第21話 血戦

 レインスの呟きの後、ガフェインは初めて戦闘態勢を取る。これまで相手を観察することに徹していた彼が目の前の相手から身の危険を感じたのは少年が不意打ちで繰り出した最大奥義を撃ち出した時以外、初めての事だ。


「……邪法に身を染めたか」


 そこまで自分の誘いが嫌か。洗脳されているようには見えなかったため、自分の意志で決めたことなのだろう。少し傷付くガフェイン。

 それはそれとして目の前の邪法に身を染めた小さな獣をどうするか、それが問題だった。気を抜けば歴戦の強者である自身とて危うい相手。その少年はガフェインを殺すために胸から現れた漆黒の刀を振るう。


 そして、ガフェインの耳に音が聞こえた。


「【卑影刃ひかげば】」


 その声がガフェインの耳に届いた時には少年は唐突に消えていた。ガフェインは少年が放つ血の匂いに反応してすぐに対応するがそれでも遅い。腹部の裂傷に漆黒の刃が更に入る。


「調子にッ、乗るな!」

「【月景つきかげ】」


 即座に反撃に転じるガフェイン。大岩をも砕く彼の蹴りがレインスに迫る。だが、その前にまたも消える少年。夕闇の中に溶けたかのような彼の挙動にガフェインは苦い顔をする。


(……なるべく、五体満足で生け捕りにしたいところだ。あまり動かないでほしいものだが……)


 ガフェインの予想ではこの状態はそう長く持つものではない。現にレインスから匂う血臭は増しており、普通であれば既に動くのもままならないだろう。無理矢理邪法で動かしてはいるが、人体である以上は限界が来るはずだ。それまで耐えればいいだけの話。


(これ程の素体だ……今から育てるのが楽しみだのぉ……)


 既に勝ちを確信してガフェインは内心でほくそ笑む。その油断は表に出さないが、暗殺者と化したレインスの鋭敏な感覚には感知されていたようだ。ガフェインの影の中から現れたかと思う唐突さで獣魔将の背後を狙う。


「【暗鬼刃やみきじん】」

「ぐッ……まだまだァッ!」


 先入観から傷付いた場所を庇いに出たガフェインの虚を衝く攻撃。もろに入るが獣魔将の耐久力は人間のそれを遥かに超えている。また、彼の獣毛はそう簡単に刃を通さなかった。ダメージは軽微だ。


(それにしても小癪な……この辺り、一度更地にしてやろうか……)


「ジュ・ラルギャ……」


 レインスが隠れる余地をなくせば自身に有利に動く。そう考えて森を焼き払おうと火の魔術を行使しようとしたその時、レインスの動きが変わった。


「そう来ると思っておったぞ!」


 それを待っていたかのようにガフェインが動く。森を焼き払うという行為は本気で実行するつもりはあったが、一種のフェイントとなる行動だったのだ。果たして視線の先にレインスはいた。


「そら捕まえた!」


 ここからであれば身体能力で勝るガフェインが仕損じることはない。真っ向勝負に出るガフェイン。直接ぶつかる。


 ……その瞬前、レインスは横に動いた。ガフェインもそれを追う。そして、彼は自身の足元にちゃちな子どもが作った罠があることに気付けなかった。


「なっ……」


 魔術でも何でもない手作りの罠。素人が作った物だろう。力任せに振りほどくのは簡単だった。だが、その為に使ったワンアクション。それが大事だった。ガフェインは正直、レインスのことを侮っていた。そのツケがここに来て彼を襲う。


「……【闇唄・神楽】」


 歌うように、嘲る様に、呪うように、斬撃とそれによって引き裂かれる物たちが狂騒音を奏でる。ガフェインはそれを見て、次の瞬間。無意識に判断した。


「【獣王魔双撃マジェ・ディ・アルガッダ】!」


 獣王の咆哮にも似た攻撃が深淵で奏でられる狂騒曲を掻き消した。即座に獣魔将は相手の安否を確認する。殺すつもりはないのだ。だが、今の一撃は咄嗟に、完全に殺すつもりで放ってしまった。


(奴の血の匂いが夥しい。やり過ぎたか! すぐに……)


 そんな安い考え。ここまで来ても彼はレインスのことを舐め切っていた。だからこそ血の匂いに気付いた時にすぐに行動に移さなかった。その所在がどこにあるのかに気付くまでのほんの数瞬、レインスは値千金の空白の時間を得る。


「【厄禍繚乱やっかりょうらん闇夜咲やみよざき】」

「お、オォオオォォオォッ!」


 斬撃が齎す災厄の奔流がガフェインを襲う。血飛沫が上がる。その光景は闇夜の川辺に群生する彼岸花を幻視させるものだった。それと同時にレインスはその場に前のめりに倒れる。最早指一本動かす力もない。漆黒の剣も消えている。


 ―――だが。


「ハッ……ハッ……い、今のは、危なかった……褒めてやろう。レインス」


 獣魔将は、生きていた。その左手を犠牲にし、獣毛から血を滴らせながらも尚も健在だった。彼はもう動けなくなったレインスのことを警戒しながら近づく。


「……もう、動けぬとは思うが念のためだ。【悪意ダジャクセル】」


 レインスの身体を病に似た毒が襲う。抵抗力の欠片もないレインスは素直にその術を受けてか細い呼吸を乱し始めた。その様子を見てガフェインは気付く。


「ハッハッハ……まだ意識はあるのか……誇れ。これ程までに儂に血を流させたのは他の将軍と戦った時以来だ……お前には素質がある」


 獣魔将ガフェインの賞賛の声。しかし、それは勝者が敗者に掛ける慰めにもならない言葉だ。かけられたレインスは指一本動かせない中で涙を流していた。


(畜生……意識が、戻った……最悪の状況で……! 畜生!)


 本来であれば喜ぶべきこと。しかし、今回のこれはもはや打つ手なしということを示しているものだった。そのため本来であれば気にすべき点に彼は気付かない。

 だが、それも今の彼にとってはどうでもいいこと。勝てなかった。守れなかった。その事実だけがレインスの体中を満たしていく。


(これだけやってもダメなのかよ……! 俺一人じゃ自分の生まれ故郷すら救うことなんて出来やしないのかよ……!)


 かつて魔王を倒し、世界を救った勇者パーティの一員は嘆く。その言葉すら発すことが出来ない自身の弱さに涙さえ流した。荒い呼吸だけが響く中、ガフェインは上機嫌で自身の怪我を簡単に手当てしている。


「グハハ……よき収穫だ……痛むが、それに見合うものは得た……」


 雑な手当てを済ませたガフェイン。彼はレインスに剛腕を伸ばす。しかし、その手をふと止めた。そしてレインスは……身じろぎ一つできない中、幻視した。


「……助けに来たよ」


 声まで聞こえた気がする。それとほぼ同時に先程までの上機嫌を打って変わらせて苦々しい顔になるガフェイン。その奥にレインスはかつての勇者を見た。


「【カラミティ・トゥオーノ】!」

「【魔獣刃】!」


 男が姿を現すと同時にガフェインが攻撃する。だが、レインスが勇者を幻視したのはそちらではない。その奥で剣を構える中性的な美少女だった。


(女……?)


 何故、彼女を勇者と見間違えたのか分からないレインス。かつての勇者は間違いなく男だと断定できる姿だったはずだ。だというのに姿をはっきりと確認した今も彼女のことを勇者と見間違えてしまった。装備も、姿形も異なるというのに、だ。


(親戚……いや、あいつは客人まろうどだ。この世界に親戚がいるはずがない……)


 思い浮かぶ考えを消していくレインス。だが、今はそんなことよりも目の前の事だ。獣王は新しく現れた二人を油断なく見据えながら唸る。


「よいところに邪魔をしおって……貴様らはいつもそうだな」

「おいおい、んな子ども相手にいいところ? ハッ、あんたいつからペドフィリア入ってたんだ? んなガキ相手に上等な格好してんだから俺たち相手ならさぞかし愉快な格好になるんだろうな!」

「やってみるか?」


 男が軽薄に笑うとガフェインは不敵に笑う。その奥にいた少女を言ってもいい女はうつ伏せに倒れているレインスを少し見た後にガフェインを睨みつけた。


「その子から離れろ。さもなくば殺す」

「おいおい、戦乙女ちゃんは甘いねぇ? どっちにせよ殺しちまおうぜ?」

「……見ての通りの有様だが貴様ら程度ならまだ簡単に縊り殺せる。が、その間に貴様らの後ろにいる部隊と合流されると困る……これでも軍を預かる身でな。易々とはこの命、賭けられん……この場は引かせてもらおう」

「二人して俺のこたぁ無視って訳かい? 上等だ、すぐに」


 斬撃一閃。辺りにある氣を抜かれた枯木が薙ぎ倒され、土煙が上がる。男はすぐに臨戦態勢に入り、獣王を追撃する。


 だが、獣魔将は簡単に追撃を振り切って叫んだ。


「また会おう! ヘラジラミナ・レインス! 勇敢なる人の子よ! 誇るがいい!素晴らしい戦いぶりだったぞ!」

「逃げんな! ここで殺す!」


 追いかけようとする男。それに背後から女が声を掛ける。


「……追いかけるなら一人でやってくれ。僕はこの子を助ける」

「……チッ! わーったよ」


 危機が去った。それにより緊張が途切れたレインスはそのまま意識を手放したのだった。




 

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