第6話 不届き者
「はぁ……今日も疲れたわ」
エターシャは仕事を終え、ぐったりした様子で城の中で与えられている使用人用の個室に戻っていた。
「まったく! あの女ったらとんでもないわね……!」
あの女――純情可憐なアーシア姫の事だ。
「仕事中もいつもいつもあの女の話ばかり……恐ろしい……」
仕事中の雑談でエターシャが聞かされるのは、いつもアーシア姫の残虐非道な行いだった。
戦争で両親を失ったエターシャは、アーシア姫に復讐を果たすため、ある人物の協力を得て城への潜入に成功していた。
エターシャはシャワーを浴びると、濡れた髪を拭きながら鏡の前に座る。
「最近……少しだけ肌が荒れてきたかも……」
アーシア姫の情報を探り、外の仲間に伝えるためには、仕事中の聞き込みだけでは足りない。むしろ、仕事外での交流で先輩方から聞ける話の方がいくらか価値があった。必然、お酒の付きあいや、夜更かしは増え、禿げたおじさんの夜のお供すらこなしている。
「父さん……母さん……私、頑張るから……汚名を晴らしてみせるから!」
エターシャはメイド服の内ポケットから一枚の絵を取り出す。瑞々しいタッチで描かれた家族三人の絵。三人共が心の底から笑顔で、幸福に満ちている。まだいくらか幼いエターシャも、絵の中では今では考えられないような無邪気な笑顔を浮かべていた。
「……っ!」
ふいに、絵を握る手に力が籠もった。
もうどれだけ泣いても、喚いても、この時のような時間は戻ってこない。そう思うと、エターシャの胸中に絶望と憎悪が渦巻く。しかし、どれだけ激情を抱いても、もう一滴も涙が溢れることはない。悲嘆の涙は流し尽くした。あとは本懐を果たし、歓喜の涙で人生を締める――エターシャはそう定めていた。
「……はぁ、あのお方にお手紙をお送りしないと」
エターシャはそう呟き、筆を執った。
毎夜丑三つ時に、あのお方の使いの小鳥がやってきて、エターシャの報告書を受け取っていく。
あのお方――ジョシュア・ゼルゲイノフ。
エターシャの命の恩人であり、復讐に筋道を与えてくれた人物。
憎き――でも愛らしい――アーシア姫に挑もうとする勇ましいお方。
「…………」
エターシャはジョシュアの事を真摯に思いながら、一心不乱に筆を走らせた。
今日得た情報。明日からのアーシアのおおまかな外出予定。アーシアの癖、性格。行動パターン。なんでもいい。気づいたことはどんな些細な事であろうとも、エターシャは自己判断せずに書いた。
やがて書き終え、窓を何かが叩く音がする。気がつけばいつもの時間だった。
「いらっしゃい」
窓を開けると、美しいブルーを化粧した小鳥がエターシャを見上げていた。
「可愛いわね」
エターシャが小鳥を指先で優しく撫でてやると、小鳥はもっともっととばかりに体を擦りつけてくる。心身が擦り切れるばかりの毎日で、唯一といってもいいエターシャの癒やしの時間。
しかし、いつまでもそうしている訳にもいかない。エターシャが小鳥の首元に糸を巻き、手紙を引っかけると、鳥は一泣きして飛び去った。
その鳥を見上げながらエターシャは言う。
「また明日……ね」
まだ自分には明日がある。両親の汚名を晴らせるのは自分だけ。生きているエターシャだけだ。
――本当に?
「え?」
何か……。
何かがエターシャの頭の中で囁いた。
――貴女に明日なんて来るのかしら……ねぇ? エターシャ。
エターシャの全身を怖気が走った。自分が自分でないものになる感覚。自分以外が自分の中にいる!
「ひっ」
過呼吸気味に悲鳴を上げようとする。
しかし、大声をあげたはずなのに、それはやはり何者かの意思によって阻害され上手くいかない。
「だ、誰!? 誰なの!? い、いやぁ……やぁ……て、手が! 手が勝手に!」
思考だけでなく、次々と身体の感覚がなくなっていく。しかし、手足を自由に動かせなくとも、何故か五感だけはいつも以上にハッキリしていた。それがまたエターシャを焦らせる。
やがて手が勝手にエターシャの無駄毛処理用の小さなはさみに伸びる。
(……嘘……嘘でしょ……やめて……やめてったら!!)
そのはさみを手に取った瞬間、エターシャは半狂乱になる。しかし、どれだけ大声を上げようとしても、口からは一言も声は漏れず、荒い息遣いだけが零れるばかり。
――エターシャってけっこう美人よね……知ってる? 貴女のこといいなって思ってる男性もけっこういるのよ。だ・か・ら! 私がもっと美人にしてあげるね♪
悪意。それをドロドロになるまで煮詰めて何十年も熟成させたような悪魔の声がエターシャの頭の中を支配する。
目の前でハサミがシャキンシャキンと不気味な金属音と共に開閉し、エターシャに迫った。
(あ、ああ……あああ……もうしません! 復讐しようなんて思いません! お父さんとお母さんも忘れます! だ、だから助けて……!! 死にたくないのっ!!)
エターシャは必死で哀願する。
しかし、それに対する返答はゾッとする程低く冷たい声だった。
『あんたのせいで私の肌荒れちゃったのよ……死んで当然よこの雌豚』
ハサミの切っ先がエターシャの柔らかい頬にめり込んだ。
ジャキン!
(ぎゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!)
翌日、エターシャ・マリンは自室にて無残な死体で発見された。
耳も鼻もなく、眼球すらも地面に無造作に転がっている。また、顔のみならず、全身を自分自身で切りつけ、抉り、ここがエターシャの部屋でなければ、身元が分からない程の傷だった。
血まみれの部屋の掃除を命じられたメイド達は溜息を吐きながら、慣れた手付きで部屋を綺麗に掃除するのだった。
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