第一章 美姫の正体

第3話 アーシア・ミーナ・リヴァリアと呼ばれる少女

「…………」

 サッ! サササッッ!!

 闇に紛れ、機敏な動きで駆けまわる影。全身を黒のフードで覆い、手元には闇の中でキラリと光るナイフが握られている。

「…………ここが鬼の寝床か」

 影はゆったりと、夜目のきく瞳で周囲を見渡す。

 暗闇の中であったが、それでも容易に分かるほどに豪華な部屋だった。微かに香る品の良い花の香り。調度品は高価な宝石が添えられ、大きなシャンデリア、そのままお茶会が開けそうなお洒落なテーブルと椅子。足元の絨毯ですら、庶民の寝具よりもフカフカと心地よい。

 そして極めつけは――天蓋付きのベット。

「…………こいつがっ」

 息を殺し、声を殺そうとしても、激情が抑えきれない。それでも、この日のために影は血の滲むような訓練を重ねてきたのだ。地獄の日々を思い返し、影は一つ息をついた。

「スゥ……スゥ……」

 影の標的であるところの鬼――アーシア姫は何も知らずに安らかな寝息を立てている。影はこれから殺す者の顔を脳裏に刻み込むべく、アーシア姫の顔を覗き込んだ。

「――っ」

 綺麗な顔だった。

 傷ひとつない白磁の肌。プルプルと揺れる柔らかな頬は苦労など知らないとばかりにハリで満ちている。影は一瞬、艶やかなピンクの唇に吸い込まれそうになった。噂にたがわぬ美姫であった。少なくとも、表面上は。

 影は無意識に自分の頬を指先でなぞる。

「……………………」

 厳しい訓練の合間に肌の手入れなどする余裕はない。

 乾燥してザラザラの肌。アーシア姫とは本当に同じ人類かと疑うほどの差に、影は小さく嘆息した。

 そして、怒りを新たにナイフを握る手に力を込める。すでに一息で命を狩りとれる距離である。ナイフを細く白い喉に突き立ててしまえば、それだけで憎き鬼姫は絶命する。

「……フゥッ……フゥッ……ハッハッハッ……」

 呼気が乱れる。影は実際に殺しをした経験はない。ただの一庶民であった身から、憎悪の力を借りてここまでやってきた。

 だというのに、目の前に憎い相手がいるというのに手先が震え、今にも崩れ落ちそうになってしまうのは何故なのか。

 影は明らかに殺しを躊躇していた。 

 しかし――。

「あ……あぁっ……ああっ!!」

 奪われた大事な存在を頭に思い浮かべると、唇を噛みしめてナイフを振り下ろした。この鬼姫の寝台までは協力者の力添えがあってこそ、来れたのだ。元より帰る場所もなければ、帰る手段もない。今さら尻尾を巻いて「できなかった」では決して済まされない。

「ああああああああああああっ!!」

 後先考えず、大声を張り上げて振り下ろされたナイフが鬼姫の喉元に吸い込まれていく。

 影は赤い華が咲き誇る様を幻視し……。

「えっ――?」

 我が目を疑った。

 ナイフの切っ先に鬼姫はおらず、切り裂かれたのは布団のみ。羽毛が舞い散る中で、影は茫然と立ち尽くす。鬼姫はベッドの上から夢や幻のように消えていた。

「ど、どうして……」

 一歩、二歩と覚束ない足取りで後退し、ドンッと何かにぶつかる。

「ねぇ……どうしてでしょう?」

 耳元に声が届いた。影は現実味を感じることができない。ただただ、心の奥底から止めどなく湧いてくる恐怖に全身が震えた。ナイフを落とす。背後から声の主に抱きすくめられた。蛇を思わせる動き。

「知ってる? リヴァリアで死罪になると、被害者或いは遺族の望む死に方で刑が執行されるのよ?」

 火炙り、拷問、ミンチ、圧殺、斬首、磔。

 あらゆる死に方が合法として認められている。認められていないのはただ一つ。

 絞首刑のみだ。

 影は己の末路を想像し、戦慄した。

 やがて、もう逃げられないと観念し、言った。

「ご、ごめんっ……なさっ……許してぇ……」

 憎しみも忘れて情けなく影――少女は懇願するのだった。





 私が侵入者に気付いたのは、部屋のドアが開いた瞬間だった。私の部屋の四方八方には魔術によるセンサーが張り巡らされており、たとえ勝手知ったるミリーとてすべてを躱す事は叶わない。

 私は侵入者の殺気を読み取ると、すぐさま侵入者に対して幻術を施した。

 元々私の部屋には、特殊な魔法薬が元になったアロマの香りが充満しており、そこにほんの少し魔力を込めれば、その匂いをスイッチにして幻術、催眠、その他状態異常を相手にかけることができる。

 ものすごく不思議な事ではあるが、私の命を狙う者は多い。最近は少し減ってきたが、数年前などはほぼ毎日襲撃にあっていた。この魔法薬アロマは、襲撃された際に手っ取り早く敵をかたずけられるようにと、私が自作したものである。

 それにしても、私のような可憐な乙女の命を狙うとは何を考えているのだろうか。まぁ、どうせ私の美貌に嫉妬したり、逆恨みなんだろうけど……。

 ともかく、今回も侵入者を見事に取り押さえることができてめでたし、めでたし。

 あ~ん。怖かったよぉ~!

 私はとりあえず侵入者の顔を拝むべく、フードを取っ払った。

「…………うわっ」

 侵入者の顔を見た瞬間、思わず声をあげてしまう。

「超地味っ!」

 背丈や肩幅、腰回りのラインから女だという事は推測していた。そして、勝手に『美少女暗殺者(キャルル~ンッ!)』などと想像し、どんな拷問をしてやろうかと妄想していた。

 ところがどっこい、少女はものすごく普通だった。不細工な訳ではない。とことん地味なのだ。白い肌や明るい赤毛など、派手になりそうな要素はいくらでもあるのに、すべて細めの目が台無しにしている。ほとんどの人間が二重のこの世界において、希少種ともいえる一重少女だったのだ!

 私は抱きすくめていた両手から少女を開放し、ベッドに座らせる。

「もうっ、……こんなことしたらダメじゃないっ!」

「えっ?」

 呆気にとられた様子で少女は私を見上げる。私は怖がらせないように、意識して微笑みを浮かべる。

「お名前は?」

「はっ? えっ!? ほぇっ?」

 慌てる少女。

「ゆっくりでいいの。お名前教えてくれる?」

「あ、あ、アンナ……です」

 アンナ! いい名前っ! 私たちいいお友達になれそう!

「アンナはどうしたこんな事を?」

「ど、どうしてって……どうしてって!!」

 何かを思い出したのか、アンナがキッと私を睨みつける。

 私は慌てず騒がずその視線を受け止めた。

「それは! ……その……貴女は私の兄を……」

 じっと視線を合わせると、少女の勢いは沈静化していく。自分の立場や状況を思い出したのだろう。

 そんな心配しなくていいのに。

「アンナのお兄さんがどうしたの?」

 そう問うと、

「うっ……うぇ……ぇぇぇっ……」

 アンナは泣き出す。大粒の宝石を細い瞳から次々と零し、言う。

「あ、貴方がっ……こ、殺したっ……!」

「…………」

 マジかぁ……。

 いかに天才の私といえども、人を生き返らすことはできない。

 ――でも、ちょっと待ってほしい!

「それは……アンナのお兄さんに原因があったんじゃない?」

 なんか知らないがたぶんそうだろう。私は生まれてこの方、無益な殺生などしたことがないのだから。

「――っ!? やっぱり貴方鬼よっ! 私の兄は貴女が私達の町に訪問した時に、通りで肩がぶつかったというだけで殺されたのよ!? 忘れたとは言わせないわっ!!」

 うわっ、それは酷い。

 でも、私達は繊細な乙女だ。一年の内に一日はそんな日もあるように思う。だが、アンナはそんな私の言い分に耳を貸そうとはしない。

「貴女なんかっ……貴女なんかにっ! こ、殺したければ早く殺せばいいわっ!!」

 覚悟を決めたとばかりにアンナは目を瞑る。

 だがそれが本心ではないことは、ブルブル子羊のように震える身体が何よりも雄弁に語っていた。

 そもそも、私はアンナを殺したいなどとは思っていない。むしろ逆で、仲良くなりたいとすら思っているのだ。些細な理由によって今は私達の心は遠く離れてしまっている。しかし、障害が大きければ大きいほど、それを乗り越えた時の友情は強固になるものだ。

「うーん」

 かといって、どうしたものか。

 現時点で、アンナが私のことを恨んでいることは紛れもない事実である。私がこのままいくら仲良くなりたいといった所で馬の耳に念仏だろう。実際に軽い拷問にかけて翻意を期待するのもありだが、今後のためにあまり酷いことはしたくない。

「あっ!」

 ピンッと、頭のなかで閃くものがあった。

 古来より、恨み辛みは時間が解決してくれるものだ。私とアンアの間には、何よりも時間が必要なのだ。

 そこで私は思いついた。

 とりあえず、TORIAEZU! 問題を先送りにしてしまおう!

 思い立ったが吉日。いつやるの? 今でしょ! ということで、私はアンナの頭に手を翳す。それを実行に移す前に、私はアンナに最後の確認をとった。

「私はね……アンナとお友達になりたいと思ってるの。本当よ? だからさ、過去を水に流して、私と仲良くする気はない? きっとアンナにとってもその方がいいと思うなー」

「クドイわね! あ、貴女なんかと仲良くできる訳がない! 兄さんを……兄さんを返してっ! それができないなら早く殺してよっ!!」

 ワーワーとアンナは騒ぎ立てる。ヒステリックになった女に敵うものはない。アンナは明らかに自棄になっていた。もうこうなると、殴るか放置するしか道はない。

「そっか……。でもアンナ……すっごくキツイと思うよ?」

 人によっては死にたくなるほどキツイだろう。だが、私達ならその壁を乗り越えられると信じてる。

「…………」

 アンナは無言。

 息が荒く、両手を石のようにぎゅっと握りしめている。緊張と興奮により顎先から汗が滴っていた。

 私はゴクリと喉を鳴らした。なんか、すごくアンナが色っぽく見えたのだ。たまに美人よりも、どこにでもいる普通な子の方が色っぽく見える瞬間ってあるよね!

 私はハンカチでアンナの汗を拭ってあげながら、頭に翳した手に魔力を込める。

 フワッと掌が発光する。脳内をいくつもの式が駆け巡り、順々に方向性を構築していく。

 おおよそそれが完成すると、私は術を開放した。

「――rewrite(さいこうちく)」






「…………アーシア姫様おはようございます」

「お、お、おはようございますっ」

 朝、いつも通りミリーが私の身支度を整えに部屋にやってくる。だが、その日はいつもと違う影が一つミリーに付き従っていた。

「うん、おはよう。アンナ昨日はよく眠れた?」

 アンナ。アンナ・シュゲーリン。昨日の深夜、王城前で行き倒れていた所を私に見つけられ、保護された少女だ。

 ここ何年かの記憶がないということで、とりあえず記憶が戻るまでの間、衣食住を保証する代わりに、城でメイドとして働いて貰うことになった。赤毛に白い肌。ここらでは珍しい一重がチャームポイント。

「は、はい! 眠れましたっ! 助けて頂いて本当に感謝していますっ!!」

 勢いよくアンナは頭を下げる。私よりも年上のはずだが、記憶が無いせいか私よりも幼く見える。だが、そういう所も含め、私は彼女が気に入っていた。

「私……何と言っていいか……アーシア姫様がいらっしゃらなければ……」

「ああ、いいのよ。気にしないで? 私は人として当然のことをしただけよ。これからよろしくね。私のことはお友達だと思ってくれていいからっ!」

 涙ぐむアンナを慌てて制す。

「ア、アーシア姫様ぁ……!」

 アンナはまるで神を仰ぐように、尊敬と感謝の念に満ちた視線を私に向けた。私達は見つめ合い、互いの友情を確認し合った。

「…………はぁ……それではアンナさん、朝のお仕事の説明をします」

 対してミリーは、何故か疲れたような表情を浮かべている。さっきからチラチラと私に向ける目が痛い。もしかしたら私がアンナばかりに構うから嫉妬しているのかもしれない。

「…………ふぅ……とりあえず、今日は私のやり方をしっかりと見ていてくださいね?」

 ミリーは私のピンクでフリルのたくさんついたベビードールを脱がせ、手際よくドレスに着せ替えていく。今日はグリーンのタイトなワンピースタイプだ。私の胸元が強調され、我ながらとってもセクシーである。

「わぁ……アーシア姫様……綺麗ですぅ……」

 アンナが私を見て感嘆の吐息を吐く。

「そう? ありがとっ。でもアンナも可愛いと思うよ」

「そんな……私は……」

 アンナは自分の容姿に自信が持てないのか、縮こまる。

 確かにアンナは地味である。一重も希少といえば聞こえはいいが、実際はマイノリティーなだけ。偏見の対象にもなりうる。

 しかし、だからこそアンナは生き延びることができた。

 私はアンナの隣に立つ。

「アンナ、自信を持ちなさい?」

「…………はいっ!」

 私の笑みにアンナは満面の笑みで返す。

 そう、それでいい。アンナが私の隣にいることにより、私はより美しく咲き誇る。

 だから――。

「ずっと私の側にいてね?」

「アーシア姫様……お慕いしています……」

 手を握り、見つめ合う。

 ミリーは私の着替えを済ますと、さっさと出て行ってしまった。

 あぁ、アンナ……いつまでも地味なまま変わらないでねっ!

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