2

にゃー。

甘えた声がメルの腕の中から聞こえる。

すり寄る黒猫を優しく撫でながら、メルは宿までの道のりを思い出した。


――――――――――


黄昏の終わりに青年が案内した街には中世のヨーロッパを思わせる石と木造りの建物が並び、やはり透明な人々が闊歩していた。

不思議なことに四季が入り乱れているらしく、紅葉樹の根元で春の花が咲き乱れている。ふとメルが覗き込んだ路地裏には蜃気楼のようにアスファルトと鉄のビルが揺らめいていた。


「メル・アイヴィー、大通りは外れないほうがいいですよ。

 ここはとても曖昧なので」


そう言った青年の声はどこか寂しそうにも聞こえた。

たどり着いた宿は小さいながらも温かみのあるもので、

一番に少女を歓迎したのがこの猫だ。


「や、ちょうどいい。

 メル・アイヴィー、この子の相手をしながら夕食を待ってくれませんか?」

「うん。ご飯ありがとう。……ふふ、かわいいね」


ふわふわした毛並みにメルから笑顔がこぼれる。


「そうだ。何か食べたいものはありますか?」

「プリン!……あ、プリンっていうお菓子が好きなの……」


勢いよく答えた後に、ほんのりと頬をそめながら彼女は言いなおす。


「プリン、ですか?」

「そう。甘くて、黄色いの。茶色のほろ苦いソースをかけてもおいしくて……。

 優しい口当たりのお菓子。……食べたことない?」

「ふむ……」


少し待っていてくださいね。そう言い残し青年はドアの向こうへ姿を消した。


―――――そして話は冒頭へ戻る。

さほど時間もたたぬうちに先ほどのドアから銀のカートが現れた。

所狭しと乗せられた料理たちはとてもこの短時間で作られたものとは思えない。


「お待たせしました、メル・アイヴィー。

 奥で皆と相談したのですが、プリンとはこの様な食べ物でしょうか?」


前菜、オードブル、メインディッシュ……鮮やかなそれらに囲まれてメルの前に出されたのは……丸いオムレツのような何か。

彼の表情はもちろん見えないものの、どこか自信なさげな空気を感じながらメルはそれをひとすくい口にした。


「おいしいよ。でも……プリンとは違う、かな」


ふんわりとした甘みのある薄黄色のお菓子の中からとろりとソースが流れ出る。


「メル・アイヴィー、もっと教えてください。

 私たちは言葉が欲しい。あなたの声が欲しい」


促されるままにメルはプリンを語る。

頷く青年がパンと手をたたく度に、目の前の料理が姿を変える。


「あ、これ……!これがプリン……」

「なるほど、すばらしい!やはり進化に学びは欠かせませんね。

 この過程は【ほの甘きプリンの詩】として歴史に刻みましょう。

 貴女が我々と出会ったという記念にもなります」

「そんな、大げさだよ……」

「いいえメル・アイヴィー。貴女は呼び声にこたえてくれた方。

 短くとも我々と同じ時の中に存在してくれる素晴らしき客人です」


手放しで称えられるとどこか落ち着かない。

その時メルはあることに気づいた。


「あの……私、まだあなたの名前をきいていない」

「……忘れてしまいました」

「えっ?」

「我々には顔が無く、名前も無い。存在証明は纏う装束と言葉のみ。

 服など簡単に変えられますからね。言葉と声だけが頼りです。

 詩を愛する理由もお分かりいただけるかと」


メルは頷き言葉をつづけた。


「詩もすてきだけれど、歌もすてき。音楽と言葉がきらめくの」

「歌ですか…!メル・アイヴィー、いつかそれを聴かせていただけますか?」

「また、後でね」


少し恥ずかしがりながらも、メルは確かに口にした。


「良いことを教えていただきました!おっと、食事は温かいうちにどうぞ。

 無理をせず、残してもいいですからね」

「大丈夫。ぜんぶ食べられるよ」


青年は華奢な少女と料理の山を見比べた。

彼に目があったなら、これでもかというほど見開いたことだろう。

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