Rustysky 2097ー5

 瞳の中にある虹彩には、その円環上に211個の文字が書き込まれている。対象文字素数鍵暗号と呼ばれる、サテライト・ドールだけに用いられる技術だ。ローマ字と数字、それとかつての日本で使われていたカタカナが組み合わされている。

 それを解く(鍵)は中央省にあり、読み取った虹彩の情報は一旦公安局のプールに送られ、個体の情報へと変換されてから再度送られてくる仕組みになっていた。


 カメラが読み取ったあとに現れた文字は―――


 unknown


「??」


「え?」


 思いもしなかった文字が現れ、驚きの声を上げた。


「なんだそれ」


 一瞬思考停止になり、ひと呼吸おいてからもう一度画面を見た。画像は瞳がいっぱいにして映し出されていて、虹彩がある位置に丸くなぞられて、スキャニングエンコーダーのグラフィックが明滅している。

 鍵暗号があるはずの場所の一点をクローズ、さらに拡大。


「文字が、、」


 あるべき場所に文字が書き込まれていない。


 両手の平を口にあてて画面を見つめたまま、アタマの中をグルグル巡らせた。


 右目にも左目にも一文字も刻まれていない。対象文字素数鍵暗号は右と左で一対になって、照らし合わせて一つの暗号になる。


 問題はunknownという文字が現れたことだ。


 外殻スキャンでは59年製のサテライト・ドール、タイプ7と読み込んでいたはずだ。いや、外殻スキャン自体のミスリーディングの可能性もある。それで、59年製というのは間違いで、もしかしたらもっと古いのかもしれない。

 ジャンはカメラの機能を停止。今度は検査室の空間カメラを起動、改めて外殻スキャンを行った。


 prd 059 typ-7 std


 やはり変わらない。そもそもミスリーディングなんて可能性はかなり低いはずだ。いや、まて、古い筐体だったら首を挿げ替えることだってあったんじゃないか?


 ジャンは自分が考えうる全ての可能性を潰していった。そしてその中で最も可能性が低いのが、(目を付け替える)という行為だった。それは一般ユーザーにとっては最もカスタムの難易度が高く、リスクの大きい行為だと言える。目を付け替えるには特殊な技術が必要になり、それこそメーカーにある設備でしか行えないように出来ている。もし、プラズマカッターなんかを使って無理にくりぬこうとすれば、その時点でロックがかかり、自動的に公安局へ通報、スリープ状態になって動かなくなってしまう。そんなことをしてもユーザーが得られるメリットを考えれば、目が気に入らないのであればカラーコンタクトをつければいいだけの話しだし、ハイリスクを負ってまでしたい行為じゃないはずだ。ジャンはそんな理由で、初めから(目を付け替える)という可能性は排除していた。


「だとしたら、、なんだよ」


 アタマを抱えてしばらく考え込んだあとボディーを見てみようと思い、検査台についているロボットアームを操作、先端のカメラで細部を映した。先ずは右手の肘の切断部分をクローズ。関節にあたる中心の、人間で言えば骨の部位を映すと、外されたことが分かる。関節を外し、その周りを覆っている肉の部分は化石燃料系の噴射による熱を利用しての切断と解析された。切断にかかった時間は約4時間弱と推測。左手の断面も、両膝の断面も同じような結果が出た。


「はあ、そのエネルギーはいったいどこから出てくんだよ」


 両手両足、全ての切断にかかる時間は単純に考えても16時間になる。それだけの労力を使ってまで実行するだけの体力と気力を捻出する動機とは何なのか。想像してもムダだと分かりながらも、その光景をアタマに思い浮かべて疲労の蓄積を感じずにはいられないジャンだった。


 次の検査工程はボディーの透過スキャン。人間でいう鳩尾みぞおちの場所にある直径12cmの球体ブレインボックス、通称(ブラックベリー)は、個体の運動機能や、外部センサーからの入力、ネットを介した情報処理、ストレージが一体となった、言わば(核)のパーツだ。そしてその下には一回り大きいエネルギーパック。肺の部分には、W3(ウオーター・スリー)と呼ばれる不純物ゼロの水分子を圧縮した液体に、結合ナノマシンを混入した(血液)を全身に巡らせるための圧送ポンプが二つある。そのどれもが異常なしとの診断だった。


 引き続き頭部もスキャン。頭蓋の中には眼球から入ってくる光学情報を処理する専用のグラフィックボードと、耳と鼻から入ってくる匂い成分の情報処理と音響情報の処理を統合して行うセルスフィアがある。そして、発信と受信の両方のアンテナ、そのどれも異常がないことも分かった。結局はボディーに目立った傷もなく、内蔵された各パーツにも損傷は見られなかった。


 ジャンは腕を組んで考えこんでいたが、あることを思い立ち、左手首のデバイスを起動してラボのスケジュール表を読み出した。翌日の出所予定者の中にマリアの名前があることを確認。


「よし、あとはマリアさんに任せよう」


 これ以上考えていても何も分からないと判断して、サテライト・ドールの技術専門員であるマリアに託そうということにしたようだ。


 イスから立ち上がって伸びをした後、後ろの壁に設置されているコーヒーメーカーのスイッチに触れ、カップにコーヒーが注がれるのを眺めていた。アタマの芯がジンジンして、上手く思考が回らない、こりゃ疲れてるな。もう帰ろう。そう思った時、何かの気配を感じたのか、ふと後ろを振り返った。








 



 


 

 





 

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