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こん、こん。

控えめなノックにメルは目を覚ました。


「だぁれ?」

「私です、メル・アイヴィー。早朝にすみません。

 お見せしたいものがあるのですが、いいですか?」


メルはベッドから起き上がる。

手足を広げても有り余るほどの大きな寝台は、眠り姫のためにあつらえたと言われてもおかしくないほどの優美さだ。

手触りの良いシーツが、いくらでもお休みと横たわる者を誘う。


……ここまで運んでくれたのだろうか。

ぼんやりとした記憶に小さく首をかしげつつも、メルは急いで髪を編み込んだ。

いつものリボンにチョーカー。服にはしわ1つなく、寝ていたとは思えない。


「お待たせしました……」

「いえいえ。……眠りすぎるのは良くありませんからね」


青年がメルを連れて行ったのはバルコニーだった。

冷たい風がメルの頬をやさしく撫でる。

眼前に広がるのは黄金の夜明け。

世界には悲しみなど存在しないのだというかのように、あまねくを平等に照らしだす。家々の、木々の、地上のすべてを輝く輪郭で彩る奇跡の時間。

ただ、美しいだけのもの。


「きれい……」

「この街の、最も美しい瞬間です。

 メル・アイヴィー、この輝きを貴女と共に連れていってくれませんか?

 貴女だけの言葉で紡いでほしい」

「私だけの言葉……」

「そうです。我々と出会ったのは他でもない貴女ですから」


メルは口を閉じた。

―――自分だけの言葉、それはどこにあるのだろう。

この不思議で親切な青年の望む表現を成しえるのだろうか。


黒猫が暇そうに鳴き声を上げるまで、2人は静かに景色を眺めていた。



――――――――――



「……そろそろ、ここを離れたほうがいいですね」


 昇りきった日を眩しそうに見上げ、青年が呟く。


「私のわがままに巻き込んでしまいましたが、誓って貴女を危険にさらしたいわけ

 ではありません。さぁ、次の黄昏が来るまでに街を出ましょう。

 この子はこの街の住人ではないので、

 出口まではこの子についていけば大丈夫です」


にゃー、と黒猫が鳴く。

この街で瞳を持つものは、メルと黒猫だけだ。


「お送りできず、すみません。

 ですが、できるだけ時間はかせぎますから」

「ま、待って。皆で逃げなくちゃ……!

 最期を無理やり受け入れる必要なんてあるの?」

「……我々はここ以外では存在できません。

 それに、無理やりではなく時がきただけなのです。

 さぁ急いで。文明は最盛期を迎えました。崩壊は早い」


石畳を突き破って金属の塔が生える。

錆びた歯車が枯葉のように舞い踊り、青年の服は瞬く間に色を失っていく。


「メル・アイヴィー!その名前を抱いて、走るのです!早く!」


悲壮な声に突き飛ばされるかのようにメルは走り出した。

黒猫が先導するかのように前を行く。

早朝のぬける様な晴天は急速に肌を焼く日差しへ変わる。


「……この街の事は早く忘れてください!

 貴女が傷つく必要はない!」


青年の叫びが聞こえた。


「メル!ありがとう!」


振り返ろうとするメルを諫めるように黒猫が鋭く鳴く。

踊り狂うドレスたちの間をすり抜けて、1人と1匹は街を飛び出した。

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