第3話 状況確認

 レインスは自分らしく在ることが出来る未来を目指すために行動を開始した。彼がまず最初に起こした行動はこれからの動きを大きく左右する数ヶ月後の出来事についてのまとめだった。

 何度もあの時に戻ることが出来たのであれば……と考えたレインスは既に明確なビジョンを描いていたはずだった。だが、転生の影響か考えていたはずのビジョンが薄ぼんやりとしている。そのため、思考をまとめることでこれからの動きを再認識することにしたのだ。


(まず、タイムリミットに何があるか……これは簡単だ。北部にある帝国との戦いを制した魔王軍が南下してきてその先遣隊がこの村に襲い掛かる)


 悪夢の始まりを思い出して眉を顰めるレインス。人質を取られ、人間同士で仲間割れを起こし、最後には強制的に逃がされたレインス以外に村にいた人々の誰もが無事には生き残れなかった運命の一日。


(……今、村にいる限りで入って来る情報じゃ北部戦線に異常があるとは聞こえてはいないけど、油断できるような状況じゃない……)


 強く瞑目したレインスはゆっくりと目を開きながら自分が前世で得た知識を頭の中で展開する。まずは魔王軍の動きだ。

 このまま行けば魔王軍は北部戦線を制す。だが、魔王軍は帝国領を最短距離で南下することなく、わざわざ迂回して天険の中央山脈を踏破する。


 狙いは王国最北部で帝国の南と接するこの村だ。


 正確にはレインスの認識は誤りだ。だが、その認識は遅れて事実に変わるため、彼の中で細かいことは省略していた。


 それでも尚、正確性を欲すのであればこの時点で魔族は大陸北部の戦いを制してはいない。大勝していたと言っても人類側の戦線を崩すには至っていなかった。だからこそ組織的な反攻を避けるために彼らは最短距離の南下を避けたのだ。北の帝国が敗れた後、人類が何も策を講じない訳がない。魔族もそれを理解していたが故の行動だった。


 現実に王国歴423年、北部戦線が人類側に大きく後退した1年後には北部に統率の取れた連合国軍が送り込まれていた。レインスがいる王国、その西に位置している教国、そして東にある異世界の客人たちが建国した共和国が主力となったその部隊は後退した戦線を押し返し、魔族を帝国領で抑えるだけの力を有しており、帝国領で戦いが続けられるはずだったのだ。


 だが、魔王軍はそれを読み切っていた。彼らは人類の対応策を読み切った上で、折角抑えた戦線を放棄し、連合軍を無視した。ここに人類の計画はご破算となる。人類が考えた魔族軍の通常の行軍ルートは意味をなさず、魔族は高く険しい中央山脈より精鋭部隊を回り込ませるのだ。そして教国北部のほぼ無人に近い領土を越え、レインス達がいた王国最北部の村に侵攻し……魔族は連合軍の背後を取り、大勝利を収める。


(あの行軍ルートは思い付きで踏破できるもんじゃない……)


 後の世で資料がある程度揃った王国で研究することが出来たレインスはそう断言する。魔王軍の動きを調べた結果、そうとしか考えられなかったのだ。

 これは前世における主流な考え方で、目撃情報や移動日数、人類の探知能力などから割り出した行軍ルートは人間領に入ってから中央山脈を越えたのではなく、魔族領から入ったというのが定説だった。

 レインスもそれに異論はない。そうなると、魔族は北部戦線の状況如何に関わらずいつでもこのレインスがいる村には侵入可能ということになる。


(早め早めの行動が肝要になってくるな……)


 そう思いながらレインスは自宅に置いてあった冒険者ギルド発行の新聞を読む。早期の行動をとるべきであったとしても現状にそぐわない対応は無意味だからだ。その点、王国の東に位置する歴代の客人まろうど……異世界からの転移者が中心となってが建国した共和国に本部を置く冒険者ギルドの情報伝達は早く、現在の状況を知るにはもってこいだ。

 尤も、そのギルド発行の新聞でも戦争が進むにつれて紙面と現実の乖離が見られ、恣意的な改竄が目に付くようになっていたため100%信頼できるという訳ではないが。


(……ふむ、北部戦線未だ健在……? 彗星の如く現れ、魔獣軍を追い返した美人過ぎる魔法剣士の正体とは……? 何だこれ? そんな奴いたか……?)


 そして情報を手に入れようとしたレインスを待ち受けていたのは何とも気の抜けた一面だった。当たり前のことだが、何の知識もない前世の普通の子どもの状態では新聞を読んでいなかったため目の前の情報の真偽が定かではない。

 ただ、前世にて学んだ確かな事実は今から二年前の王国歴422年には北部戦線は事実上、人類の敗退で決まっていたということだ。

 取り敢えず今レインスが見たこの新聞の内容には真偽は怪しいものがある。魔法剣士が戦線を押し返したとされる地図を見ると押し返したとされる地点も兵の位置と規模を表す兵棋へいぎを見やすくするために縮尺を変えていると地図外に小さく注釈がついており、地図の内容が左右で異なっているからだ。

 これを踏まえた上で地図を見直すと、一見すれば戦線が少しだけ下がって押し返しているかのように見えるそれが、以前の北部戦線よりも大分南下しており、押し返したところで現在の前線は人類の劣勢であるのが目に見えて分かる。


(……ダメだな。押し返したと言っても緊要地形は完全に抑えられてる。女魔剣士に続く者が増えてどうのこうの言っているが、数の問題じゃない。援軍が向かっても空を飛べる魔族がいる以上、視界は相手の方が確実に広いから見つかるし接近経路には障害物が多すぎる……ここを潰すには陣外決戦に持ち込むしかないが……)


 しかも、押し返した先は中央山脈の北部に連なる帝国領でも魔族ではなく人類に対して裏切りは許さないとばかりに南部へ睨みを利かせていた天険の要害とされるアーティンだ。南から攻め込むには分が悪すぎるため、何とか敵を要塞から引きずり出したいところだが……


(魔族を誘き寄せるための材料がな……特に、北部戦線の魔王軍主力は獣魔将軍が率いる獣魔族。兵站として必要な武器は己の肉体。食料には人間が食べられる物は勿論のこと、人間、草木、果ては岩や金属まで口に入る物なら何でも食べるという噂だ。その上、水はアーティン城の北側に湖があるというね……)


 レインスは苦い顔をしてこのまま押し返すことはできないであろうと判断する。ただ、魔族が押し返されたことで戦場が膠着状態となっているのは理解した。そうなると、陣外で何らかの行動が起こるというのは間違いなく、これから予想される魔王軍のアクションの中で最も確率が高い作戦にはレインスの対策が必要になると考え……レインスは今から武者震いを起こした。


(奇襲は、相手に対応の暇を与えないから奇襲になる……さて、対応されてる奇襲は一体何になるのか、今から結果が楽しみだねぇ……?)


 幼子が浮かべる無邪気な笑みとは真逆の、邪悪な笑みを浮かべるレインス。願わくば、すべて計画通りに行くことを望む。


(決戦の地は、教国北部と王国北部の境目にある森。教国北部はほぼ無人領で、真っ当な人間など皆無。深い森の先にあるからこちらから人が行くことも滅多にない。少なくとも、何の用もないのに誰もいない上に国境付近なんて火種ばかりの場所に向かうなんてことをするほど暇な人はいないからね……)


 地点を定める。障害物の多い森の中では体の小さな子どもであるレインスの方が有利であること、また自身が目立ってしまわない場所だ。加えて仙術に使用できる生命エネルギーが豊富な場所である。


(これさえ乗り切って、後は行方不明になってしまえば……後は勝手に魔族の痕跡と俺がいた跡から想像してくれるはず……)


 親や兄を騙すことに心が痛まないわけでもないが、その辺は個人の努力で皆を助けたということでご勘弁願うことにする。親や兄を騙す以上に彼らからかけられる期待の方がレインスの心を締め付けるのだ。これは誰が悪いという訳ではない、相性の問題だ。


(……まぁ、仮に失敗したとしても全速力で撤退して村に危機を伝えるという形で貢献はするから……やるだけやらせてみてもらいますよ……)


 ここからレインスの密かな魔王軍撃退のための実地行動が始まる。



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