの位置が絶妙で、一目で美人だと分かった。
「一見美人に見える。だが、仮面を外すとそんな言葉は出てこない」
「ど、どうしてですか?」
嫌な予感に喉が鳴る。恐ろしい想像が浮かんだ。
「顔の左側が焼け爛れてるんだよ。十五の時に鬼姫にやられたって聞いたぜ」
「っ!?」
衝撃に、私の痩身が震えた。
「そ、それは……招待された日ってことですか?」
「そうだ。お前の話と統合する限りでは、見目の良い女は十五の誕生日に、最後の晩餐じみた贅沢の後で……な」
「ひ、酷い……」
人の所業とは、とても思えない。平凡な顔の自覚がある私ですら、顔に消えない傷が入れば相当なショックを受けるだろう。それがあんな美人となれば、その心情の負担は計り知れない。
「…………」
それを聞いた上で天幕内を見渡してみると、確かに女性の多くは顔を布や仮面で隠している人が多い。中には堂々と晒している人もいたが、その目元には大きな抉れたような傷跡があった。
「お、鬼姫……」
美しい相貌とは裏腹に、心には恐ろしい鬼が住む毒婦だと噂はよく聞く。だけど、実感として鬼姫に恐怖を抱いたのは初めての経験だった。
「で、でも、どうしてそんな真似を?」
「さぁ、俺には皆目見当もつかん。女のお前の方が分かるんじゃないか?」
「い、いえ……私にも……分かりません」
鬼姫が醜女なら話は別だが、実際はそうではない。仮に醜女だとしても、実行できるかは別だ。美女に嫉妬した事ぐらい、私にもある。スラムにだって、生きる上で最低限のコミュニティーはあるし、女だけのグループも存在している。その中でのリーダー格は、やっぱり一番美人な女になる。何故なら、単純に美人な方がたくさん稼げるからだ。まともな仕事に就けないほど、容姿は武器になる。それを私は羨んだ。でも、だからといって、傷つけてやろうなんて思った事はなかった。
「っ!?」
そして、私はある事に気づく。
「もしかして、彼女たちが革命軍に参加してる理由って!」
「ああ……」
ブレンナーさんが重々しく頷く。
「復讐の……ためだろうな」
「…………」
私はもう、言葉もなかった。私が最高の一日だと思っていた裏で、地獄を見た女性達がいたことがショックだった。壁際に並ぶ女性達は一様に厳しい表情を浮かべている。口を一文字に結び、瞳は刃物のように鋭い。十五の誕生日からの彼女たちの絶望に彩られた人生が透けて見えてくるようだった。
「ゆ、許せないっ」
同じ女性にも関わらず、彼女たちの人生をズタズタにした鬼姫に怒りを覚える。
しかし――。
「何が……許せないだって?」
私の呟きを聞きつけた近くに立っていた女性が、私に近寄る。美しい整った相貌にただ一点の欠落。鼻が……なかった。その女性の所作は明らかな怒りで彩られている。
「えっと……あの……?」
どうして私が怒りを向けられているのか分からずに、困惑する。
「私達は鬼姫を絶対に許さない! だけどな、同時にお前みたいな奴も許せないんだよっ!!」
訳も分からず怒鳴られ、私は萎縮する。気づけば、目の前の女性だけでなく、四方八方から怒りの混じった視線を向けられていることに、私は気づく。
「……あ、……あの……その……っ」
「おいおい、勘弁してやってくれや」
私の目尻に涙が浮かぶ直前、私を視線から庇うようにブレンナーさんが前に出る。
「ブレンナーさん……」
ブレンナーさんの顔を見て、女性の鋭い目つきがやや緩んだ。ブレンナーさんは私に目配せすると言った。
「お前ら、この機会に紹介しておく! こいつはルミナ。俺の妻だ」
「妻……だって!?」
鼻のない女性が目を見張って驚いた。しかし、すぐにブレンナーさんに向ける表情も厳しくなる。
「ブレンナーさん。あんたには感謝してる。だけど、あんたもやっぱり普通の女を選ぶんだねっ!」
鼻のない女性は、そう吐き捨てた。明らかな嫉妬。背を向ける女性に、ブレンナーさんは慌てて駆け寄った。
「おいおい。勘違いするな。別にそういう訳じゃねよ。いいか、皆!」
ブレンナーさんは周囲を見渡す。
「ルミナはスラム街の出身だ。というか、俺と結婚した今も事情があってスラムで暮らしてる。お前らの因縁とは何の関係もない!」
私を取り囲む空気が、少し和らいだ気がした。
「…………」
私は何もできずに立ち尽くす。ブレンナーは先ほどの女性とまだ何か話している。しばらくして、件の女性は申し訳なさそうに、私の元へやってきた。
「すまないね……知らないこととはいえ、酷い事言っちまって……」
「い、いえ!」
「まあ、いろいろあるんだ私達も。あんたもずっとスラムに暮らしてて……家族を助けようと参加するんだってね……」
「は、はい」
ブレンナーさんが話したのだろう。
「じゃあ今日から同士って訳だ。私はオルガ。よろしくね」
女性――――オルガさんが手を差し出した。私は状況をまったく理解できなかったけど、とりあえず手を握った。
「よ、よろしくお願いします」
私はペコリと頭を下げる。
すると、オルガさんに続いて、静観していた女子達が次々に近づいてくる。「ごめんなさい」「勘違いしちゃったわ」「良い子なのね」口々にそういった謝罪の言葉を並べながら、私は握手を求められた。
「わっ、わっわわ!」
私はしっちゃかめっちゃかになりながら、なんとかそれに対応する。やがて、全員との挨拶が終わる頃には、私は肩で息をしていた。
「お疲れさん」
「わっ!」
疲労に肩を上下させていると、背中をブレンナーさんに軽く叩かれる。二、三歩よろけながら、私はブレンナーさんに恨みがましい視線を向けた。
「もう……ブレンナーさん!」
「がははっ! 悪い悪い!」
お腹の脂肪を揺らし、豪快に笑いながらブレンナーさんは心にもない謝意を示す。そんな私達のやりとりを見ていたらしいオルガさんが声を必死に殺して笑っていた。
「ぷっ……っくくっ……」
「わ、笑わないでください!」
恥ずかしくなって私がそう言うと、オルガさんが片手を上げて私を制す。
「っ……くはっ……わ、悪いねぇ……でも、あんたらのやり取りが子供みたいでさぁ……っ」
「うっ」
私の頬が赤らむのが分かった。指摘されるまでもなく、子供っぽいやりとりをしているという自覚はあった。ブレンナーさんと一緒になってからというもの、ブレンナーさんは事ある毎に私にちょっかいをかけてくる。それはちょっとエッチな事であったり、さっきのようなボディータッチであったりと、様々だ。私はブレンナーさんの知らない一面に、少しだけ困っていた。
「ふぅ……」
ようやくオルガさんが落ち着く。オルガさんはチラリとブレンナーさんを舐めるように見ると、口元をニヤリと歪ませる。
「まさかブレンナーさんが女に甘える場面が見られるとはねぇ?」
「……甘えてる……?」
私は横目でブレンナーさんを見る。ブレンナーさんは巨体を揺らし、私とオルガさんの視線から逃れるように、顔を逸らした。
「私……甘えられてたんだ」
「なんだい、気づいてなかったのかい?!」
オルガさんは呆れたような表情を浮かべると――。
「残念だけど、お似合いの夫婦みたいだね」
そう笑うのだった。
それから私は気まずそうなブレンナーさんそっちのけで、オルガさんとの会話に興じた。オルガさんはリヴァリアの出身だけど、今は冒険者として世界を回っているようで、いくつもの面白い話を聞くことができや。中でも、オルガさんがブレンナーさんに一目惚れをした時の経緯は非常に心惹かれるものがあった。
「え、オルガさんもスラム街に!?」
オルガさんは一時期、スラム街で暮らしていたことがあったというのだ。
「ああ、この顔になっちまってから両親の態度が急変してね……人買いに売られたんだよ。あの人らはお綺麗でお上品だった私しか愛してなかったんだろうね」
「そんなっ……」
声が詰まった。顔を傷つけられただけに飽き足らず、両親にも捨てられるなんて……。あまりにも悲しすぎる話だった。
「おいおい、泣くなよ」
「あっ……っ、ご、ごめんなさい!」
いつの間にか零れていた涙をオルガさんに拭われる。
「いいよ。親にすら捨てられた私のために泣いてくれる子がいるなら、頑張って生きてきた甲斐があるってもんさ」
「オルガさん……」
どれだけオルガさんは強い人なんだろうか。私とは全然違う……。
「まっ、そんな訳で目出度く奴隷になった私だけど、そんな私を買ってくれたのがブレンナーさん。ブレンナーさんはね。その時売られてた奴隷全員を買い取って、しかもすぐに開放してくれたの。寝る場所と、生きるために必要な知識……求めれば働く場所まで与えてくれた」
オルガさんが熱っぽい視線をブレンナーさんに向ける。ブレンナーさんは「ふんっ」と鼻で笑うと、私の横から立ち上がって、ノソリとどこかへ行ってしまった。でも、その頬が少しだけ赤くなっていたのを私もオルガさんも見逃さない。
「相変わらず素直じゃないねぇ」
オルガさんは苦笑する。私は少し気になった事を聞いてみた。
「ブレンナーさんはどうして私達のためにあんなによくしてくれるんでしょうか?」
考えてみれば、私は夫であるブレンナーさんの事を何も知らなかった。
「さぁね。私も詳しいことは知らないよ。ただ、過去にいろいろあったってのは風の噂程度に聞いた。……罪滅ぼし、とかなんとか。何にしても――」
オルガさんは優しげな表情を一瞬だけ真剣に正す。そして、言った。
「ブレンナーさんは信じるに値するいい男さ。ただ、あんな性格だから敵も多い。あんたが支えてやんな」
遠ざかるブレンナーさんの背中を切なそうに見送るオルガさん。私は女として、妻として、力強く頷いた。
「はい!」
「よし! いい顔だ!」
バシンッ! と一切の容赦も手加減もなくオルガさんの気合いを入れる一撃が背中に衝撃を与える。
「っぅううーーーー!」
私は悶絶し、前のめりに倒れ込む。
「情けないねぇ……女は度胸と根性だよ!」
「はぃぃ……」
オルガさんの檄に私は涙目で弱々しく頷く。
その時だった――それは突然やってきた。
「革命軍は今すぐここから立ち退けーーーーー!!」
「「「立ち退けーーーーー!!」」」
「革命軍は即刻解散しろーーーーー!!」
「「「解散しろーーーーー!!」」」
「お優しいアーシア姫殿下様の敵を許すなーーーーー!!」
「「「許すなーーーーー!!」」」
天幕の外から、大地を揺るがしそうな程に盛大なシュプレヒコールが空気を震わせた。
「な、何!?」
「あいつらああっ!」
困惑する私とは対照的に、オルガさんは苦々しげに唇を噛んでいる。それはオルガさんに限った話ではなく、天幕内の緊張が一気に高まっていく。女性陣は誰もが親の仇を見る様に、天幕の外にいる『敵』を睨み付けていた。
「えっと……オルガさん?」
オルガさんに状況を尋ねると、オルガさんは一瞬だけはっとしたように表情を緩めた。しかし、再び厳しく目元を引き締めると、言った。
「ああ、悪いね。……あいつらは……その、セフィエド地区の住民さね。訳あって私達とは敵対してんのさ」
「敵対……ですか?」
「情けないことに、革命軍の拠点であるセフィエド地区にも鬼姫の信者は大勢いる。……いや、違うか。どこであってもあいつらと手を取り合うなんて不可能か。…………とにかく、鬼姫と同じくらい厄介な革命軍の敵さ」
「はぁ……?」
要領を得ないオルガさんの話を私が理解できたとは言い難い。でも、一つだけ分かったこともある。天幕の外にいる人達は革命軍の敵であり、必然的に私の敵という事だ。
「私は何をすればいいんでしょうか?」
私が尋ねると、オルガさんが目を見開いた。そして、ニッと力強い笑みを見せる。
「いいね! それでいいのさ! 女はそうじゃなけりゃね!」
オルガさんは私を天幕の入り口付近まで手招きして、向こうからは気づかれない程度に天幕の裾を捲った。
「ほれ」
オルガさんに促され、私が恐る恐る外の様子を伺う。
すると――。
「わ、……わっ……」
思わず、そんな声が漏れた。同時に、周りからクスクスと笑い声が聞こえる。天幕内に戻ると、オルガさんは肩を竦めていた。私は人の悪口を口にするのは好きではない。だが、あれはあまりにも……。
「ブサイクだろ?」
私が言い淀んだ言葉をオルガさんは端的に言ってのけた。次いで、天幕内をクスクスという嘲笑じみた笑いが木霊す。その不気味な雰囲気に私は背筋を震わした。
「えっと……」
私は自分が美人ではないという自覚があった。だから、天幕の外の彼女達を一方的に中傷するような言葉を口にしたくはない。
それにしてもオルガさん達の変わり様に私は困惑しきっていた。優しかった瞳が一瞬のうちに憎しみに捕らわれてしまっている。一体外の彼女たちの間に何があったのか。想像もつかない。
私の疑問に気づいたのか、オルガさんが口を開く。
「あの女共はね、鬼姫からあらゆる面で優遇措置を受けてんのさ……十五の時からね」
「十五……あっ」
それに私は覚えがあった。オルガさんはその日に、鬼姫にその美しさが原因で人生を狂わされた。ならば―――。
「そうさ。この国リヴァリアはね、美人であればある程不幸に、ブサイクであればあるほど生きやすくなるようにできてんのさ。……恐らくは鬼姫の優越感のためにね!」
オルガさんが吐き捨てる。天幕内の感情が高まっていくのが、私にも嫌でも分かった。
「それだけじゃない! 外の女共は私達の運命を知ってた! 知ってて私達と付き合った。それまで私達は友人だと思ってたんだ! なのに……あいつらはっ」
ギリッとオーリガさんが歯を噛みしめる。
「私達が傷物にされて帰ってきた時に笑いやがったんだよ! 私達を笑って見下すためだけにそれまで親しくするフリをしてたのさ!!」
オルガさんの憎しみの波動に、私は圧倒されていた。だけど、同情もしていた、オルガさんの話が事実なら、恨みを向けるのも無理はないと思った。
ただ、一つだけ、懸念もあった。
「彼女たちは革命軍の敵だとお聞きしました。……なら、彼女たちも……その……」
――殺すのか?
その一言は容易には出てこなかった。私は革命軍に参加するといっても、前線に出る訳ではない。ブレンナーさんとの共同出資という名目での金銭的な支援が役割だ。
その私が、そんな踏み込んだ事を言ってもいいのか、躊躇った。
そんな私の肩に手が置かれる。
顔の右半分を仮面で覆った女性。憎悪に犯されている天幕内で、数少ない慈しむような透明な左目がとても印象に残った。
「安心して? 彼女たちを殺したりはしないわ」
仮面の女性はハッキリそう言った。次いで、オルガさんに視線を向ける。
「そうでしょう、……オルガ?」
オルガさんは苦々しげに視線を彷徨わせた後、観念したように、
「…………ああ」
と、頷く。
「あいつらのことは正直、殺してやりたいくらい憎い。でも、私ら革命軍の敵はあくまでも鬼姫だ。あいつらはボロクソに詰って、殴ってやりらいけど、……殺すつもりはない……。拘束して私らのやる事を邪魔しないようにするつもりさね……」
天幕内の憎悪が一気に沈静化していく。私は改めて、仮面の女性を見上げた。どうやら、この女性はオルガさんですら認める影響力を持っているみたいだ。
「あの、お名前は?」
私が問うと、仮面の女性は柔らかに笑って、
「ルシアナよ」
そう答えるのだった。
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