第36話 セリ6-2
マルケランカの支店に従軍当番が回ってきた。後援部隊配属でも、ロジスティクス担当なので危険度もそれなりに高い。補給線を断つというのは勝てるメソッドの上位ランクだ。
「そこまでわかっててどうしてお前が行くことになるんだ」
さっきからササヅキは渋面を崩さない。だが何と言われようと取り下げる気は無い。
「たまたま条件の合う男性行員がいなかったの。あたしは短時間採用されてからもいろいろ免除されてるし、他にもいろいろあるの」
「お前は女だろ」
「ササヅキがそれ言う? トゥニーニャは女じゃない、戦場は男ばかりじゃないでしょ」
いまでこそ彼女も引退したが、ササヅキの部下だった頃から40歳になるまで現役バリバリだったのだ。
「あいつはちゃんと訓練した兵士だ。セリは違う」
「軍事訓練した行員なんてうちの支店にはそもそもいないの」
今あたしが心配なのは、補充を大至急募集しなければならないことだ。宿は1年閉めて、銀行には課税免除してもらえば済む。問題は食堂。ホールを任せてる女の子がひとりになっちゃうことだ。ネーヴァンジュの見習いから連れてくる手がないでもないけど、うちはおさわり罰金の家族向け食堂だ。計算に強くて愛想がよくてちょっかい出すバカには色気や恥じらいでなくお盆をお見舞いする子が必要なのだ。
「教会でドーミン先生に聞いてみるか……」
「人の話を聞け」
「痛ったー! 考え事してるのに耳引っ張らないでよね」
「とにかくだ! 明日断ってこい。戦場なんて物見遊山で行くとこじゃねえ」
「いーやーでーすぅー。あたしの人生だよ、あたしが決めるの。従業員が減る補填だけは責任持つけどー!」
いったいどれだけあたしの頭が薄っぺらいと思っているのか。
開店から10年目、あたしは遂に店を出た。もちろん帰ってくる予定で。
補給部隊の暮らしは年季通り1年で終わった。本隊と拠点を行ったり来たりし、前線間際に行かなくてはならなかったときにタイミング悪く攪乱部隊が襲撃してきたのが最大の何とも言えない体験だった。総合すれば『恐い』なんだけど、痺れて真っ白になるというか、立ち竦んでしまったら後ろから蹴飛ばされて一回転して正気に戻らされたというか。
蹴った上官は蹴り馴れてるらしくて、勢いよく転がったあたしの勢いを殺さずに拾い上げて走らせた。なんという手際の良さ。非戦闘員の御守ありがとうございます。
ほとんどの時間はそもそもの起因の鉱脈からの輸送計算だ。それから食料と物資の手配と支払い、そう多くない時間に負傷者名簿の一覧から離脱する兵の賃金精算、けして多くはないが《死者の森》へ向かった者の家族への見舞い金を上乗せした小切手の発行。
各部隊から吸い上げられた報告を一括して収支を積み上げていく。直接見ることはほとんど無くても戦争がえげつなく金食い虫だということは嫌になるほどよくわかる。
しかし資源の豊富な北の地を抑えているのはこちらで、ヤンダーンは長い戦いに疲弊していて、あたしの赴任中に大きな戦いになることはなかった。
マルケランカに帰ってきて、銀行で申し送りし、帰宅してササヅキの顔を見たあと気がついたら姫見習いのハイリンが額に冷えた布を乗せたところだった。1年前はまだ子供だったのに、ずいぶん乙女らしい体つきになった。
「あれ?」
「セリ、お帰り。帰ってきたのは覚えてる?」
「うん。王都から年明け一番の駅馬車に乗って、銀行に帰還の報告して、それで……」
「まだ夜営業前に表から入ってきて、厨房にいたササヅキが声かけたらそのまま」
ばたーん、と左手を手首から直角に倒すジェスチャー付きでハイリンが吹き出す。
「あんまり真っ直ぐ倒れたから鼻折れちゃったんじゃないかって心配したわ! ササヅキは『よう、帰ったな』のまま固まっちゃうし、ホールにいたあたしとケシートで慌てて介抱したのよ、なのにセリ笑ってるんだもん!」
おかしいったらないわ! と思い出し笑いを添えて髪を拭ってくれる。
「ハイリン、もしかして、今日って戻った日じゃないの……?」
「そーよぅ、丸2日は眠ってたわ、熱も出してたし。でももう顔色もいいし、目もしっかりしてるから大丈夫ね」
「心配かけてごめん、ありがとう」
「それ、ササヅキにも言ってあげてね」
「……ハイ」
暁光が斜めに差し込む廊下を抜けて、夜着のまま厨房に向かう。ササヅキとシェリ、チェルシーがパタパタと下拵えをしていた。1年前と変わらぬ光景に安堵する。チェルシーは少し大きくなったかな。
「おはようササヅキ、ちゃんと戻ってきたよ」
「だからって一言もないうちに倒れてんじゃねえ」
「うん、ごめん。なんか食べるもん、ある?」
「そこにある林檎なら食ってもいいぞ。こっちが終わったら作ってやる」
「うん」
3人が黙々と準備するのを、隅っこにイスを運んでゆっくり林檎を囓りながら眺める。あたしは別に、剣を持って生きるか死ぬかの瀬戸際にいたわけじゃない。逆に言えば、どこにいたっていつかみんな《死者の森》に行くのだ。
だけどやっぱり『帰ってこれてよかった』と思う。
「おなか空いたぁー」
「待ってろってお前は帰ってくるなりウルセーなあ」
「ふふ」
空腹を刺激する調理の香りに心が満たされた。
あたしが戻ってから10日、今日は厨房も宿も閉めてお休みだ。見習いたちにも暇を出したので、建物内にはあたしとササヅキしかいない。開け放して冬の冷気に晒された店内はうっすらと緑に染まっている。この色も明日には消えるだろう。
昨日は早仕舞いして、全員でホールの天井から厨房の床まで害虫除けの薬で塗りつぶした。5年に1度の消毒だ。本当は年末にするものだけど、人手的にあたしが戻ってからにしようと事前に決めておいた。作業後は通いはもちろん、シェリも教会に一時帰宅させた。あたしがいなかった分年末年始に帰せなかったので、たまには教師様にゆっくり顔を見せたげないとこき使ってるみたいだし。
びしょびしょの虫除けは朝までには乾くけど臭いがきついので今日一日開放して飛ばす必要がある。夜間は盗難防止に交代で厨房に詰めたけど、人通りが増えた時点でそれも終了だ。あたしは明け方からを担当したので、このあとは少し朝ご飯を摘まんだら昼まで寝ちゃうつもりだった。
ところがそのうち起きてくるだろうと思ったササヅキがぜんぜん現れないので―――別に陽が出た後の交代予定はなかったけど―――珍しいのでササヅキの部屋を見に行った。
客室と違って、あたしとササヅキの部屋は内側からも鍵がかかる。しかしササヅキは開けっ放しだ。何かあったときにすぐに知らせが飛び込めるように、そして飛び出せるように、寝間着も着ない。まあ元傭兵みたいな元軍人が、今までの習慣を変えたくないって10年もそのままなので、あたしはほっといてる。過剰な警戒をばかばかしいとは思ってないし。ただあたしは戦う手段を持っていないので鍵はかけるし、寝るときはゆったりしたいから夜着を着る。基本的には治安のいい街だ。
あたしの真下になるササヅキの部屋は、そっとドアを開けてのぞき込むとカーテンから光が透けて、半地下の割に明るい。それなのに起きてこないなんてよっぽど気が抜けてるのか疲れてるのか。もういい歳ではある。それでも、ベッド際まで近づいても起きないとは驚きだ。なにしろ軍人をやめても気配に敏感で、どこに目があるんだろってくらい鋭いササヅキだ。昼間のくつろいでいる時でさえ、背後に人がいると振り向かないまでもそっと警戒するのがわかる。
つまり警戒されてない。
あっそう。
つい口許が緩む。自分には反応しないのがふかふかする。
いたずら心でササヅキのベッドに潜り込んだ。起きたらびっくりするに違いない。
(ひゃー、あったかーい、ぬくーい)
コートも毛布も羽織っていたし行火も置いていたけれど、全開放の食堂はひたすら寒くて冷え切っている。ひとひとり眠っている布団は予想以上に温かく、自分のベッドに戻って冷たい夜着に着替える気は完全に失せた。そうして熱源であるササヅキの背中に寄りかかるように二度寝に入ったあたしが次に目を覚ましたのは、ササヅキに背中から抱えられていることに気づいた時だ。背中から抱き毛布がわりにされて、笑いをこらえているとササヅキの手があちこちを撫で始めた。しかし寝息は頭上から届き、寝ぼけていることは間違いない。
どうしようかと思案しつつ「ササヅキー? おーい」などと呼びかけてみたが起きる様子はない。ごそごそと動かれては停止して、明らかに寝ている。服の中に潜り込んできたササヅキの右手は臍近くで止まったまま、時折指先でぷにぷにと肉を押される。くすぐったいというかなんというか。
(人肌って気持ちいいんだな)
てのひらから感じる熱がじんわりと沁みてゆく。温かさをもっと味わいたくて、自分の服の上からササヅキの右手に手を重ねた。
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