第7話 紅き道

 メーデルを送り届けた後、レインスは本当の目的を達成するために夜の中を動き出す。さして裕福であるという訳でもない村。道具などによる灯りもなければ異世界からの客人まろうどが開発した道具もないため村人たちは日が暮れれば眠りに就く生活を送っている。

 そんな彼ら、彼女たちを尻目にレインスは万が一すらないように細心の注意を払いながら村を抜け、森の中を突き進む。その行動自体が少年に戻った彼にとっては重労働だが、この程度で息が上がっていては獣魔族と戦うなど夢のまた夢だ。


(思うように移動できる程度にはなったか……流石に大人になった時の俺よりはかなり弱いけどこっちに来た当初より格段に強くなってる……)


 最短距離を最速で移動するために走る脚力だけではなく樹上に上がるための腕力、そして姿勢保持力などの身体能力における様々な力が上がっているのを実感すると共に周囲の情報を把握する力も育っていると思いながらレインスは逃げに徹する野兎の如き速度で移動する。


「はぁっ……ここに来て戻るだけで精一杯だった最初に比べて大分マシになれたかな……仙術様々だ」


 目的地に着いたレインスは侠客立ちでそう呟いた。やり直しの世界に来てそこまで時間経過していないのに彼が急成長を遂げたのには勿論理由があった。それが仙術。あらゆる自然エネルギーを巡らせ、強化するすべだ。

 この力によって彼は全身の筋肉が疲労によって断裂したとしても、周囲の自然……例えば木々の成長力や回復力などの力を捻じ曲げることで自身の身体の回復に繋げて体を動かすことが出来た。それにより、彼は急速な能力向上を遂げている。


 ここに到着した今も少しだけ特別な出自程度の才能のない子どもには無茶な動作を行った代償を払えと要求する身体を黙らせるためにその力を行使して強制的に体を治しにかかっている。


「っが……あぁぁぁあぁッ! っぐ……づ、ぁ……」


 当然のようにその強制執行の代償が彼の身体を襲うが。柔らかな痛みとゆっくりとした治癒を強制的に縮め、凝縮しているのだから当然と言えば当然。だが、本来彼が使うの仙術であればこのような事態は起こり得ないはずだった。

 では、なぜ起こるのか。それは仙術を使うのに慣れていないこの身体では自然の力を回復に回すのが精いっぱいだからだ。加えて、ここに来る前に自宅で周囲の目を欺く存在を作っていることが自前のエネルギーの枯渇に拍車をかけている。

 結果、外部エネルギーによる回復は行えても自身の内在エネルギーを操って鎮痛を行うことが出来ずに無理に動かしたダメージと急回復によって体を作り変えられる激痛にのたうち回る羽目になる。


 涙を流しながら、乳歯から生え変わったばかりの永久歯を食いしばると歯に罅が入った。それすら回復によって治しながらレインスはただ一つだけの思いを胸に激痛を飲み下す。


(これさえ終われば、ここさえ乗り切れば……!)


 レインスはその一心で今、動いていた。涙を流し、内出血で青痣がどころか紫色に体を染めても彼は何も言わずにその場に蹲って耐える。誰がどう見ても無茶だと判断するであろう厳しい修練。他者が強要するのであれば虐待だが、自分が選んでやっているのだから文句は言わせない。

 自傷行為にも近いそれを自身に課したレインスは一際大きく痙攣した後に荒い息を何度も吐いてその場に仰向けに倒れた。


「はぁっ……はぁ……あぁ……ッッ……ぇほっ……ハッ、ハッ……は、はー……ふー……」


(……大丈夫。まだいける。生きてる。行きたい未来さきがあるんだ……本当なら道がないんだから、無理矢理作るんだから、大変なのは当たり前なんだから、頑張らないと……)


 休んでいる暇はないと疲労による倦怠感に襲われながらレインスは涙を滲ませ、精神の力で無理矢理体を動かして立ち上がる。視界が霞んで一瞬ふらつくが近くにある木を支えに立つと一度目をつぶり大木のエネルギーを取り込んで再度自身の身体の回復を促して動き出した。


「頑張らないと……」


 その日もレインスは眠れぬ夜を過ごし、時間を気にせずに限界まで鍛錬を積んだ後、夜が白み始める前に戻るという条件で自分を更に追い詰めた。


 そしてこの日ようやく、彼の地獄の修練が結実して一部の剣技スキルを体が会得することになる。





 興奮冷めやらぬ翌日の朝。レインスは朝からテンションが高く、それが故に朝から五月蠅いと親に怒られた。それでも零れる笑みを抑えることが出来なかった彼は反省していないと更に怒られ、頭を冷やせと家から追い出されていた。


(好都合……!)


 そんな親からの罰だが、レインスにとっては覚えたばかりのスキルを試すまたとない好機だった。レインスはこんなに上手くいっていいのかと不気味な笑みを隠し切れないところにまで至っている。普通の大人がやっていれば変質者と見紛われても仕方のない表情だ。だが、彼はまだ子どもで元が美形であるために許された。


「…………あ、レインス」


 そんなご機嫌な彼の下に現れたのが未来の大神官候補者でこの村一番の美少女、メーデルだった。彼女はこの村で数少ない彼女の知人の姿を見てやってきたようだ。彼女がこちらに気付く少し前の時点でレインスは彼女の存在に気付き、視認して近付いてきた時には表情を元に戻していた。


「メーデル、どうかした?」


 ごく自然に問いかけるレインス。メーデルも特に疑問は抱いていないようだ。


「……特には。レインスは?」

「まぁ、ちょっとね」


 用事があることを匂わせてなし崩しにメーデルが同行するのを防ぎにかかるレインス。だが、その辺の微妙な言葉の機微を察すにはメーデルはまだ幼過ぎた。


「どうしたの?」

「……あー、まぁ、精神訓練が足りてないから鍛えて来いって言われた。そんな感じ」

「ふーん……」

「メーデルは?」


 嘘を言って後でバレても面倒なので誤魔化の効く形でそれっぽいことを言っておくレインス。ついでに深い追及がないように話を逸らしておく。出来れば、追及逸らしのために導入した話も短時間で切り上げて別行動に落ち着きたいところだ。


「私は……ちょっと……でも、特にすることはないから……」

「散歩か……」


 レインスはこの場をどう切り上げるか悩みながら話の方向性を定める。彼女は例のポーズをとっており何か言いたいことを我慢しているらしい。暴くのは容易いことだがこのままでは下手をすれば彼女につきあって散歩をする羽目になりかねない。上手いこと好感度を下げずに自分のやりたいことが出来るように考え……ようとして、彼は気付いた。


(あぁ、今の俺は……ちゃんと、俺なのか。別に、誰かを気にしないでもいいんだ……)


 本当の英雄として生きるはずだった兄の代役ではない、個の意識をレインスは自覚する。皆が憧れる英雄。社交界における別格の貴公子。そういった特別な人間として振舞わなければならない存在ではなく……どこにでもいる一個人。それが今のレインス。


 そうであるのならば、過剰なまでの遠慮は必要ない。加えて、今の彼は子どもの状態。多少無神経でも咎めだてられることもないだろう。


 そうと決まれば、この場を去るだけだ。


「じゃ、ちょっと出かけて来るから」

「どこに?」

「外。メーデルは危ないから来たらダメだよ?」


 一応、釘を刺しておくレインス。この年頃の子どもであれば好奇心のままに常識外れの行動もやりかねないとの判断だ。


 これから彼が向かうのは教国と北の帝国の狭間の地。凡そ人間の住むべき土地ではない場所。真っ当な人間など皆無の地だ。そんな場所に未来の大神官様が紛れ込みでもすれば逆行して来た意味がない。


「外って……レインス、危ないよ?」

「そこまで危険な場所には行かない。でも、可愛い女の子を連れていく……何でもない。じゃ」


 前世の影が口を勝手に動かそうとする前にレインスは足早にその場を去る。後方の事は考えないようにして万が一に備え、森ではなく村から開拓された方向へ移動し、大回りするルートだ。


 しばらくの移動後、メーデルがついて来ていないのを気配で確認してレインスは今回の目的地……盗賊の町、ヌスリトを目指して足早に移動を開始した。



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