閑話
第9話 講師鬼姫
憲法というものがある。簡単にいえば、法律の元であり、国家権力を制限し、人権の保証をしてくれる仕組みの事で。
突然だが、わたしは日本という国に住んでいた。性別は今と違い男で、冴木真というイカした名前の中々のナイスガイだったと自認している。その日本において、わたしはごく標準的な会社勤めの青年であり、毎日を必死に生きていた。
そんなある日、わたしはとある事件に巻き込まれる。痴漢冤罪である。ここで宣言しておくが、わたしは断じてそんな事をやった覚えはない。無意識の内にやったという事実もない。そもそも、基本的に自分しか愛していないわたしがそんな事をするはずもない。
相手は女子高生であり、取り押さえられたわたしの顔を見るなり見事なドヤ顔を披露していたのを覚えている。
わたしが日本国で生きていた頃、女性の権利向上が声高に叫ばれ、実際に女性に対して甘い傾向があった。法律もその一つだ。男尊女卑の時代があったとはいえ、わたしにはそんな事は関係がない。
人権というものは一つ誤れば容易く一極化する傾向があり、痴漢冤罪などはその最たる例だろう。もちろん、実際に多くの痴漢をする不届き者がいるという主張もあるだろう。そういう主張をする輩にわたしは言いたい。よし! わたしの前に今すぐその不届き者を連れてこい。全員ミンチにしてやる! と。世界に何万人の痴漢が溢れていようが、それはわたしではないのだ。
結局、わたしはたいした証拠もないのに、警察に拘束され、弁護士を雇うことになる。弁護士から最初にかけられた言葉にわたしは愕然としたものだ。
「示談の方向で交渉しましょう」
ふざけるな! と言いたかった。しかし、裁判となればいずれは職をやめる羽目になるだろう。しかし、示談ならば会社に知られることなく、秘密裏に解決できるという。
わたしは一晩迷った。迷いに迷った末、示談の方向へ持っていくことを決断した。
相手は学生で何も大きなものを失うことはない。しかし、わたしには仕事の他にも両親や世間体というものが大きくのしかかっていた。
結局相手の少女は示談に応じることにしたようだった。それもそのはずで、私が冤罪である以上、他に犯人がいるか金目的のはずだ。わたしは少女が見せた最後の表情から、金目的ということを半ば確信していた。ちなみに証拠はない!
示談金は五十万円程。それプラス、弁護士に二十万円を支払い、とりあえずは解決と相成った。
悔しかった。社会に対して絶望した。それから一年が経ち、二年が経ち、三年が経っても、憎らしい少女の顔を一時も忘れることはなかった。
そんなある日、転機が訪れる。
両親が交通事故で亡くなったのだ。
わたしは悲しみと同時にホッとしていた。肩から重荷がとれたかのような清々しさだった。
わたしは翌日から少女を探した。
といっても、痴漢冤罪のあった日から三年もの月日が立っている。顔は明確に覚えているが、正確な年齢すら知らず、あまりにも手がかりが少なかった。
しかし、わたしは諦めなかった。会社を辞め、金を借りて探偵を雇った。三年前に住んでいた市で女子高生、かつ痴漢被害にあい、示談した経験のある少女。あまりにあまりの困難な条件に探偵会社も初めは何色を示したが、そこは大人同士、現金を差し出すことで解決した。金は湯水のように湧いてくるのだ。何も心配することはない。
わたしはサラ金を梯子して豪勢な生活をしながら、月に何人分か送られてくる資料に目を通すだけの生活をさらに二年続け……事件から五年後、ようやく件の少女を見つけ出した。
その時の興奮を表すのに、言葉では足りない。気づけばわたしは脳内麻薬の過剰放出によって失神していた。
さらに念密な調査の結果、元・少女の名前は四宮栞。現在は大学を卒業し、都心の会社に就職。年内に結婚する予定だという。
わたしは舌なめずりを抑えきれなかった。最高のタイミングである。五年前に取り逃がした獲物はブクブクと肥え太り、まさに狩り頃といった様子だ、
わたしは直ぐさま栞の住んでいるマンションの向かいに引っ越し、栞の行動を監視する作業に突入した。
三ヶ月。朝も昼も夜も監視を続けた。そして、結婚を一週間後に控えた朝、わたしは計画を実行に移した。
栞は婚約者と同棲をしていた。しかし、婚約者は美容師の仕事をしており、栞とは休みがあまり合わない様子が伺えた。婚約者が仕事に出かけた土曜の朝。わたしは栞の部屋のインターフォンを押す。
「はい?」
「お届け物でーす」
それらしいジャンバーを着こみ、それらしい荷物を持っただけのわたしに、間抜けな顔で栞は無防備にも扉を開け放つ。
わたしはそんな栞の頭目掛けて――。
「姫様? どうなされましたか?」
「え――――あ、ああ」
ミリーの声でわたしは現実に呼び戻される。
目の前には三人の中年男たちに取り押さえられた青年の姿。
「アーシア姫殿下! こいつは家の納屋に忍び込んでたんですわっ!」
「ち、違いますっ! 俺は何もやってないっ! 納屋にも忍び込んでないっ!!」
醜悪な悪意を顕にする中年と涙を流しながら土を噛む青年。少しだけムラッとする。まぁ、それは置いておいて、
「で、なんでそれをわたしに言う訳?」
わたしには何の関係もない案件である。わたしはただミリーとお忍びで城下町を散策していただけなのだ。変装とかは特にしていなかったから見つかったのは仕方ないとして、わたしに言いつけにくるのはどうなんだろう。ぶっちゃけ、面倒だった。
「そ、それは……そうですが……」
しかし、中年男たちは明らかに戸惑っている様子。「こんなはずでは……」というのが、表情から滲み出している。
「姫様……」
「ん?」
私がどうしたものかと迷っていると、ミリーが私に耳打ちをする。
「この者達は例の噂を聞いてやってきた者かと」
「例の噂?」
はて、わたしもそれなりに噂には敏感な方だけれど、覚えがなかった。
「姫様に気に入らない人間を犯人として差し出せば、サクッと死罪にしてくれるという噂です」
「なんじゃそりゃっ!」
初耳だ。ていうかわたしの耳に届かないのも納得の噂であった。
「んー」
考えてみれば、似たような状況に数度陥った経験があるような気がした。その時は確かに面倒という理由で適当に死罪を下したような、そうでないような……。
「ちなみに私の知る限りでは今回で五度目でございます」
「ああ、そう」
ミリーが言うなら間違いないだろう。私は涙を流す男を一瞥する。
見るからに情けなさそうな男だった。仕事ができず、疎まれ、酒の肴にするため私の元へ送ってみようとか、そんなくだらない理由だろう。
まったく私の好みではない。カスリもしない。今日の朝、鼻を噛んだちり紙以上にどうでもいい存在だ。
だが――。
「あんたらさぁ……一体何様なわけぇ?」
「えっ?」
それ以上に気に入らない存在が何匹かいた。中年たちが呆気にとられた様子でわたしを見上げる。
こいつらは恐れ多くも世界で最も偉大なわたしを使おうとしたのだ。自分の欲望のために都合よく動かそうとしたのだ。
断じて許されることではない。
わたしはミリーに告げる。
「こいつら拘束して」
「かしこまりました」
ミリーの動きは俊敏だった。青年を抑える中年たちの顎を蹴りあげると、瞬く間に意識を刈り取っていく。お金をとれるレベルの華麗さと鮮やかさ。
わたしはついつい拍手をしてしまう。悔しぃ。
「この者達どうなされますか?」
「拷問して死罪」
「かしこまりました」
ミリーは目を瞑る。念話という魔術の一種で、遠く離れた人間と魔力伝いに会話する技だ。便利なのだが初歩的とはいえ魔術を扱える者同士でしか会話できないのが難点である。
目を開き、ミリーは言う。
「今、警備隊に連絡しました」
「そう、じゃあここで待ってましょう」
「姫様がですか? 珍しいですね」
いつもはさっさと一人で帰るからか、ミリーは不思議そうに首を傾げる。
「そうだっけ? まっ、やってもらわないといけない事もあるしね」
そう嘯きながら、わたしは震える青年に近づく。
わたしの足音を聞き、青年の肩が大きく跳ねた。
「顔あーげて?」
「ひっ?」
小さな悲鳴と一緒に、青年の顔があげられる。涙と鼻水で塗れた顔はとても見れたものではない。おまけに青ざめているものだから、重病人のようだった。
「うーん、やっぱり好みじゃないなー」
何度見ても落第点。青年という年の割に小柄で老けて、おまけに禿げている。わたしの好きな美少年タイプとは正反対の存在だった。死んでもなんとも思わない。だけど何故だろうか、気づけばわたしは青年に声をかけていた。
「貴方……自分がどうしてあんな目にあったか分かる?」
言いながらわたしは魔術を行使する。
「――search」
目を合わせ、そこから情報を読取る読心魔術。念話と同じで一定の力量を超えるとほぼ通用しなくなる簡易な魔術だが、青年から情報を読み取るのは実に容易だ。
「…………なるほどね」
小さく、青年に聞こえないよう嘆息する。
青年は無罪だ。いつかのわたしと同じく、悪意によって故意に罪を着せられただけの存在。
つまり、ただのグズである。
「…………分かりません。本当に思い当たる節がないんです。あの人達は近所に住んでいる人達なんですが、昔からずっと標的にされてて……」
「ふーん。まっ、人を嫌うのに理由なんていらないわよねー」
生理的嫌悪感というものがある。理由はないのに、なんとなく嫌。自分も相手もどうすることもできない。会わないようにする他に解決策はない。
「そ、そんな……僕は一体どうしたら……」
「知らないわよー。そんな事」
気まぐれで話をしているだけで、青年の状況を改善しようだなんて欠片も思わない。
「貴方を嫌ってた奴らは死罪になるんだから、これからは悠々と暮らせばいいじゃない」
「それは……あの人達の家族からも嫌がらせを……家にいる病気の母を見捨てるわけにもいかず……」
そっちの事情なんか知らんがな。てか、これは……そんな……分かりません……。こいつの言い方がなんとなく言い訳じみててイラつく。青年を嵌めようとした男たちの気持ちも少し分かるような気がした。
だが、ここで会ったのも何かの縁には違いない。一つ、この青年にこの世の真理を教えてあげるとしよう。
「ぶっちゃけて言うと、今回の件は貴方が悪いわね」
「えっ?」
ありえない言葉を聞いたとでも言いたげに、青年が目を見開く。
「貴方が弱いのが悪いわね」
人という字は二本の足で大地に立つと書いて人と読む。自分の身を自分で守れてこそ人足りえるのだ。たまに守られることを当然と思っている勘違い女や、たまに男がいる。お前女舐めんなよ? と激しく言いたい。女は男に守られるようなか弱い存在ではない。歴とした一つの個であり人間だ。誰かの支えがないと生きていけないなんて事はぜえぇぇったいにない!
そして、その点で言えば、この青年は人未満の存在である。人以下の――それも特に優れている部分もない存在が人に虐げられるのは当たり前のことだ。食物しかり、ペットしかり。人でないから何をしてもいい。何も不思議な事ではない。
「そんな……僕は……暴力なんて……」
「はいはいっ」
わたしは青年の頬を殴る。
「ギッ!?」
地面を二、三転し、何本か折れた歯を青年が咳き込みながら吐き出す。
「ぐげっ!」
頭を踏みつけると、青年は無様な悲鳴を上げながら地面に顔を押し付けられていく。
ぐりぐりと、圧力が強まる。
「……いっ……ひぃっ……げ……げげっ……」
真っ青にしていた表情が嘘のように真っ赤に染まる。
当然だ。わたしは踏み潰すつもりで力を入れているのだから。
「……ぅ……うぅぅ……」
青年の身体がビクビクッと痙攣した後動かなくなる。わたしは頃合いを見計らい、青年の頭から足を退けた。
青年の体を足で蹴って仰向けにする。青年は息をゼェゼェと荒げながら虚ろな目をしていた。
「弱いとねー、こんな風に簡単に死んじゃうのよ? わたしがほんの少し力込めただけなのにねっ」
「――――っ!!」
「おっ?」
わたしに視線が突き刺さる。他でもない青年からのものだ。心地よい怒気をわたしは笑みを浮かべて歓迎する。
「貴女はっ……貴女は噂通りの鬼だっ! ――うっ! いっ! ぎゃあっ!」
「あははははっ、よく言った!」
青年を容赦なくボコボコにする。殴って蹴って抉る。殺さないように用心しながら、心の底まで届くように死の恐怖を植え付ける。
やがて虫の息になった青年をわたしは見下ろした。
「わたしに口答えするなんて見どころあるじゃない。でも貴方が人以下なのは変えようのない事実。悔しかったら自分一人の足で立ってみせることね。一人前になったら殺してあげる。わたしって動物愛護の気持ちは人一倍強いのよ?」
――ザッザッザッザ。
「あら」
そうこうしている間に警備隊がやってきたようだった。さすが我がリヴァリアの警備隊だけあって無駄に練度が高そうである。
「これはこれは姫様! この度はご協力ありがとうござました!」
警備隊の隊長らしい髭面の厳つい男が一同を代表してわたしに挨拶する。その後ろで残りの隊員は一糸の乱れもなく、敬礼の体勢をとっている。
「気にしないで。国のために働くのがわたし達王族の勤めだもの」
「さすが姫様! 崇高なお心持ちでいらっしゃいます。私もリヴァリアの国民として尊敬の念を禁じえません!」
だったら、もっと尊敬しているような顔をしなさいよ……と、思うが口には出さないでおく。わたしも今日は疲れた。早く用を済まして帰ろう。
「一つお願いがあるんだけど?」
「なんなりと」
隊長は膝をつく。
「わたしが以前にそちらに直接引き渡した罪人の告発人をすべて処刑しなさい」
「かしこまりました」
隊長は疑問を呈さない。実によく出来た兵隊である。わたしは満足そうに頷き、警備隊に下がってよいと伝える。警備隊はやってきた時と同じく一糸乱れぬ動きで罪人を拘束すると、足早に去っていく。
「じゃあ、そろそろ帰りましょうか?」
「御意に」
わたしはミリーを引き連れて、王城へと戻る。
最後に一度だけ振り返ると、青年はいつの間にか姿を消していた。
「…………今日は随分とお優しいのですね」
「そう? わたしはいつも優しいと思うけど」
感傷に浸る。乙女ならばそういう日もある。
わたしは笑みを浮かべると、今度は振り返ることなく歩き出した……。
リヴァリアで死罪が確定すると、被害者が加害者の死因を決定することができる。その内容は多岐にわたり、絞首刑以外ならなんでも許されている。
自室のソファーで寛ぐ私の手元には一枚の書類が届けられていた。署名欄にはモリッツ・アンドレという名と、魔術的念写画像が載せられている。
その顔をわたしは覚えていた。つい最近私自ら講師として教育を施した青年であった。念写画像で見る青年は、以前とは雰囲気が違っている。まだまだ細身ではあるが、肩から腕にかけて筋肉で盛り上がっているのが服の上からでも見て取れた。さらに、目付きも比べものにならないくらいに鋭い。
「へぇー」
関心する。教訓を生かせる人間は成長するものだ。わたしは書類を読み進め、ある部分で目をとめた。
処刑内容・要望の欄だ。
そこには太くインクの滲んだ文字で、こう書かれている。
――磔刑、と。
リヴァリアの磔刑は過酷だ。木で作った板に手足を釘を打ち付けられ、そのまま放置される。それだけならなんだと思うかもしれないが、この刑のおもしろい所は死罪になった者に人望があればあるほど苦しんで死ぬという点だ。
基本的に、放置している間は、罪人を打ち付けた板や、罪人をその場から下ろしたりしない限り、特に禁止行為は加えられていない。ゆえに、食料を与えたり、手足だけで身体を支える苦しい体勢の罪人を支えようとする者がよく現れるのだ。
だが、何日経っても、何年経とうが男が死ぬ瞬間まで、罪人が下ろされることは永久にない。だから、最後は誰もが諦める。それまで助けようとしてくれた者に見放され、取り乱したり、罵倒し始める罪人の惨めさは最大の見所だ。
別の資料には、罪人三人の情報が記載されていた。
「何々? 三人は兄弟で食堂を経営しており連日大盛況……儲けたお金で孤児院を援助していて城下町でも人格者として有名……ふ、ふふふっ」
わたしは笑いを堪えるのに必死だった。人一人を遊び半分で死罪にしようとしていた人間が人格者として知られているとは……。
刑が執行されれば過去最大に面白い光景が見られそうだ。
「み、見たい! すごく見に行きたいっ!」
すでにうずうずしてきた。
わたしは書類に了承の判を押す。
それにしても――。
わたしは改めて青年の顔を見た。本当にいい顔になっている。憎しみ、恐怖、絶望。負の感情に心の奥底まで犯されぬいた顔だ。
一体どんな顔で『磔刑』と書いたのか、興味はつきない。
つきない――が。
それを暴くのは容易だが、実際にそうするのは野暮というものだ。
「っ……ふ、ふふ……う、ふふふっ」
今日は素直に一匹の家畜が晴れて人になった瞬間を祝福しよう。
誕生日おめでとう……モリッツ・アンドレ……。
わたしはあなたを歓迎するわ。
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