第12話 隠密

 レインスが向かった奴隷商館の二階は既に売却が決まっている奴隷たちであり、これから売られるということで外見だけでも取り繕うべく最低限の人間としての扱いを受ける場所だった。

 尤も、この行為に奴隷たちへの恩情はない。単に売り払われた先で不要になった際にもう一度売り戻される場合にこの場所の方が悪くなかったという印象を最後に植え付けること。そして、これから売り飛ばす商品の外観を整える意味しかない。


 そんな場所にいるレインスだが、彼は何も言わずにこの館の中でも氣が強い存在である男の頭を屋根裏から覗いていた。同時にこの部屋の様子が嫌でも目に入る。


「ぁ、あぁん……もっと、もっとぉ……」

「この売女が! そんなにいいのか!」

「はっ、ぃ……」


 嬌声にも悲鳴にも聞こえる声で続きを求める女性。男はそれに応えるように動きを激しくしていった。


「くそっ、この女……! 雇い主が少し目を離してる間にちょっと味見してやろうと思ったらこれだ! あいつが来る前に満足しろ! 何回目だと思ってんだ!」

「あっ、アッ、だって、でも、いいからぁ……んぁっ! また!」


 中にいるのは白い肌をした金髪の女性と黒褐色の肌に燃えるような赤い髪をした男性。二人は天蓋付きのベッドでお楽しみの真っ最中だった。


(……あっちの女は首輪付き。奴隷か……で、あっちの男が俺が辿って来た強い氣の発生源だな……ただ、今は隙だらけで何の意味もない)


 行為に夢中でレインスのことなど微塵も気づいていない男。レインスは冷たい目をしたまま静かに屋根裏の床を外すとそこから仙氣を込めて鋭さを強化した短剣を投擲した。


「がッ……」


 レインスの放った短剣は狙い違わずに男の首に命中し、男を絶命させる。彼は何も理解できないまま逝った。周囲の警戒など一切せずに腰しか動かしていなかったただの的に綺麗に短剣を命中させたレインスは大した感慨も抱かずにそのまま二階へと飛び下り、綺麗に着地した。


「なっ……子ども……?」


 目の前で男が不可解な動きをして動かなくなったこと。そして目の前で男が人ではなく鮮血を滴らせる置物と化した光景を理解できないまま目の前に新しく子どもが降りてくるという非日常的な光景を目にした女性。彼女は困惑したままレインスを見下ろす。だが、レインスは彼女の言葉に一切答えずに行動を取るだけだ。


「……奴隷とは思うけど、どっち側か分からないから。悪いけど」


 レインスは目の前の女性が傭兵の情婦だった場合を考えて彼女を強烈に殴って解放せずに気絶させた。その後、絶命した男を女の上に覆い被らせシーツで蓋をしてから周辺の気配を探った。


(……下に動きはない、か。なら……二階の奴隷たちの解放に動くか……)


 レインスは意識のある者のいない部屋を後にして屋根裏伝いに黙って行動を再開する。酷く地味な単純作業だ。屋根をくり貫いて非日常的な力を見せ、奴隷たちの鍵を外す。鍵も基本は経費削減の煽りか、同じようなパターンだ。中世の鍵でイメージされるウォード錠。その鍵穴の内部にあるプレートのパターンを内部にある空気を仙氣で固定することによって真似し、開けていくだけ。


「何だ? 小僧が何でこんなことを……」

「あんた、裏稼業の人間だろ? なら見た目だけで判断しないようにするのは」

「あぁ、あぁ……分かってる。何にせよ、恩に着るぜ」

「恩に着るんなら協力してくれ」


 途中で出会う犯罪による刑罰の奴隷に指示を出しつつ何も考えられない一般奴隷たちも解放だけしていく。途中で勝手に外に出て行った子どもの奴隷もいるが、彼に対する警報が鳴り響くよりもレインスが全ての奴隷を解放する方が先だった。


「さぁ、始めよう! 今日が諸君らの解放記念日となるように!」


 合図と共に一斉に奴隷たちが戒めを解いて脱走を開始する。逃げ出す方向は全て同じ。その気配に気づいた門番が素早く動いたようだ。


 遅れて、地下でも動きがある。


(……ルートが違う以上、先に潰せる奴から殺っておきたいな。目標は門番の方とするか)


 それらの動きを正確に把握したレインスは奴隷たちが奔流となって逃げだしている裏口とは逆方向に向かう。そこで想定外に早くこちらに辿り着いた地下の傭兵が顔を出した。


「何だテメ」


 構えるより先に何の意味もない言葉を発すという致命的なミスをしてしまった傭兵はそのミスの対価を文字通り命で支払うことになる。彼が最後に聞いたのは周囲の魔力を用いた技を発動するためにレインスが口にした小さな言葉。


「天相流-水ノ型-【雪暗ゆきぐれ】」


 これだけだった。遅れて来る者たちに何も伝えられずに絶命した傭兵。しかし予定が狂ったレインスの前に門番が立ちはだかる。今度は油断も何もない。


「小僧……どこの手の者だ?」


 油断なく構えている相手に物も言わずに飛び掛かるレインス。相手は舌打ちした後に魔術を詠唱した。


「【火炎弾ラガ・ゴウジャ】!」


 燃え盛る火球が門番の前に唐突に現れる。成人の頭を優に超えるサイズの炎弾。それがレインス目がけて襲い掛かってきた。魔力を殆ど持たないレインスであれば当たれば火傷は間違いない。


 その場にいてそう思ったのは、門番だけだった。


「天相流-水ノ型-【雪暗ゆきぐれ】」


 その音は火炎の中に消えていく。だから、門番は何もわからないまま相手の失策を見送るだけだった。だが、先程、彼の仕事仲間を屠った動きからして只者ではないことは理解している。その警戒心が彼の命をつなぎ止めた。


「!? くッ……!」


 炎塊から飛び出て来た人影。即座に反応するもその気配の不明確さに目測が狂ったのか受け損ね、傷を負ってしまう。理解できない状況。魔力もほとんど持たない正体不明の相手の異常な行動……いや、彼はこの技を知っていた。だからこそ、目の前の行動に納得がいかないのだ。


「小僧。お前のその動き……王国の技、だよな? 何でこんな辺境に近衛軍の奥義を使える奴が……しかも、魔力を殆ど感じさせない子どもが……」


 当然の疑問。だが、この場で問うには不適切だった。答えることもなくレインスは再び彼に襲い掛かる。受ける門番。だが、先に受けた傷の所為で反応は鈍い。


(このガキ……! 中々やるな……ただ、大人を舐めるなと言える程度か。その前に館に火が回りかねん。消すか……)


 大人とルール無用の殺し合いで渡り合えるだけ褒めてやれるレベルだがまだまだひよっ子。どうにでもなりそうだ。そう考えた門番は優先順位的に先程放った炎弾を鎮火することを優先する。そうでなければ大変なことになりそうだからだ。


「【水流弾ジラ・ドィラ】」


 だが、それは大きな誤りだ。彼がレインスと炎を結ぶ一直線に高圧で固められた水弾を放った瞬間、レインスは門番の死角……水弾の影になる場所で笑う。


「天相流-水ノ型-【斬時雨きりしぐれ】!」


 そこから先、門番に記憶はない。そして、未来もなくなった。魔力で生み出された水を利用して放たれたレインスの左右の薙ぎ払い。どちらかを自身の刀で、そしてもう一方を水の刀で薙ぎ払う技を受けて彼は文字通り上半身と下半身で分割されることになったのだ。そして、それを正しく認識するより前にレインスは彼の生命を終わらせた。


「……よし。魔力の水はまだ自前じゃ準備できないからこの技は練習だと出来ないところだったが……実際は出来ると分かれば重畳」


 命のやり取りを終えたばかりというのにレインスは至極冷静に立ち回る。術者が死んだことによってコントロールを失った炎と水を見てレインスは少し考えるが、考えをまとめたところで頷く。


「いいか。このまま燃やそう……魔炎の気配に反応して地下の増援がここに集まるだろうし……仮に燃えたとしたらそっちの方が証拠も消えるし、派手でいい」


 この町の混乱を目的としているレインスは館の炎上を選んだ。そこに慈悲はないが、一応やることはやっておく。


(この騒ぎで地下のがようやく上に出て来たな……じゃあ俺が今度は地下に潜り、制限時間内に出来る限りの解放を……)


 ここに雇われていた傭兵の事前情報からして、最後に残った傭兵は暗殺者のはずだ。その者の情報からして優れた頭脳を持つため、ある程度広がった火災を見ても犯人を止める方を優先するためこの場には館の別の者を派遣して自身は犯人を追うことが推定される。


(だが、頭がいいからこそ分からないし、気付けない……別の世界での恨みという馬鹿な恨みでこんなことをやってのける奴がいて、何を考えてるかなんてな……)


 動機などというどうでもいい事を考えつつ、レインスは黙って移動を続ける。目的の地下はもうすぐ目の前に迫っていた。



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