第37話 セリ6-3

「ん、な、うわあっ!? なんだ、えっ、セリかっ!?」

「あ、起きた? 遅ようササヅキ。よく寝てたねー」

「えっえっ? なんでお前、うわっ!」


 自分の手がなにを触ってるかわかったらしく、ササヅキはあわてて飛び退いた。


「なんだなんでお前、そんな格好!?」

「剥いたのはササヅキだよ。久しぶりの休みとはいえ、ササヅキがぜんぜん起きてこないから起こそうと思って来たんだもん」

「それがなんでそんな格好で布団に入ってることになったんだ!?」


「だから剥いたのはササヅキだって。あたしはただ、驚くかなーと思って潜り込んだだけだもん。そのまま寝ちゃったけど、ササヅキがぺたぺたしてくるから途中で起きちゃった」


「俺もたたき起こせよ!」


「いやだって、くっついてるの気持ちよかったから。娼館が繁盛するの、わかったよ。男の人はあれが欲しいんだね」


 剥いたといってもほとんど着ている。一部のホックや一部のボタンは外されたが、半分寝てる人の無意識だ、きちんと脱がされたわけじゃない。「着衣に乱れが」くらいのものだ。それでもササヅキはよほど驚いたらしく、なにか言おうとしては頭を抱える。


「いや男は違うけどな……いやそうじゃない、なんでだ……」

「それより起きたならご飯どうする? 簡単なものなら作っておいたけど、もうこの時間なら厨房も落ち着いたろうから火も使えるよ。自分で作る?」

「ちょっとまだ飯はいい……」

「そう。じゃああたし、買い物行ってくるね。ササヅキも行く? スパイス見たいって言ってなかった?」


 立ち上がってゆるく結んでいた髪を手櫛でまとめながら誘うとササヅキはバタリとベッドに突っ伏した。


「あー、あとでひとりで行くわ……」

「じゃあ戸締まりちゃんとしてね。今日はふたりしかいないんだから、いつもみたいにふらっと出歩いたら罰則」

「ハイハイ、了解……なあ、あのなセリ」

「なに?」

「さすがに、最後までしてねえよな?」


「そもそもなんにもしてないよ。ていうかササヅキ、ズボンちゃんと履いてるでしょ」

「あ、おう、それはな」

「男の人って、自分ではわかんないものなの?」

「いやわかるけどな、イヤ、なんつかな」

「はっきりしないなあ。日が暮れちゃうから聞きたいことあったら夜にね。じゃあ出かけてくる」

「おー……」


 おかしい、ここまで驚かす予定ではなかったのに。というかなんであんなに狼狽えてるの。不思議だ。

 結局夜は2階に上げていた厨房の食材や備品を戻すのに終始して特に話はなかった。




 今年は夏の入りに雨が多い。この時期日照時間が短いとハイクの出来が気になる。主食じゃないとはいえ、麺類には欠かせない穀物だ。薄ら寒い湿気の中、客室の掃き掃除を終えてホールに降りると、チェルシーとシェリが雨合羽を着て飛び出すところだった。


「どうしたの」

 厨房のイスで新聞を読むササヅキに訊ねると、

「チェルシーんとこの妹が来てな、母親が産気づいたって言うんでどうせこの雨じゃ客も少ないし今日は戻れって出したとこだ」

と返ってきた。


「シェリも?」

「あいつ教会の手伝いでお産慣れしてんだと。チェルシーに頼まれてついていった」

「じゃあ今日ササヅキだけ? ユルグァンも今日は休みでしょ」

「まあ大丈夫だろ。下拵えは済ませてあるし、夜は姉貴んとこからケシート借りるさ」

「んー、そうだねえ……」


 今日明日は銀行が休みなのであたしがフルでいる。ケシートは去年しょっちゅう入ってくれてて慣れてるし、明日はユルグァンも入るし、なんとかなるかな。


 ホールのテーブルを片壁に寄せ、イスを上げて掃除に入る。いつもは埃が立たないように水を撒くのだが、今日のような天気では乾かないので箒でなくてブラシと雑巾で拭く。昼食の客が残した泥跡をブラシでこすって浮かせて、雑巾で拭って取り除く。黙々と擦っていると、ササヅキのつま先が視界に入った。顔を上げるとササヅキが手招きする。


「茶ぁ淹れた。休憩しよう」

「でも」

「いいから」


 縛っていたスカートの裾を直して、手を洗ってからササヅキが厨房に持ち込んだホールのイスにかける。渡されたカップから香ばしい香りが立つ。


「ああ、あったかいお茶、いいね。夏前だけど雨で気温が下がってるのかな」

「そうだなあ」

「ササヅキ、今日は寝ないの? 大丈夫?」

 宿の夜対応があたしになってからも、用事がない日はこの時間に1刻ほど仮眠を取るのだ。


「今日は夜も遅くまでやらねえからいいさ。お前に話があってな」

「なに?」

「なあセリ、お前ナーザレアントの息子に粉かけられてるってホントか?」

「ああ、うん、ちょっと前ね。でも断ったし別にそのあとはなにも?」


 ハシューキリルのことだ。同じ銀行に勤めてる、同僚。歳は向こうが2つ上だけど、見習いに入ったのは同じ年。富豪の縁故組だ。


「なに断ってんだよ、いい話じゃねえか。ナーザレアントの奴嘆いてたぞ。お前も秋には19だろ。いい歳なんだし、そろそろ本格的に嫁の行き手を探してもいいんじゃねえか」

「言ってる意味がわかんないんだけど?」

「ハシューキリルは悪くねえんじゃねえかって話。奴は次男だが家が貿易商なら、お前が活躍する場も多いんじゃねえの。こんなちっさな食堂じゃなくてさ」

 妙にそわそわしながら告げるササヅキに苛々してくる。


「前にも言ったよね、あたしここがいいって」

「でもなあ、やっぱりセリはもったいねえよ、銀行に本勤めするか商家に嫁入りするか。嫡男の嫁じゃないから上げ膳据え膳ってわけには行かねえだろうが、お前は現場にいるほうが楽しい口だろ」

「だからさあ、なんでそんな話になってるわけ。いつあたしがもっと力試ししたいから出て行きたいって言った?」

「いや、俺がお前を喰い潰したくねえだけだ。もっとふさわしい場が」

 閃くものがあった。半年も前の、あの。


「つーかさ、ササヅキもしかして『消毒日のこと』まだ引っ張ってんの?」


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