第零章

第2話 鬼姫

「…………」

 一瞬の出来事だった。誰一人として、まともに頭を働かせられる人間はいない。それほどに、衝撃的な出来事であった。

「さっ――――」

 一番最初に我に帰ったのは軍団の総指令だった。

「散開しろ!」

 実に的確な指示。しかし、晒してしまった一瞬の間はあまりにも致命的で――。

 リイイイイイイィイイイイイイイイイイイイイイイイイイイィイイイイイイイイイイイインッッ!!!

 前方数十キロ先から放たれた二発目の光線が、展開していた軍の左翼を瞬く間に焼き払っていく。最後の言葉を残す間もなく、消し炭になっていく部下をただ眺めながら総司令は感情の赴くままに咆哮した。

「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!?」

 兵隊の動揺はもう抑えきれない状況にきていた。士気はガラガラと音を立てて崩れ落ち、背中を見せて逃走する兵まで出る始末。また、指揮系統は千千に乱れている。軍としてはすでに崩壊していた。総司令の脳裏に敗北のみならず、全滅の二文字が赤信号で灯り始める。

「馬鹿なぁっ! ……こんな事がありえるはずがないっ……」

 より致命的だったのは一発目だ。リヴァリア帝国への進軍の折、まだ敵地が目視もできぬ内から光線に中央の本隊を狙い撃ちにされ、目を瞑る間もなく灰に変えられた。リウリス帝国最強とされるリビエスター騎士団は、その力の片鱗も垣間見せることもなく、無念の戦死。残されたのは右翼と左翼。そして今、補給線のあった左翼を焼かれ、リウリス帝国は戦う前から壊滅の憂き目を見ている。リウリス帝国は此度の戦争に国の命運を懸けており、全兵力の七割を投入していた。ここでの負けは、イコールリウリス帝国の敗戦を意味するのである。

「陛下……姫殿下……」

 世に名だたる鬼姫の戦略級滅殺術式。信じていなかった訳ではないが、この射程距離は明らかに異常であった。リヴァリア帝国まではまだ三十キロ以上離れているはずである。総司令は鬼姫が扱う術式の他にも戦略級術式を見たことはあるが、ここまで逸脱したものではなかったはずだ。女神の加護を受けていたとしても、ありえないと断じていい出来事のはず……だった。

「…………我らは…………」

 しかし、それらは現実に起きている。総司令の耳にも、苦痛と仲間を失った嘆きの声が痛いほどに届いている。そして、総司令自身も、すでに右半身を失った状態であった。

「……負けるのか? ……何もできぬまま……」

 無念である。屈辱である。

 元はといえば、この戦が始まった元凶は鬼姫だ。平和条約の締結のため、鬼姫他王子とリヴァリア王を招いて行われた式典。その式典の最中に何の前触れもなく突然、鬼姫がリウリス帝国の姫殿下を殺害したことから始まった。リウリスの姫殿下はそれはそれはお美しく、心根の優しい少女だった。そう遠くないうちに幼いころから親交のあった他国の王子との婚姻も決まっていた。

 娘を大層可愛がっていたリウリス王は発狂。リヴァリアへ宣戦布告することになった。無論、総司令にしても王の判断に否はない。こうして半死半生の身になったとて、間違いはないと断言できた。国民にしても同じ気持だったはずだ。姫殿下はよく城下町へ赴き、国民とコミュニケーションをとり広く深く愛されていた。事実、姫殿下の死を知らせ、リヴァリアへ進軍する折に兵を募った時には万を超える男衆が集まった。姫殿下は断じて殺されてよい少女ではなかった。なのにっ!

「この世に正義はないのか……っ!!」

 総司令の目から涙が零れた。齢四十。四十年ぶりの涙。恐らくは人生において最後の涙になるだろう。無念に泣いて終わる人生。口惜しやと憎悪が総司令の全身から溢れだす。

 そんな総司令を嘲笑うかのように、三度目の白き破壊の光が世界を染めて――。



「くっくっく! はははははははっ! あははははははははははっ! あーはっはっはっはっはっはっ! きゃははははははははははははははははっ!! 見えるぞ総司令殿っ! 哀れな貴様のすべてが透けて見えるわ!!」

 乙女にあるまじき笑いを上げていると自覚しながらも、次から次へと湧いてくる衝動を抑止することはできなかった。爽快な気分だった。社会のゴミを掃除した後はいつも清々しい気持ちでいっぱいだ。

「馬鹿共がっ! このわたしに勝てると思ったかっ?」

 間抜けである。愚かである。これまでにも幾つもの国を兵を私は屠ってきているのだ。大人しく跪いていればいいものを欲を出せばこうなると、一体いつになったら理解するのだろうか?

「…………お主は相変わらずじゃの」

 ここは王城の最上階。王族のみが立ち入れる憩いの場だ。しかし、それは表向きであり、実際にはわたしが占拠していた。そんな所に平然と一人の美女が陣取り、呆れたような目でわたしを見ていた。

「どういう意味よ?」

 やれやれといった様子にイラッとくる。お情けでわたしの側に置いてもらっている身で随分と態度がでかい。

「我の記憶が確かならば、奴らが怒るのは必然じゃと思うのじゃが?」

「はぁ?」

「はぁ? ……じゃなくてな。お主が奴らの姫を一方的に殺したのが始まりじゃろうて」

 そういえば、総司令を名乗るあの男もそんな事をチラッと考えていた。わたしは腕を組んで考える。だが、一向に思い浮かぶものはなかった。そもそも、品行方正なわたしがそんな悪逆非道な真似をするはずがないではないか。

「まっったく身に覚えがないわね」

「これじゃよ……」

 美女はドン引いた様子でわたしから距離を取る。その様子は振りでも何でもなく、わたしを心底恐れているようだった。実に失礼である。

「なによ?」

 気になるので聞いてみる。

「先月の平和条約を締結しにいった時の事じゃよ」

「平和条約ーぅ?」

 もう一度考えてみる。すると、一つだけ思い当たる節があった。

「ああ、もしかしてあの泥棒猫?」

「…………たぶんそれじゃ」

 一度思い出すと、怒りまで湧いてくる。もし本当にあの女の件での報復だとすると、完全に逆恨みもいいところだった。

「あの女死んで当然よ。わたしが前から目をつけてたノウス王国のジェラードくんと結婚するとかほざくんだもの……」

 ジェラードくんがあんな女の毒牙にかかったかと思うと、三日もの間満足に眠ることができなかった。その時の化粧のノリの悪さを思い出し、わたしは魔力を漲らせる。

「――――視力強化」

 術式を頭で思い浮かべ呟くと、視界が広がる。まるで星の先、地平線の果てまで見通せるような気分だ。どこまでも見通せる。視界を遮る程に高い建物がないから、なおさら気分がいい。

「戦略級滅殺術式――――光芒(いちのしき)」

 手を前に翳すと、空間が歪んだ。六芒星をさらに複雑にしたような式が中空に浮かび、そこから光線が一直線に視界の先に放たれる。

「あははははっ、おもしろーい!」

 逃げ惑う敗残兵が次々に光に飲み込まれ、焼かれていく。

「じゅっ! じゅっ! じゅっ!」

 ポンと身体が弾け飛んでいるように見える。体内の水分を一瞬のうちにすべて蒸発させているのだ。ゴミを残さないエコな戦争だとわたしは自賛する。

 しかし、それでも最初の三発よりは威力は大幅に下がっている。それこそが、わたしが疎みながらも、傍らで我が物顔で居座る女を追い払えない理由であった。

「はぁ……なんでアンタなんかが女神なんだか……」

 不満だ。女神というだけあって、実際に美女なのが余計に腹立たしい。

「それはこっちのセリフじゃ。なんでお主なんぞに我が……」

「いやいや、そこは光栄に思いなさいよ。人類史上最強にして最上の美少女に仕えられるんだから」

「どこがじゃっ。人類史上最凶の間違いじゃろ」

 バチバチと視線が交錯する。だが契約者同士。争い合っても不遇な結末しかないため、すぐにお互いにそっぽを向く。

 女神というのは、その時代を代表する権力者や力を持つ人間に対して加護を与え、逆に他の女神持ちを殺してもらうことにより女神の力を拡大する、いわば代理戦争の仕掛け人のようなものだ。女神の力が増大するに従って契約者の力も飛躍的に増大する。女神持ちをすべて殺しつくし、残った最後の一組になれば、新たな世を創造する権利が与えられるとかなんとか。

 わたし自身は眉唾程度にしか思っていないが、わたしと契約している女神――シュリエルはそう思ってはいないらしい。

 本気で最後の一組を目指し、争いのない平和の世を創ると息巻いている。争いで手に入れた力で争いのない世界とは片腹痛いが、ともかくシュリエルが便利な道具であることは疑いようのない事実だ。

 特に契約の副産物として得た神の視点――いわゆる千里眼は何よりも重宝していた。

 これまで殺してきた女神持ちは三匹。あと何匹いるかは分からないが、わたしも望む理想郷がない訳ではないので、力を貸すに吝かではないという訳だ。

「さっきの話じゃが」

「あん?」

 少しの沈黙を挟んで、シュリエルが話しかけてくる。わたしは鬱陶しさを隠さず剣のこもった声で応じる。

「泥棒猫のお姫様の話じゃよ」

「ああ……それがどうしたのよ?」

 もう終わった話だと思っていたから、少し戸惑う。

「ジェラードくん……じゃったか? 取られたっていう」

「そうよ。そうそう! あーもう、イラつく!」

 ジェラードくんは中性的で格好良いというよりも可愛いわたし好みの少年だった。いつか彼の初めてを奪ってやろうと計画していたのに、式典での泥棒猫のデレデレとした様子を思い出すと、すでに初物を奪われている可能性が高いのだ。

「それ、嘘じゃろ?」

「はっ?」

 口を開いてわたしはポカンとする。一体何を言ってるんだ? この女神は?

「我はお主と一心同体じゃ。本心かそうでないかはそれこそ自分のことのように分かる。そして、我は当時の事を正確に覚えており、お主が何故殺意を抱いたか理由を知っておる」

「…………何が言いたい訳?」

 それが疑問だった。語った理由が嘘だからといってなんだというのか。そんな事はどうでもいい事ではないのか?

 しかし、シュリエルは首を振る。

「お主はとんでもないド外道という事じゃ。そして、我はいずれ争いのない世界を必ず創りあげる。その最大の障害は他でもないお主じゃ」

 そう言ってシュリエルはわたしを指差す。

「――っ」

 わたしは声を殺して笑った。当たり前のことだ。世界の創造主は二人もいらない。

 風が吹く。髪が風に揺れるのを手で抑えながら、獰猛な笑みを浮かべシュリエルを睨みつける。

「アンタは――」

「お主は――」

 最後に必ず私が――我が○○っ!

 風が止む。

 ひとしきり睨み合った後、わたし達は大声で笑った。

「本当に……女神って馬鹿ね」

 わたしは笑いすぎて溢れてきた涙を指先で拭いながら、実感を込めて言った。シュリエルは不適に笑うと、サラリと話題を変える。

「それにしても、まさかあれだけで人を殺す人間がいるとはのぉ……。我の見識もまだまだという事か」

「ふんっ、人を殺すのに理由なんかいらないわよ。人間が二人いればそれだけで殺しは起こり得ることよ」

「…………そうか」

 シュリエルが小さく、少しだけ悲しげに呟いた。わたしを哀れんでいるだろうことは察しがついた。しかし、昔のように直接指摘してこないだけ、成長してきたということだろう。心のなかで何を考えようとも人の自由だ。口に出してしまえばすべての終わりだが……。まぁ、勝手に見当違いの哀れみを死ぬまで抱いているがいいさ。









 式典が始まって数十分。わたしはすでに不機嫌だった。その理由は周囲から聞こえてくる声である。

「あれが鬼姫か?」「こうして見てるぶんには鬼姫なんて言われるようには見えないな」「噂通りの美貌だ」「ああ、だな。だけど……」


 ――我らがサラサ姫様の方がお綺麗だ。


「貴方がアーシア姫殿下?」

「ええ、そちらは?」

「私はリウリス帝国第一皇女サラサ・シィル・リウリスと申します。以後お見知り置きを」

 その立ち居振る舞いはわたしから見ても美しく、数瞬目を奪われた。顔立ちは柔らかく、透明感のある金髪が眩しい。ドレスは地味目だが不思議とそれがいい意味でよく似合っていた。

「私、同年代の同姓のお友達が一人もいませんの。ですから、アーシア姫殿下がお友達になってくれると嬉しいですわ」

「まぁっ、それは嬉しいですっ!」

 わたし達いいお友達になれそうね。そう微笑みながらわたしは魔力を込める。魔力はわたしの感情を読み取り、グズグズと爛れ切った憎しみを表現した。

「お手を」

 わたしはサラサに手を差し出す。さぁ、お友達になりましょう?

「は、はいっ」

 頬を真っ赤にしたサラサが憎らしいほどに可愛らしい。あぁ、サラサ。可哀想なサラサ。貴方がもう少しだけブサイクだったら……きっといいお友達になれたでしょうね。

 手が握られる。

 すべらかで小さな手だった。

 しかし、それも一瞬の事。

 繋いだ手を支柱として、そこからグズグズと音を立て、サラサの身体が腐敗していく。

「ひっ! いやあああああああああああああああああっ!!」

 耳を劈く悲鳴。すでにわたしとサラサの手は離されている。しかし、一向に腐敗の進行は留まる所を知らなかった。

「お父様ーーーー! シャラード様ーーーーーーっ! 助けてーーーーっ! いやあああああああっ!!」

「サラサっ!」

 ざわめく群衆を掻き分けて、サラサの父であるリウリス王が飛び出している。私の父であるリヴァリア王やお兄様は頭を抱えて蹲っていた。

「サラサ! サラサ!」

「お父……さまぁ……」

 リウリス王が呼びかけるも、すでに手遅れの状態だった。頭だけが残されており、肉体はもうない。やがて頭も腐敗し、溶けた皮と骨だけになった。

「き……き、きさまぁ……っ」

 静寂が空間を支配する中、リウリス王の嘆きと憎しみが凝縮された声だけが響き渡った。

 わたしは微笑む。満足そうに。

 しゃがみこみ、無残な亡骸となったサラサの側にしゃがみこみ、声をかけた。もう二度と届かない声だ。

「サラサ姫……わたし、今の貴方とならお友達になれそう♪」

 コツコツと、遺骨を指先で転がす。

「ふふふふふふふっ」

 リウリス王を見ると、奴は尻もちをついて後ずさっていた。娘の亡骸を取り戻そうともせずに情けない男。だからわたしはサラサの亡骸をすべて回収する。魔術の一種で別次元に保存した。

「よっと」

 わたしは立ち上がり、お父様とお兄様に声をかける。

「さて、そろそろ帰りましょう?」

 お父様とお兄様はブンブンと機械のように首を縦に振り了解を示す。わたし達を追ってくる者は誰一人としていなかった。

 わたしは別次元に収納したサラサの残骸に話しかける。

「貴方可愛かったわ。すごく……すごくね。もしかしたら、わたしと同じくらいに。でもこの世にわたしより美しい存在なんてあってはならないの。だから……とても残念。ふふふふ、ふふ、ふふふふふふっ」

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