第一章 後悔と大切な約束と

一杯目

 今になって思い返せば、これまでの私の人生は偽りだらけだったのかもしれない。他人に合わせ、家族に合わせ。自分のことを後回しにしては、やりたいことすら見つけられなかった。その結果として無駄に歳だけは重ねていき、夢の一つすら持たずにただただ退屈な毎日を貪るだけだった。


 谷中千晴たなかちはる、二十六歳の女性。会社やアルバイトの面接に落ちに落ち続けて、大学を卒業した後もいまだに無職なまま。特にこれといった取り柄も無く、自分が得意だと胸を張れることも見つけられずに今日まで過ごしてきた。それが今の私だった。好きなことと言えば本を読んだり物語を書くことくらいで、他に好きだと言えるようなものは探しても浮かんではこなかった。


「もし過去に戻れるなら、やりたいことを見つけたいな……」


 ぽつりと呟きふらふらと死に場所を探すように歩いていると、いつの間にか不思議な雰囲気の喫茶店の前にいた。「こんなところに喫茶店なんてあっただろうか」と、私は疑問に思いながら首を傾げた。


「色んな珈琲あり〼 風鈴堂」


 その不思議な喫茶店の店先にはそう書かれた立て看板が出ていて、私は誘われるようにその店へと近づき入口の扉を押し開いた。


「いらっしゃいませ。お好きな席におかけください」


 扉に吊り下げられているドアベルが鳴って、奥にいた店主らしき男性にそう声をかけられた。店内は落ち着いたアンティークのような雰囲気で、壁には文庫本がたくさん入っている本棚が並べられていた。私は壁際のカウンター席に座り、そっと置かれたコーヒーに視線を落とした。まだ何も頼んでいないのだが、サービスなのだろうか。疑問に思いながら、出されたコーヒーを見ていると声をかけられた。


「よかったらどうぞ、お嬢さん」

「ありがとうございます」

「浮かない顔をしていますが、何か悩みでもおありで?」

「あ、いえ。大したことではないのですが……」


 そう、普通の人にとっては大したことではないはず。むしろ、何故できないのかと言われてしまうだろう。


「良ければ聞かせてくれませんか? 何分お客様もなかなか来ないので」

「実は私……」


 スッキリとしたコーヒーを飲みながら私は、今までの生い立ちや悩みを話した。こうやって自分のことをスラスラと話したのは、彼が多分何も知らない他人だからだろうか。私のことを何も知らないからこそ、きっと他の人みたいに変に期待なんかしてこないだろう。だからなのか、私は気にせず様々なことを話すことができた。


「私、夢もやりたいことも見つけられないで、この歳まできちゃったんです。おまけに仕事も見つからなくて、家では厄介者扱いされてて……」

「それはお辛かったですね……」

「こんな自分もう嫌で、だけど死ぬに死ねなくて……」

「そうですか。お客様、良ければここで働きませんか?」

「えっ?」


 店主の口から出た意外な言葉に、俯きながら話していた私は顔を上げた。整った顔立ちをしている彼は、優しそうに笑いながら私を見ていた。


「ここ風鈴堂では、強い後悔を抱えた人が迷い込んでくる人が多いです。あなたもその一人のようですが、どうやら様々なしがらみによって、本当に後悔していることがわからなくなっているようですね」

「本当に後悔していること?」


 思い付くのは、やりたいことが見つからなかったことや、面接に落ち続けたこと、大学に行けなかったことなど様々だったけど、この人はどれも違うというのだろうか。


「ここでは、そういった人達を導くお手伝いのようなこともしています。良ければ、あなたも私と一緒にお手伝いをしませんか? そして、本当に後悔していることを探してみたら良いですよ」

「お願いします、やらせてください!」


 勢いよく立ち上がり、カウンターから身を乗り出す。もう何だっていい。初めて必要とされたから、私はそれに応えたかった。

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