第2話 目標

 朝食が済んだ後、レインスは自宅にて特訓を開始する。尤も、この特訓に関しては自発的な行動ではなくこの家……ヘラジラミナ家の先祖に勇者と称された男の右腕と呼ばれる伝説の剣士が生まれて以来、代々受け継がれている訓練だ。


 そこで彼は王国における同世代の子どもたちの平均よりも随分と優れた動き……だが、伝説の剣士の子孫には相応しくない平凡な動きを見せていた。

 これは当時のレインスからしてサボりの常習犯だったため、意識が変わって色々と知識を持ったレインスが手を抜いたとしても父親にはバレなかった。少し余裕を残したレインスは課せられたメニューを終えるとその場に座り込む。


(ハッ……騎士団での地獄の訓練に耐えられなかった連中の動きを真似すればなんて事はない。旅の中で普通の子ども達も数えきれないほど見て来た……いかん、今は別に旅の道中のことを思い出す必要ないのに死にたくなってきた……)


 辛い旅を思い出して何で俺が必死になってこんなことをやらなければならないのかと思いつつ見てきた光景を脳裏に思い出し、心拍数が上がったことによって体が求める浅い呼吸に混ぜて深い溜息をつくレインス。そんな彼を父は見咎めた。


「レインスッ! 誰が休んでいいと言ったぁ!」

「も、ムリだよぉっ……」

「まぁまぁ、父さん。レインスはまだ小さいんだから……」


(悪いな兄さん。いつも庇ってくれてなぁ……)


 遠い遠い記憶の中にあった世界にいるんだという実感を覚えつつレインスは兄、ライナスの後ろから親の目から逃れようとこそこそと逃げ出す。訓練をしていた両者から当然のように見えている動きだがレインスはそれを承知で自室に逃げ込んだ。


「まったく……仕方のない奴だ」


 不甲斐ない息子を嘆く父レナード。しかし、ライナスとの稽古の間はレインスについての思考を一度中断するのだった。



 そして、ここからがレインスの時間だ。



「【仙術・現身】、【仙術・霞隠れ】……よし、行けるな」


 起動するはこの時代にはまだ復活していない【仙術】。魔力ではなく仙氣という万物の持つエネルギーを利用して物質に特性を付与したり強化したりする術だ。

 例えば【現身】はレインスがずっと使用していたという付帯状態を強化して自身の気配をそこに残すという特性を与えた。直接見れば分かるが、ドア越し程度であれば誤魔化せる。仮にそれがバレたとしても魔術と異なり明確な証拠がないため工作がバレるまでは至らず、居ると思った程度で済まされるのが利点だ。

 逆に【霞隠れ】は自らのエネルギーを散らしてそこに実体はないと誤認させる。こちらも注視されればバレるが、それが故に相手の不注意で済まされるため、偽装工作にもってこいとなる。


 この【仙術】は前世で復活した魔王が強力な瘴気を纏う闇黒城に籠ったと聞き、それに対応するために魔力の少ないレインスが身に着けた技法だった。

 この技を習得するまでにレインスは人をおちょくるのが大好きで世の中に混乱をもたらした仙人の封印を一時的に解いて弟子入りするのだが……それによってまた新たな黒歴史を作る羽目になる。ただ、実用性は御覧の通りだ。非常に使いやすく苦労の甲斐はあった。

 特にレインスが気に入っているのは【仙術】の特徴である魔力を用いないこと。これにより一般的な索敵方法である魔力感知で彼は発見されずに済むということで高い隠密性を持てたのだ。勇者パーティの中で斥候役も担っていた彼にとっては非常に有益だった。


 尤も、彼自身としては【仙術】の習得までの道程に完全には納得してなかったが。彼がこの技を習得するのに対し、周囲が同等程度の力を得るに当たっての苦難が小さ過ぎたのが理由だ。


(あー……天才の皆様方はこれを覚える苦労もなしに魔力で結界作って瘴気を遮断してねぇ……俺は何とか瘴気の温床である魔王城に行くために皆が各拠点に戻って休息する間に死ぬ気で文献を読み漁り、単独行動で東南の群島に向かったのに……そこで化物相手取りながら山籠もりして糞爺に酷い屈辱を味わわされ、死ぬ思いでこの力を手に入れた俺に対して皆は自前の魔力とアキミツの薬の力で普通にクリアして和気藹々と休憩を取っていたという……果ては一人だけ私用で待たせたことにされてたから謝らなければならないという仕打ち……)


 少し嫌な記憶が蘇ってやるせない気分になるレインス。昨夜の内に密かに調べたところ【七宝】の正統な後継者である兄にも巨大な魔力が眠っており、こんなせせこましい術を使う必要はないだろう。

 この確認も前世で闇落ちした後の兄の能力を見たレインスにとっては一応程度の確認だ。取り敢えず思ったのは同じ親から生まれた兄弟にしては差が酷過ぎるということだ。

 だが、今はそんなことを気にしている暇はない。正統後継者たる兄ではなく自分が七宝を持って苦難の旅をする羽目になった元凶がもうすぐこの村の近辺にやってくるのだ。


(ま、こういう隠密に関しては魔力が少ないってのが利点で……特に仙術はもってこいだからいいよ!)


 それは根っからのサブキャラということでは? と心に来る突っ込みを自分から受けるが、開き直って周囲を確認して人目につかぬように近くの森に飛び去る。その身体能力は子どもを完全に逸脱していた。



「……よし、あんまり問題なさそうだな……」


 自らの身体能力……それから特殊能力に関してのチェックを終えたレインスは小さな手を開けたり閉じたりしながら頷く。【仙術】未習得の子どもの身体では仙氣や能力を扱えないのではないかと危惧していたが杞憂に済んだ。


 それはいいことだ。だがしかし、レインスはただの安堵の笑みではなく変な笑みを浮かべていた。それは安堵とは別に怒りが混じった笑みだった。


(つまりあの糞爺は俺の事完全におちょくってたってことだよなぁ……! 仙氣を扱うようになって薄々気付いてたがよぉ……!)


 レインスの脳裏には自然の力を身に着けるですよ! と強力な魔物が住まう森でなるべく高い声で三日間不眠不休で叫び続けるという肉体と精神的に辛かった修行が浮かんでいた。この苦労は仙人の説明と現在の様子の乖離から察するに……特に意味がなかったということらしい。


(あんだけ辛い思いをしたのに……!)


 何が辛かったかというと、時折通る現地人の視線もそうだが、魔物が現れるまで四つん這いになって尻だけ突き上げたまま叫び続け、時折尻を何やら太く奇妙な棒で殴られるという不条理な二日目。そして、同じく魔物が来た時以外は四肢の手首や膝から下を地面に埋められて肘の部分を枯葉で覆いつくされるという劣悪な環境にされた三日目だ。枯葉に虫が集まり始めた三日目の午後はほぼ地獄と変わりなく死ぬかもしれないと思うほど強力な魔物の到来を願ったほどだ。


(分かってはいたんだよ……! 氣ってのが見えるようになって、知覚さえすれば後は自在に使えるって。だがアレが無駄だったなんて思いたくなくて俺はぁ!)


「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」


 爺に関しては再封印しておいた。元からの封印術式にレインスの仙氣を更に付与したため目覚めることはないはずだ。もう済んだことのため別にいいとは思っていたのだが……


 八つ当たりで身の丈程もある岩に罅を入れたレインスは荒く息を吐いて丁度いい形に岩を成型するとその上に腰掛ける。楽しいことを考えなければやってられないので今度は今後の楽しい展望を思い描くのだ。


「まず、俺が旅立たずに済むように村が滅ぶのをどうにかしないとな」


 青春時代の殆どを陰鬱とした気分で過ごす羽目になった元凶を断つことが最初の目標だ。前世では大人になってから、実行犯どもの一部を自らの手で討ったことで多少はまともな精神には戻れたが、その時もキャラを演じていたが故に思うがままの復讐は出来なかったので暗惨たる復讐もちょっとやりたいことに含めておく。


「で……まぁ誰もいないところでしばらくはスローライフだな。旅はもうしたくない……」


 元凶を断ってからはのんびり楽しく一人で過ごす。間違えても他者に気遣いながら精神負担のかかる旅などしない。特に、魔王討伐の最初期に同行するのだけは勘弁だ。終盤であればパーティの魔力が増えたことにより【錬金術師】が生み出した【ボックス】の容量が大きくなり、旅も楽になった。だが、最初期は魔力が少ないために【ボックス】の容量が少なく、荷物は最低限。その上、旅自体に慣れていないメンバーもいたため酷い有様だった。


 ……尤も、レインスは人より魔力が少ないため、終盤でも肩身の狭い思いをしていたが。最初期は全体の魔力が少ないことで旅自体が過酷だったが、終盤は全体の中で一人だけ【ボックス】の容量が少ないという精神的に息苦しい旅だった。


(……終盤には最初のころの苦労も今となってはいい思い出だなとか抜かしてやがったが、もうやらないから言えた言葉だ。やりたくないものはやらないよ)


 貧すれば鈍する。要するに周囲に目が行かなくなる。ギスギスしたパーティは今となっては笑い話だが当事者に戻るのであれば笑えない。それに、折角キャラの面を放棄したのだから好き勝手に生きたいのだ。

 前世の世界ではキャラを演じ続けたことで、それが本物の自分であると認識され舞台から降りられなくなってしまった。本当に死ぬまでキャラを演じ続けて別人のように過ごす羽目になってしまったのだ。

 世界を救うまで兄の代役として活動するつもりが、気付けば終わりなく兄の代役としての生活を強要され、自分を見失いつつあった彼はもう限界だった。そのため今回の様な処置に出たのだ。


(俺が元々望んでたスローライフに飽きたらどこかの筋の良い子ども……少し卑怯だが戦う他に選択肢がない子を身請けして弟子にしよう。修行の名目で身の回りの世話をさせながら、楽して半生を終えたら……後はその時の気分次第だ。何、戦乱の世の中が近付いてるんだからある程度戦えれば生きていくだけの儲けなんて簡単だ。特に、仙術があれば最悪食わずにも生きて行けるしな……)


 楽観的で投げやりなその後の人生。しかし、激動の人生を歩んでいたレインスには年と共に思考がころころ変わっていたため、細かく決めてはいなかった。ただ、あの時を終わらせたかったという考えしか抱いていなかったのだ。

 また、魔族との戦争の間で人口を減らすわけにはいかないという国の意向によって子どもが増え、戦争によって大人が減ることから家計が成り立たなくなる家庭が増えて子どもたちの行き場がなくなるのは前世で実際に起きたことだ。今世では少々気が引けるがそれを利用することにした。


(まぁ、思うところは色々あるが……当事者としては少なくとも俺は丁重に扱う予定だから救う……とまではいかないかもしれないが、他所よりマシな扱いを受けることになるだろうし、俺もやりたいことができるから互いに損はないはず……)


 後ろめたさを誤魔化しておくレインス。レインスのやりたいこと。それは自身の技を後世に残しておくこと。ただ一人に全てを託すのは失伝の恐れが強くなるので各地で身請けして子どものころからみっちり教え込む予定だ。


(……本当は何かいい血筋がいいんだろうけど、その辺拘ると面倒だし。養子も色々面倒だから他所の子を契約で縛って、成長を感じながら一緒に暮らして俺の技を継承してくれれば俺はもうそれでいいかな……強いて言うなら円満に解放したいくらいか……?)


 キャラの仮面を通して見た世界の人付き合いの煩わしさからレインスはそんな捻くれたことを考える。目まぐるしく回転する頭の下では激しく動いた身体がダウンとしてストレッチを入念に行っていた。


(まぁ、色々やってみたいことはあるが何よりもまずは……村に来る魔王の手先をどうにかすることに集中しないとな!)


 期限は数ヶ月後の魔族襲来まで。条件はそれを凌ぎ切った後に自分にとって普通の生活が保てるように様々な面倒ごとに巻き込まれないこと。


 細心の注意を払いながら最高の仕上げを目指してレインスの準備が始まった。



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