第14話 邂逅

 悔しい。悔しい。


「マドルゲ様、いかがいたしましょうか?」

「負けを認めるまで付き合ってやれ」

「……畏まりました」


 この男は明らかに手を抜いている。だというのに、私の攻撃は掠りすらしない。忌々しい首輪が私の首を絞め、私の力は十全に発揮できない。


「【白かひュッ!」

「シッ!」


 技も魔術も全て首輪が邪魔をする。これで戦いというのだから度し難い。子ども相手にこんな酷い戦い方をして何とも思わないのだろうか。思わないから奴隷商なんてことをやっていられるのだろうか。


「おぉ怖い怖い。ですが、今は何の意味もありません」

「許さ、ない……」


 どれだけ殺気を込めた目で見ようとも何の意味もない。ただの虚勢だ。目の前の男たちがどんな性格なのかは手も足も出ない私に対する扱いですぐにわかる。

 僅かな時間でこれだ。私の素性が割れるまで庇ってくれていたであろう奥様がどういった扱いを受けていたのか想像するのは幼い私でも簡単なことだ。その苦しみを考えると今の私の苦しさなんて。


 私は無理矢理大きく息を吸い込んだ。


「ガアァァァアァッ!」

「おぉ、もはや獣と変わりませんね。いい加減に負けを認めたらどうですか?」


 嫌だ。絶対に。私の種族がどうとか、種族の誇りが云々とかいう問題じゃない。こんなのに負けるなんて絶対に嫌だ。それだけだ。

 それだけだというのに、私の手は相手を掠めることすらできない。守るべき人の前で、守ってくれた人の前で何と無様なことか。悔しくて涙が出てしまう。そんなことをしている暇はないというのに。

 視界がぼやける。しかし、それでもはっきりと相手の下卑た笑みは見えた気がした。蹴り飛ばされる私。素早く立ち上がり、再び敵を睨むが相手はこちらを相手にしていなかった。小間使いの男が飛び込んできたのだ。相手には私から目を離してそちらを見るだけの余裕がある。それがたまらなく悔しかった。


「旦那様! 一大事にございます! 奴隷たちが皆脱走を! その上館に火が!」

「は? モリジアナは何をしている! またサボりか!?」


 ざまあみろ。シャロは内心でそう呟く。だが、ことはこの場に居た面々が考えるよりも深刻なようだった。小間使いの男は口ごもりながら続ける。


「そ、それが……殺されておりまして」

「! ……グスコル、遊んでいる暇が無くなった。何でもいい。そいつの心を圧し折れ。二度と逆らえん従順な駒になるようにな」

「……いいんですか? 心からの忠誠を」

「失うにしても限度がある! 人質は取ってあるんだ! 最悪、言う事を聞かなければ殺せるだけの数もある! 良いから急げ!」


 グスコルと呼ばれた男、側近の男は肩を竦めて私を見下す。嫌だ。何も出来ないまま、誰も助けられずに約束も守れない。その上、一生こんな奴らのために働くなんて……


「そういう訳です。恨むなら侵入者を恨んでください」

「まだ終わってッ!」

「終わってるんですよ。大人しくしてください」


 嫌、だ……いやだいやだいやだ! ここで、これで終わったら私だけじゃなくて奥様も、クリム様だって私に言う事を聞かせるだけの道具として扱われる。勿論、私だって道具の一つだ。

 忌々しい首輪が私を締め上げる。グスコルが私の意識を刈り取るために容赦のない攻撃を浴びせて来る。


「しつこいですね……どうしてももう終わりなのは分かっているでしょう? ここで頑張ったところで……」


 窒息して顔が真っ赤になっているのが自分でもわかる。それだけ、顔が熱かった。自分でもよく耐えていると思う。頑張っていると思う。だが、それだけだ。もう、こらえきれない。


「いや、だ……誰か……」

「―――天相流-水ノ型-【雪暗ゆきぐれ】」


 薄れゆく意識の中、誰かの声が聞こえた。


「なッ!?」

「……!? お前が、そうなのか」


 続く声は、忌々しい男たちの驚愕の声と憎しみの声。その声を聞きながら意識が遠ざかっているのを自覚するシャロ。だが、突然割り込んできた影はそれを許さないようだ。じゃらりという金属同士がぶつかる音をさせると少女の首輪の鍵穴にその一つを差し込んだ。それにより気道が確保されたシャロは咳込んだ。


「な、何故開いた! そいつの鍵は儂が……」

「……経費節約のためか知らないけど同じような鍵ばっかり使ってたらそりゃね」


 出会い頭に大嘘を吐く生意気な小僧。彼は意識が薄れているシャロの顔にこの場に彼が斬り込んできた際に共に現れた水をぶつけると彼女の意識を覚醒させる。


「かハッ……」

「悪いけど面倒見てられる余裕はないから手伝ってくれるかな。この館に居た全員を相手にしたから疲れててね……」

「役立たずどもめ……こんな小僧に負けたのか。所詮はゴロツキ。口だけは達者な素人ばかりか」


 側近……グスコルは吐き捨てるようにそう告げる。左肩に先程この場に飛び込んできた小僧の斬撃が入っており、血が出ているがそれでも余裕の態度を崩していない。相手が子どもだと侮っているのだ。それに、先程まで人間よりはるかに強いはずの種族、白霊虎を一方的に甚振っていたことが彼の自意識に影響を与えていた。


「けほッ、けほ……あ、あなたは」

「そんなことより来るぞ」


 少女の声に応えない少年……レインス。彼は敵のことを正確に見据えながら少女を盗み見た。一目見ただけでわかる白髪と人間の耳とは違う位置にある綺麗な三角の猫耳。間違いなく彼女が白霊虎だ。だが、レインスの評価は微妙だった。


(……白霊虎だからって警戒し過ぎたかな……首輪のことがあるとしても、ちょっと弱過ぎるんじゃ……?)


 見捨てて自分一人だけ逃げるのが正解だったか。レインスはそう考えつつ最悪、邪魔にならないように逃げてもらえればそれでいいと彼女から目を逸らす。

 最後の相手は老練な男の様だ。先程までの様な剛の強さはないが柔らかなしたたかさがある。同時にその経験故の驕りもあるようだが。


(初手の不意打ちで決めきれなかったのが痛い。が、それでも所詮子どもと侮ってくれてるな……次がこの戦いの趨勢を決める一手になる……)


 静かに構えるレインス。相手の油断を誘えるように故意に隙を残した構えだ。当然、相手はその隙に気付いておりそれも相まって余裕そうな表情を浮かべている。


 だがその隙は余計な者にまで誤った認知を与えてしまったようだ。


「……先に行きます。あなたは隙を見てさっきの技を」

「は?」


 レインスが反応するよりも先にシャロは相手の前に飛び出していた。遅れて反応するレインスだがもう遅い。予想外のシャロの動きに傷を負ったグスコルは油断を捨て、全力で事に当たり始めた。


(……やられた。腐っても白霊虎か!)


 既に並のレベルを超えた両者の戦いを見てレインスは歯噛みする。レインスに残されている選択肢はもはやないに等しい。いつ来るかもわからない隙を待っていては火の手がこちらに回ってくる可能性が高いのだ。

 そもそも、シャロとグスコルの実力的に言えばグスコルの方が断然上。力と速度は白霊虎の少女が上回っているがそれ以外は全てベテランの戦士の方が上。この状況では隙など回ってこない可能性だって十二分にある。


(逃げるという考えもあるけど、顔を見られている以上それはマズい。白霊虎に逆恨みでもされたら後々が……いや、理由をつけるのは今はいい。助けられる奴を見捨てるのは後味が悪い。ただそれだけで十分だ……)


 短い思考と共に小さく息を吐くレインス。彼は溜息混じりに呟いた。


「……今の俺だと、一日に二回も使っていい技じゃないんだけど仕方ない。人前で使うのも嫌だが相手は白霊虎だ。恩人を売ることはないだろう……折角、時間稼ぎをやってくれてるんだからこの機を逃さないように……」


 レインスは構えを変えて静かに瞑想する。それは、先程よりも深い瞑想だ。しかし一瞬にも満たない瞬間。彼は外気から集めた仙氣を服を含めた全身に通し、誰かに聞かせる訳でもなく呟くのだった。


「【仙氣発勁】」


 瞬間、レインスを中心として微かな風が外側に向いて吹く。それが済むと彼の姿は一変していた。



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