第7話 女神持ち

 夜空を青く染める錯覚さえ抱きそうな、鮮やかなブルーの羽を持つ小鳥は首元の手紙を携えて軽やかに舞っている。

 どれくらいの時間をこうして飛んでいただろう。小高い山の頂上付近。周囲を木々に覆われたその中で、小鳥は旋回しながら視界に一軒の山小屋を捉えた。

「きゅ!」

 愛らしい鳴き声を上げながら、小鳥は山小屋へ一直線に向かう。すると、小鳥を待ち構えていたように、山小屋の窓が開いた。

「おかえり」

 その窓から、一人の少年が顔を出した。まだ年若く、少年と青年のちょうど中間くらいの年齢だろうか。端整な相貌を柔和に崩しながら、少年は小屋の中へと小鳥を迎え入れる。小鳥が小屋の中に用意されてあった止まり木に腰を落ち着けると、少年は小鳥の頭を指先で軽く撫でながら、首にぶらさげられた手紙を抜き取った。

「…………」

 少年は真剣な眼差しで、噛みしめるように手紙の内容を一字一字読んでいく。しばらくして読み終えると、何かを悼むように少年は眉根を寄せて目を瞑った。

「きゅ! きゅゆ、きゅっ!」

 小鳥の鳴き声に、少年は目を開く。

「なんだい?」

 小鳥の方へと少年が視線を向けると、目が合った。パチリと、何かが噛み合うかのような感覚。小鳥の視線の奥から覗く別の意思を少年は敏感に感じ取っていた。

「おや、ようこそ……と言った方がいいのかな? お姫様」

「結構よ。こんなボロ屋に招待されるなんて屈辱でしかないわ」

 ギィィッと鈍い音を立てながら、小屋のドアが開く。

 そこにいたのは、女神もかくやという美しい美姫だった。ブラウンの髪を夜闇に靡かせ、悠然と立っていたのは少年――ジョシュアの打ち倒すべき少女、アーシア・ミーナ・リヴァリアその人であった。







「ようやく会えたわね。今まで随分と手間をかけさせてくれたじゃない」

 小鳥を千里眼で追跡した先にいたのは随分な優男だった。もっと老獪な人物を想像していただけに、多少の違和感はある。だけど、小鳥を通じて男の精神を掌握しようとしたのを失敗したのを見ると、一筋縄ではいかない相手のようだ。

 まぁ、誰であっても私の敵ではないけどね。

「こちらこそお目にかかれて光栄でございます。アーシア姫殿下」

 芝居がかった仕草で優男は片膝をついて、騎士の礼の真似事をする。それがあまりに今の状況とかけ離れすぎて、私は滑稽さのあまり笑いが漏れてしまう。

「あはっ、何をやってるんだか……」

「これは申し訳ありません。しかし、男児として生まれた以上、一度はやってみたくなるものですよ。ですが確かにこれでは不釣り合いですね……姫様が」

「…………」

 ピクリと、意識せずにコメカミが痙攣する。皮肉を言われた。この私が。この程度の男に不釣り合いだと堂々と宣告させた。

「ふっ、く、ふ、ふふふふふ」

 こんな侮辱を受けたのは何年ぶりだろうか。覚えている限りでは、ここ数年はなかった。どことなく、懐かしいような心地に浸る。私を女だというだけで嘲る愚者共を一掃してから、しばらく感じることのなかった感覚だ。

「どうされましたか、姫? そんなに眉間に皺を寄せてはせっかくの美し顔が台無しだ」

 そこでやめておけば、優男は多少マシな死に方ができただろう。しかし、男は続けて――。

「顔くらいしか取り柄がないのですから、笑顔笑顔」

 ニッコリ笑って男は言った。私の頭の中でプチンと何かが切れる音が響いた。

「死に晒せっ!」

 私の周囲から指向性を持った炎が吹き荒れた。今日の朝に私を襲った刺客の扱っていた魔術。しかし、規模はその数倍にも及ぶ。

「貴方の部下お得意の魔術で逝きなさい」

 高温によって青く変色した炎が蛇のようにうねりながら、男の元へと襲いかかる。その炎は、小さな山小屋を夢か幻のように燃やし尽くしていく。

「キュー、キュー!」

 小鳥が悲鳴を上げて夜空を求めて逃げ惑う。

 炎に相対した優男は――笑っていた。

「なるほど。これは……とんでもないな」

 関心したように、私を褒め称えるように口笛を吹くと、優男は手を前に翳した。そして、名を呼ぶ。

「ボレアス行けるかい?」

『誰に物を言っている?』

「ははは、そうだったね。頼むよ」

 虚空から、私の耳にも女性にしてはハスキーな声が届く。その魔力の反応は紛れもなく女神の存在を知らせるものであり、私は目を見開いた。

「女神持ち!?」

 私が悟った瞬間、突風が吹き荒れた。女神の加護を得た風は炎を容易く押し戻し、それは私に向かって跳ね返ってくる。

「ちっ」

 舌打ち一つ。私は周囲に防御結界を張り巡らせて、炎を凌いだ。周囲を炎と煙で塞がれて視界が狭まる。その時、ありえない事が起きた。

 私の結界に、ピシリと罅が入ったのだ。

「なっ!」

 ありえない! 戦略級術式だって耐え凌げる私の結界が!?

 驚愕している暇は一瞬。結界が粉々に砕かれて、底冷えするかのような冷たい風が私を包囲した。死の予感が私の脳裏をよぎる。その時――。

「姫様!」

 横合いからかけられた声によって男の意識がわずかにそらを向き、隙が生まれた。

「千里眼!」

 私は目を見開くと、男の意識に介入しようと試みる。しかし、男は女神持ちであり、精神には女神の加護によって強力なプロテクトがかけられている。

 一瞬でいい! 一瞬で!

 諦めずに私は男の心の奥底まで潜り込む。その先で、私は目撃した。

 女神! 

 黒いフードを被り、頭髪を短く刈り上げた女の姿。男の心に宿る一体型の女神だ。

 こちらに気づいた女神の視線が私を射貫く。その瞬間、私の痩身に怖気が走った。人間と女神では存在としての質と格が違う。その視線で意識体となっている私の身体が紙吹雪のように吹き飛ばされそうになる。

 その刹那、私は千里眼を解除し、元の身体に戻った。

「はぁ……」

 私は冷や汗を拭う。

「ミリー、一旦下がるわよ!」

「はい!」

 間一髪の所を救援に来てくれたミリーに私は声をかけて、下がらせる。ミリーはすばやく私の前に盾のように立ちふさがり、男を睨み付けた。

「さすがだね」

 男は飄々と笑っていた。

「まさか女神の前に意識体を晒すとは思わなかった。生き残るには必要だと分かっていても、なかなかできる事ではないよ」

 パチパチパチと男が拍手する。

 相変わらず間に障る態度でむかつく。苛立ちながらも、私は周囲の状況を探った。私を取り囲んでいた凍てつく風は消えている。

 男の女神による精神プロテクトは完璧だった。しかし、それは女神が万全の防御を整えていれば……の話だ。私はまず男ではなく、女神を狙った。女神が隙だらけの私に意識を向けた瞬間に、猛る殺意の対価に一瞬だけだがプロテクトに綻びが出た。その綻びから千里眼で男の思考を僅かに歪ませ、取り囲んでいた風を霧散させたのだ。

 これで、とりあえずの窮地は脱した。

「お見事です、姫様」

「まぁね」

 ミリーの賞賛に応えながら、私はミリーに感謝した。

 そもそも、ミリーが来ていなかったら、死んでいた……とまでは言わずとも、極めて危ない状態になっていただろうから。

 それぐらい、男は久々の強敵だった。何よりも、相手は女神持ち。シュリエル不在が大きく響いている。自立型の弊害であった。しかし、自立型は戦術の多様性という利点も備えているから何とも言えないが……。

 て言うか、私は近接戦闘は専門外なのよ! 相手がこっちを視認や認識できない場所からの遠距離攻撃が専門なの!

 そもそも、油断して相手の本拠地にノコノコ自分から踏み込んだことについてはもう忘れた。

「さて……」

 これからどうするか。

 ミリーを含めれば二対二の状況ではある。だが、ミリーは一流の魔力と体術を持ち合わせているものの、女神持ちを真正面から相手にできる程ではない。

 脳裏を撤退の二文字がかすめた。

「逃げるですってぇ……!」

 相手に背を向けて逃げる。それは私のプライドが断じて許せるものではない。私の人生には勝利だけが並んでいなければならない。負け犬になるぐらいなら、ここで徹底抗戦した方がましだった。私は誰よりも私自身を愛しているが、その愛ゆえに、最後まで素晴らしい私でいることを望む。

 ギリギリと手を握り、爪が手のひらに食い込んで血が滲む。

 そんな私を後ろ目でチラリと見て、ミリーが進言する。

「姫様ご自制ください。この場を離れた所で決して逃げではありません。何故ならここはリヴァリア帝国の領土内ではありませんか。つまり、姫様にとっての庭。その庭の端から端へと移動した所で、逃げたということにはなりません」

 少し離れた所で余裕を見せながらこちらを伺っていた男が首を捻る。ミリーの進言が聞こえていたのかもしれない。だが――。

「ふ、ふふ、ふふふ、なるほど!」

 ミリーの語る真理が理解できないようでは優男の底が知れるというもの。それにしても、さすがはミリーだ。役に立つ。帰ったらご褒美をあげないと。

 そうなれば、善は急げだ。

「ミリー! 『移動』するわ! 私が時間を稼いでいる間に転移陣を起動しなさい!」

「はい!」

 ミリーが私の背後に回り、ナイフで地面に陣を描いていく。

「そうさせるとでも?」

 当然のように優男は邪魔をしてくる。吹き荒れる烈風が周囲の空間を満たし、四方八方から襲ってくる。

「【神の砦】」

 呟くと、私とミリーを囲むように球状の黄金の障壁が出現する。さっき破壊された結界よりも遙かに強力であり、魔術的耐性も持ち合わせている。

「……っ」

 男はニッと口端を歪めると、パチンと指をならす。それを合図に、周囲を旋回していた風の刃が一斉に障壁に殺到した。

 ――ガガガガガガガガガガガガガガガガッッ!!

 障壁と風の刃がぶつかり合う。抉り、削り取られているかのような甲高い音が響いた。

「……ちっ」

 わずか数秒後に、その兆候は現れた。

 ピキッという軽い音がしたかと思うと、それに触発されたかのように破壊音が連続する。間を置かずに、障壁に罅が走った。

「……間違いない」

 優男の――というよりもあいつの女神の操る風には障壁破壊の特性が備え付けられているのだ。そうでなければ、私がバカスカ魔力を注ぎ込んだ結界や障壁がこんなにも簡単に破壊される理由が見当たらない。

「さすが女神……やっかいね」

 言うなれば、あれは神の風だ。たとえそれが強固な要塞であろうとも、指向性のある自然の前では何の役にも立たない。

 シュリエルがいたとしても、シュリエルは防衛に特化しているため、厳しい戦いを強いられるだろう。

 ――パリンッ!!

 呆気なく、障壁が破壊される。その途端に、今まで障壁に阻まれていた風の刃が勇んで血を求めてやってくる。

「……どれだけその術を見せつける気? それだけ見せられたら……コピーくらい訳ないのよっ!」

 私を中心に暴風が吹き荒れる。その暴風がやがて形を成し、周囲に拡散された。

 ――ギンッ! 

 襲ってくる風の刃を私がコピーした同系統の刃が迎撃する。しかし、さすがに威力は互角ではない。私の方が大きく劣っていた。だが、それで問題ない。大事なのは私とミリーに当たらないこと。軌道をずらせればいいのだ。

 地面を大きく風が抉る。ドレスの裾が切り裂かれて、宙を舞った。そんな中、私は腕を組んで堂々と優男と正面から睨み合う。戦いの場において、弱みをみせてはいけない。たえと劣勢だろうとも、余裕であるように見せ続ける。

 風の刃を出してから、優男は一歩たりともその場を動くことはなかった。ただ、私の動きをじっと観察していた。爛々と輝く瞳が、私の姿をじっと、変質的なまでに覗き混んでいる。

 ――その時である。

「姫様! 準備できました!」

 待ち望んだミリーの合図があった。

「転移!」

「はい!」

 私は改めて周囲を神の盾で覆う。これで数秒であろうと時間が稼げるのは証明済み。問題は数秒時間を稼ぐだけにしては燃費が悪すぎる事だ。これを一度展開するだけで、平均的な魔術師何十人分の魔力を吸い取られていることか。

「行きます!」

 ミリーが転移陣に魔力を注ぎ込む。私も一歩後退して、ミリーを補助する。転移陣が光に満たされると、私とミリーの全身を覆った。

 世界が一瞬だけ暗転する。

「…………」

「…………」

 次の瞬間、私とミリーは城の自室にいた。正常に転移陣が作動したことに、とりあえず安心する。

 だが……。

「あの男ぉ!」

 ジョシュア・セルゲイノフ。女神持ちの優男の姿は、しばらく頭から消えそうにはなかった。

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