第8話 天使と悪鬼
レインスが居なくなった後、村に残されたメーデルは所在なさげに散歩を続けていた。
(……レインス、どうしたんだろう……?)
彼女が思うは今別れたばかりのレインスのこと。彼女が村を出る前のレインスと出会ったのは偶然ではなかった。メーデルは村長から彼女に与えられた家で、本来あるべき気力が身体から大幅に失われている何者かの気配を感じ取ったのだ。それがレインスであると理解した時には既に出かける用意を済ませて玄関へと赴いていた。
心配し、急いで友人となったレインスの下へやって来たメーデル。だが、その結果得られたものは表面上の元気を振りまいたレインスの決して内面には立ち入らせないという態度。それを残して彼はどこかに行ってしまった。
(……わからない……)
あの時、メーデルが遠くから感知出来る程に彼の身体は確かに傷ついていた。精神もだろう。彼女の敏感な魔力はそれを確かに感じ取っている。それは、レインスが村から出ようとして離れている今もだ。
(でも……レインスは、教えてくれない……私にも、みんなにも……)
無理に知る事が相手を傷つけることに繋がるということを知ったのは彼女の生まれを養父に問うた時。だから、今の彼女に出来るのは祈ることだけ。
(けが、しませんように……危なくないように……女神様のご加護がありますように……)
散歩の終着点。彼に教えられた彼女の秘密の場所。そこでメーデルのプラチナ色の髪が光に映える。その願いは届くのだろうか。
女神に加護を願う天使の祈る先。そこには悪意に染まった子鬼がいた。
「思い出した。思い出したぞ……村人全員が憂き目に遭った理由……!」
元の可愛らしい顔立ちに怒気を散りばめ、険しい表情で駆ける少年。猛獣の如き速度で隠れ里を目指すのは先程まで上機嫌で過ごしていたはずのレインスだった。彼はヌスリトの町に行くことを決めた際に急に思い出したのだ。前世での村襲撃の際、何があったのかを。
(あの町のせいで俺たちの村が……!)
これから行く町、ヌスリト。その正体を思い出した時、レインスが武器を振るう躊躇いはなくなった。盗人の町ヌスリト……その正体は北方戦線にて何らかの戦禍を被った人々を
(獣魔族襲来に際して逃げようとしていた村人たちを騙して集め、二次被害を生み出したごみ溜めだ……)
レインスの脳裏にフラッシュバックする光景。村の防衛線を崩し、撤退を妨げた人類の裏切り者たちの姿。前世でレインスの心の闇の原点であるその日。思考が黒く、黒く染められていく……しかし、レインスの思考が黒に染め上げられる前に彼は我に返って首を振った。
(こんなに重要なことも飛んでたのか……これは、マズいな……)
思い出し憎悪をそこで切り上げ、対策を打つべき問題点をすぐに思い出せなかったことに対して苦い顔をするレインス。幸か不幸か前世の経験から多大なストレスへの対処は万全だ。判断を鈍らせる暗い感情は一旦捨て置いてどうすべきかという未来志向へと転換する。
(何となく嫌だという気分は残ってた。人類同士で争ったのも覚えてた……だけど、それが何故なのかは深く考えないと思い出せなかった。これからは考える癖をもう少し強めておかないとダメか……)
レインスがヌスリトの町について思い出せたのは彼が今世においては覚えたてであるとある技を試す事が出来る場所、そして攻撃の練習だけではなく防御の練習も出来る場所はないかと考えた時だった。その時、瞬時に脳裏に浮かんだのがヌスリトの町。
だが、流石に真っ当な町ではないとはいえ、人間相手に理由もなく急に斬りかかるわけには……そう思い直した時に理由として、悪夢が呼び覚まされたのだ。
再び悪意が揺り起こされる感触にレインスは静かに、一瞬だけ目をつぶって思考を切り替える。そして感情を鎮めるために理性の言葉を吐いた。
「……予定では、魔族侵攻まで残り三ヶ月を切った。この時点であの町の支配体制を乱しておけば……少なくともこの期間程度でまとまるということはないはず……最悪の事態は回避できるはずだ……」
最悪の事態の回避のためにヌスリトの介入を阻止しようと考えを巡らせるレインス。そこで思い当たるのがヌスリトの町がきわどいバランスで成り立っているということだ。あの町は様々な利権によってバランスが保たれている。戦場から奪った盗品。戦意高揚のための非合法ドラッグ。慰安のための娼館。そのどれもが外需に頼るものながら叩けば埃の出るものばかり。
つまり、あの町の主産業は後ろ盾のない個人で出来る物ではなく、縦と横の繋がりが確実に存在する。そしてその繋がりというのは綺麗な道徳や人情などではなく、分かり易い金と損得勘定の賜物。そうであるのならば効果的な行動も単純になる。
(利権で守られてるところ……多少危険でも手を突っ込みたくなるような魅力的な組織を狙ってそこを弱体化し、内部で喰い合わせる方向を目指すか……)
激情のままに進んでいたレインスだが、そのまま突っ込むほど無謀ではない。理性による方針を定めるとそこに自身の目標達成のための近道である奴隷狩りの組織の弱体化を喰い込ませる。
(となると……抵抗の可能性を考慮してある程度の戦力を持ち合わせている奴隷狩り本隊を狙うよりもその後方支援組、特に儲けのある場所を狙うのがいいか……)
思考を加速させると同時に時に意識せずに移動も加速させるレインス。魔王に追い詰められ、荒廃した町を勇者パーティの斥候として見て来た彼はそう言った類の裏組織もそれなりに見て来た。そして、勇者パーティの一員としてそう言った類の組織を潰したことは何度もある。そのため、弱体化や壊滅のために打つべきある程度の狙い目も推測出来る。
(まぁ、やはり……奴隷市場が狙い目か……?)
レインスに思い当たったのは奴隷を保管し、売買に掛ける場所を受け持つブローカーたちだった。既に拘束された奴隷たちを相手取るため、敵対する護衛役がそれほど強くなさそうなのが理由だ。主人を守るための護衛と見張りは居るだろうが、奴隷を解放すれば数の差から見張りはそちらに対処することで精一杯。また、護衛は主を守るので忙しくなるため足がつきにくい。
加えて、実利の面では襲撃に成功すれば奴隷たちを逃がすという失態を犯した者の後釜を狙って動き出す者が現れるはずだ。
(尤も、そのための功績積みに外に、特にウチの村に出て来られても困るが……いや、まぁ通常時に来たとしても父さん母さんらが通しはしないだろうけど……嫌な事態が起きないに越したことはないし、逃亡に手を貸す予定の奴隷たちに色々と手を加えさせてもらうか……)
レインスがの作戦が形を成していく。崩すことに決めたのはヌスリト最大の利権であり、前世の経験を引き継いだ今のレインスにとっての悩みの種である奴隷商会。そのピラミッド中層に位置する奴隷市場の管理者だ。
潰す対象の奴隷市場とは奴隷狩りをして来た各部署から奴隷をまとめて買い上げ、集めた奴隷に教育を施して様々な用途で売る場所だ。
戦場や表向き奴隷を禁止している場所へ奴隷狩りに向かうピラミッド下層組とは異なり目に見えた危険がなく、確実に収益を上げられる安定した中層。その上で踏ん反り返って名前を貸している上層の名前に泥を塗ってその安定を揺るがし、下で燻ぶる火種を周囲へ散らばらせることなく上へと向かわせることが目標となる。
(恐らくは代金未払いの問題、機会損失の補填、信用失墜で下が上に突き上げ、上は損失の補填のために逃げた奴隷を狩りに向かわせ、新しい仕事は手につかないだろ……加えてこれを好機とみて他の組織も手を出すかな……? 少なくとも、奴隷商と娼館はかち合うだろうが……奴隷を物と主張して火事場泥棒組も混ざるか?)
嫌いな奴の不幸を想像して嫌な笑みを浮かべるレインス。地図上ではまだ森が続いているはずだが、気付けば木々の密度が薄くなり始めており……鳥の様に遠くまで見通すことが出来るその双眸に、敵の拠点であるヌスリトの町が映った。
「さて……まずは、偵察と行こうか……」
悪人特有の汚れた氣を頼りに開けた場所を見つけたレインスは獲物を樹上から見下ろす。森を駆ける間に彼は使えそうな物は拾って来た。今、レインスは地を駆ける猛獣から狩人と化した。
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