第8話 交流

「ほぅ、女神持ちがのぅ……」

 女神持ちとの遭遇をシュリエルに語り聞かせると、役立たずの女神は偉そうに顎に手を添えそう宣った。

「何が『ほぅ』よ! 肝心な時にいなかったくせに!」

 あやうく私は死にかけたのだ。どれもこれも、シュリエルの怠慢が招いた出来事だった。そもそも、いかにシュリエルが自立型とはいえ、精神的には一心同体に近い私の状況を悟れないのはおかしい。きっと何かよからぬ事をしていたに違いないのだ。そのくせ、シュリエルは小賢しいことに、反論などをかましてくる。

「自業自得という言葉を知っとるか? 因果応報でも構わん」

「何、あんた根に持ってる訳? うっわ……女神のくせに心せっま!」

「…………いいかげんにせぬか……」

 シュリエルが額に青筋を浮かばせる。人並みのプライドは持っているらしい。人じゃないけど。

「そういう所が器が小さいってのよ」

「……よかろう。そろそろ主には仕置きが必要だと思っておった」

 シュリエルは椅子を蹴飛ばすように勢いよく立ち上がる。

「私の前に自分のお仕置きが先でしょ。三回回ってワンでいいわよ」

 私とシュリエルは楽しく会話を繰り広げる。多少ピリピリしているが、それもまた人生には必要なもにだ。女神といえど所詮は女。月に一度はヒステリックになる日もあるだろう。寛容な私はその程度の軽口の叩き合いに本気になる程子供ではない。

「おねしょ……」

 立ち上がったシュリエルがポツリと呟く。

「は?」

 子供ではない。

「十歳……おねしょ……」

「……殺すわよ?」

 子供ではない――が!!

 超えてはいけないラインがあるという事も生きる上で大事な事だ。シュリエルはそのラインをあっさりと踏み越えた。

「そ、その話は……もう二度としないって……約束したでしょぉう?」

 知らず知らず、声が震える。脳裏を悪夢がフラッシュバックした。 誰にでも知られたくない話題や思い出したくない話はあるものだ。まして、その件はもう二度と口には出さないと固く約束したはずだった。

 だというのに――。

「そうだったかのぅ……忘れてしもうたわ」

 シュリエルはニヤリと口元を嫌らしく歪めて、飄々とそう言ってのけた。

 ああ……もうダメ……絶対殺す……。

 私とシュリエルは睨み合う。本気と書いてマジと読む感じの殺気をビュンビュンと飛ばし合った。その余波を受けて、テーブルの上のカップがカタカタと音を立てて揺れていた。

 すぐ傍に控えるミリーは我関せずと言った体で、どこか遠くを眺めていた。そんな状況の中、恐れ多くも……というか、恐れを知らないというか、割って入ったのはアンナだった。

「ま、まぁまぁ……お二人とも、どうか落ち着いてください」

 言いながら、アンナは空のカップに紅茶を注ぐ。アールグレイ特有の爽やかな香りが空間を満たしていく。

「そうは言ってもさぁ……」

 アンナがそう言うなら、止めるのも吝かではない。私はじっとアンナの顔を見た。

「な、なんでしょう!? 私の顔に何か……」

「ううん、なんでもないわ」

 アンナの顔はいつも通りの地味さ加減だった。相変わらず華がない。でも、そこがいいし、魅力的でもある。

「はぁ……」

 溜息を吐く。すると、アンナは不思議そうに首を傾げた。

 そう、アンナに仲裁されたら無碍にはできない。この中で、一番不憫な目に遭っている子なのだ。二重が全盛のこの世界で、一重のアンナはそれはそれは酷い目に合ってきたに違いない。私とシュリエルの諍いなど、アンナの前では取るに足らない事だ。

 落ち着くために、私は紅茶を啜る。熱すぎず冷めすぎていない絶妙の塩梅だ。

「美味しいわ。アンナも紅茶入れるの上手になったわね」

「あ、ありがとうございます!」

 華の咲くような笑みをアンナは浮かべる。普段が地味なだけに、こういった表情で輝くギャップは、むしろ普段派手な者よりも大きい。

 本当に仲直りできて良かったわ……まさかアノ事がそんなにトラウマになってたなんて……まっ、記憶を弄ればトラウマなんて一発解決よ!

 惜しむらくはミリーと仲が良すぎる問題だ。そこの記憶もあるべき姿に修正しようとしたけど、あのミリーが泣いて「やめてください!」と懇願するのだから世の中は面白い。

「のぅ……主よ」

「なによ?」

 良い気分に水を差されて、少し声に棘が混じる。しかし、シュリエルは気にした風もなく続けた。

「主はその女神――ボレアスについてどう思った?」

「そうねぇ……」

 問われて、少し考える。

「確かに障壁破壊は厄介だったわ。障壁がないと私なんて、ただのか弱い乙女ですもの。まぁ、それは置いておいて、結論を先に言えば負ける相手ではないわね」

「ほぅ」

 シュリエルが顎で続けよと合図する。その偉そうな表情があまりにもムカつくもので一発お見舞いしたくなるが、なんとか我慢する。

「まず、もう相手の力が分かったんだから障壁を使わざるえない範囲まで近づかなければいいだけ。元々私の専門はそっちだしね。それに、戦ってみて分かったけど、あの風系統の魔術自体も決して防げない訳じゃない。少なくとも、一撃必殺ってタイプではない」

 ボレアスの系統は無限の連続攻撃のようなものだろう。早さや機動力は屈指のものがあるが、逆に決め手に欠けている。決め手を手数でカバーするタイプだ。どちらかというと、厄介なのは一撃必殺タイプだと私は思う。

 そもそも――。

「もしあいつらが他に能力を持っていたとしても、他にやりようはいくらでもあるわ」

「それは?」

 ミリーが隣から問う。

「内緒よ」

 そう私が片目を閉じ、人差し指をキスしながら可愛らしく言うと、ミリーのみならず、シュリエルとアンナですら何故かガッカリしたような表情を浮かべていた。

 失礼しちゃうわ! まったく!






 夕食後、いつものように給仕を終えたミリーとアンナが片付けを終えた後、一礼をして部屋から下がろうとした時の事。私はふとある事を思いつき、ミリーを呼び止めた。

「あっ、ミリーちょっと待って」

「何でしょう?」

 今まさに部屋を出ようとしていたミリーが立ち止まり、振り返る。私は今日の仕事のほとんどを終えて、少しだけ油断しているミリーの顔を見ながら、ニッコリ微笑んで見せた。

「この後……何か用事はあるのかしら?」

「はい?」

 ミリーが少しだけ呆ける。そして何を当たり前のことをと言わんばかりに、溜息を吐くと、渋々といった風に言った。

「用事も何も……私共はこれから夕食を食べる所なのですが……」

 ミリーが困惑した様子で視線だけ部屋の外へと向ける。私の部屋のドアの向こう、私からは死角になっているそこにアンナがいるのだろう。二人は目を見合わせて、戸惑っている様子だった。

「夕食ね」

 主人よりも先に食事をとる従者はいない。よい心がけだった。そしてつまり、それは――。

「用事はないって事ね?」

「はぁ?」

 ミリーが顔を露骨に歪める。遠くからアンナの諫めるような声が私の耳にも届く。

 ……そういえばアンナは私とミリーよりも大分年上だったわね。ミリーの二人の時はお姉さんぶったりしてるのかしら……なんか悔しい!

 まぁ、それは置いておいて、ミリーがそういう表情をするのは別に構わない。私はミリーにだけはそうする事を許しているのだから。

「用事はないのね?」

 私は繰り返す。すると、ミリーは大きく溜息をついて答えた。

「……ありません、姫様……ただ私が夕食を食べ損ねるだけですので……」

 ミリーは虚空を見上げてそう言った。

 そういえば私は聞いたことがあった。使用人用の食事を作っているシェフはとても偏屈な人物であり、冷めた食事を食べさせることはない。それだけ聞けばとても素晴らしく、良心的だ。しかしそのかわりに、決められた時間外に食事をとることはできないのだという。必然、食事は自分で作らなければならなくなる訳だが、ミリーは紅茶を入れる以外の料理はからっきしダメ。女子力ゼロなのだ!

 え? 私はどうかって? 私はいいの。だってお姫様だもんっ!

「そう、それは良かったわ」

 私がそう言うと、ミリーが睨んでくる。最近あまりミリーを構ってあげられていなかったから、その視線に懐かしさすら感じた。

 ミリーはようやく観念したのか、傍のアンナに向かって何事か小声で伝えている。聴力を強化して聞き耳をたててみると、

『ごめん。今日は一緒にご飯は無理みたい。先帰ってて』

『え~。そんなぁ~!』

『私も残念よ……本当ごめん』

『……ううん。仕方ないよ、姫様に呼ばれたんだもの……あ! じゃあ帰ってきたら私が何か作ってあげるね!』

「本当!? 助かる!」

 的な会話を繰り広げていた。まるで恋人同士のようである。私はそれとなく疎外感を覚えた。

 アンナを帰した後、ミリーはどことなく機嫌を直した様子で私を見た。

「で、姫様。私は何をすればいいのでしょうか?」

 私は端的に言った。

「一緒にお風呂に入りましょう」

「え?」

 あれ聞こえなかったかしら?

 私はもう一度言う。

「一緒にお風呂に入りましょう」

「…………」

 今度はちゃんと聞こえたらしいが、さしたる反応はない。眉根を寄せて何やらおもしろい顔を浮かべているだけだ。

「どうしてですか?」

 従者のくせにミリーは疑問を呈する。悪い従者である。ミリーでなければ反省室にぶちこむ所だ。

「最近一緒に入ってなかったでしょう?」

「それは……そうですが……」

 ミリーが口籠もる。煮え切らない態度に私は業を煮やし、ズンズン近づいていくと、その手をガシッと握りしめた。

「姫様!?」

 慌てて腕を振り逃げようと身体を捻るミリーを私は気にした風もなく、連行していくのだった。

 そして――。



「…………はぁ」

 ミリーは心地の良いはずのお湯に浸かりながら、何度目か分からない重々しい溜息をつく。

「いつまでそんな顔してるのよ……この浴室久しぶりでしょう?」

 私の言葉に、ミリーは曖昧に頷く。

 鮮やかなブルーのタイルに床はつるつるの大理石。浴室内は落ち着いた照明で照らされており、眠たくなるような雰囲気がある。その中心に添えられた二、三十人は軽く入れそうな巨大な浴槽は、私のためだけに用意された特注品であった。

「それは……まぁ」

 私は薔薇の香りのするという庶民の間で最近人気となっているらしいソープを手に取ると、滑らかな肌へと塗り込んでいく。これを作らせた当時は、毎日のようにミリーと一緒にここへ入っていた。時間が経ってミリーは忙しくなってからは頻度が減ってしまったものの、時間さえあれば私はミリーを誘っていた。

「懐かしいわねー。最近ミリーったら一緒に入ってくれないんだものっ」

「はぁ……」

 心躍る私とは対照的に、ミリーは苦々しげな表情を浮かべている。

「そんな顔してどうしたのよ? 昔はあんなに楽しかったのに」

「まぁ……姫様はそうでしょうね……」

「気になる言い方しないでよ」

 二人でたくさん遊んだのをミリーは忘れてしまったのだろうか。私は少しだけ悲しなった。ミリーで遊ぶのはあんなに楽しかったのに……と、私は深く懐かしむ。

「ふぅっ」

 私はソープを洗い流すと、浴槽へ入る。広い浴槽内であるが、私が選んだのはミリーのすぐ隣だった。ミリーは口元まで湯に浸かって、何やら口から空気を吐き出して遊んでいる。その頬はほんのりと赤く火照っていた。

 私はミリーと肩がくっくり距離に腰を下ろすと、言った。

「今日はありがとう」

「は?!」

 言った瞬間、ミリーがガバッと顔を上げた。湯が飛沫となって飛び散る。ミリーは天変地異が起こったとばかりに動揺を示していた。私が感謝を示すことはそう珍しくはない。しかし、大半のソレは口だけであり、内心で相手を塵のように思っている事がほとんどだ。だが、これは違う。私は心から感謝していた。そして、ミリーもまたそれを感じ取っているらしかった。

「あ! あわわ! あっ……あっ!」

 訳も分からずミリーは寄生を上げる。しかし、すぐに己の失態に気づき、顔を今度は羞恥で真っ赤にすると、再びお湯の中へと顔半分まで隠すようにして浸かった。

「……ふふっ、本当に可愛い子……」

 私がミリーの頭を自分の方へと寄せる。頬と頬がピッタリとくっつき合った。ミリーは少しも抵抗することはない。

「ありがとね……ミリー」

 もう一度私は言った。

 私はこの世界で唯一、ミリーを信用している。何故ならば、ミリーは私に依存しているから。普段表に出すことはなくても、深く、深く、何よりも深く依存している。その証拠に、私に危険が及んでいると分かるや、脇目も振らずに助けにくる。

 だから私もミリーを誰よりも傍に置いて可愛がる。

 私にとってんのミリーとは、誰よりも忠実で誰よりも主人に愛を注いでくれる。そんな愛らしいペットなのだ 。

 ミリーは私から顔を背けながら、小さく呟いた。

「あなたに感謝されても……全然嬉しくありません」

「ふふふっ」

 そんは可愛らしい、言葉だけの抵抗だった。

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