第35話 セリ6-1
「お前いくつになった」
「もうすぐ17になるよ。そっかあ、あれから9年も経つんだね」
ここへ来た歳の倍を過ぎた。村を出た別れの日より前のことはもうおぼろげだ。すっかり街のルールで生きている。
「それであのー、だな、ナンかいい話はないのか」
「ああ。あはっ、んー、ムリっぽいよ、銀行員ってだけでみんな腰が引けるみたい」
「くそお、いい就職先だと思ったんだがなー。最近の男は気力が足りん」
つい笑みが漏れる。今の銀行勤めは時間雇いだ。成人近くなるとさすがに
とにかく銀行に勤め始めたことであたしの所得はゆるやかに回復し、勉強することも増えてゆき、気づいた頃にはこの界隈の男には「見合わない」と敬遠されるようになっていた。どうせ親無しには縁のない話だし、そんなのあたしは気にしてないのに、適齢期を迎えた今になってササヅキは教育方針を間違ったと悩んでいるようだ。
「あたしはユルグァンが残ってくれるならそれで構わなかったのに、嫌がったのササヅキじゃん」
「そら、独立したいって奴を引き留めたくなかったしよう、かといってお前餌に継げっていうのもなあ」
「あんまり餌にはなってないみたいだけど」
ミトラは一昨年退職した。16歳の時ホールで出会った憲兵さんと恋仲になって、それでも結婚は無理と尻込みするミトラを説き伏せ親を説得した憲兵さんの勝利だ。今は子供を連れて食べに来る。子供が預けられるようになったら復活したいって言ってる。
その後釜で現在厨房に立っているユルグァンはササヅキに憧れて弟子入り希望で来た人だ。将来は自分の店を持ちたいと願ってるからササヅキの跡は継げない。あたしはここを離れる気はなかったし、ユルグァンについて行く気もなかった。あたしたちは「ササヅキの店を盛り立てる会」の同志ではあったけど、どこまでも恋にはならなかった。
ちなみにユルグァンは試用期間中、住み込みになる前にドゥーネと結婚した。パンだけでなく、甘いお菓子に余念がないドゥーネと、将来はデザートのおいしい喫茶メインのごはん処を開く夢に向かってそれぞれ働いている。喫茶メインの店はまだ王都にも少ないはずで、この街の新しい物好きには喜ばれると思うから早く開業できるといいけど、資金的にもう少しかかりそう。なので今ここの住み込みには正規勤務のシェリだけだ。あとはみんな通い。
開店当初からはすっかり変わった。
マーナは12歳になる前に継続が認められて、ササヅキとの契約形態を変更するために一度戻った後は二度と姿を見せてない。だけど雇用主はハーケルンとササヅキ宛に毎年マーナからの返礼を納品してくる。
ホーリは去年挨拶にきた。ここを離れて巡礼の旅に出るのでその前に、という事だった。ずっと会ってなかったので、泣いてたホーリと目の前のふっくらした女性が繋がらなかった。でも閉じこもってたホーリが巡礼に出るなんてずいぶん変わったんだから見た目も変わってて当然かもしれない。
ノイルはまだあたしが銀行に誘われる前に貴族街の厩舎へ移動した。本当はあのまま娼館の厩を継ぎたがってたけど、女1人で目の届きにくい裏庭で何かあるといけないからとネーヴァンジュに断られた。そのかわり別の厩舎を紹介されたのだ。
ニンスは予定通り16歳でデビュー。初日を迎えてすぐにササヅキに全額返済した。本当は姫見習い決定した時点でササヅキへの借金はネーヴァンジュに書き換えてよかったんだけど、デビューして稼ぐまで返済は受け取らないとササヅキが拒否したのだ。そのまま3年凍結して、やっと身綺麗になった。
これからはネーヴァンジュへの返済だ。姫になるのはお金がかかる。けどニンスは他の姫とも楽しそうに過ごしているのであたしは心配してない。今思えばニンスの覚悟は早くて揺るがなかった。すごい。
この
ササヅキの店はササヅキが思い描いたように、昼だけでなく夜も家族連れが来るような店になった。
10歳で正規雇用された時、ササヅキが日課にしていた毎朝の鍛錬を店の前でするよう進言した。あたしが眺めていたように近所の男の子たちは裏庭を覗きにきていたし、剣舞は滑らかで演舞のよう。ササヅキは見世物は嫌だと渋ったけれど、見世物だっていいじゃない。味は食べればわかる。その前にちょっと面白い思いをさせるだけだ。それに店主が身体を鍛えている姿は「酔って暴れる無頼者は叩きのめす」安心感を提供したのだ。
もともとあたしが給仕で店内を走り回っていることは近くの子供たちに知られていたし、教会に来ている他の子にも宣伝したし、暗算芸で風靡したことで母親からの食堂の評判も上がった。さらにあたしが銀行に見習いに入ったことで、店は親子連れ、特に母親のイメージアップになった。開店して数年で花街入り口の男性向けってイメージを払拭できた。
「殺伐とした男ばっかりの呑み屋なんてウンザリだ。そんな店は他にいっぱいある。俺はのんきな店にしたいんだ」
子供を連れて行っても大丈夫な店として認識されて、ササヅキは満足気だ。
娼館のとなりに店を構えておいて、それってどうなの? とは思ったけれど、花街としては外れ、街の中央寄りの立地だしもともとおじいさまの土地だし、予算的にギリギリ妥協点だったようだ。
そして今はもう、ササヅキの経歴を知らない人がほとんど。それでいいんだ。
あたしはこの食堂兼宿屋が好き。ずっと繁盛して欲しい。戦火が悪化して客足が衰えた去年もなんとか凌いだ。流通が滞って裏では青い顔してたのに、飯屋がピリピリしてたら飯が不味くなる、厳しいときほどハリボテでも余裕を見せろ、とコストダウンに躍起になるあたしを諫めるササヅキが好き。数字の世界は美しくて、すべてが綺麗に収まるのは快感だけれど、そうじゃない世界もいいものだと思い出させてくれるのはササヅキ。生まれ村にいたら一生出会わなかった世界、《石の子供》としてティルンガの研究所に送られていたら味わうことのなかった世界。
なんの努力もしてないのに偶然転がり込んだこの世界。ここでササヅキの店を守ることがあたしの一番したいことになった。ここに居続けたい、あたしは生まれて初めて努力する。だから結婚はできなくてもいいのだ。もちろんササヅキのお眼鏡にかなってこの店を一緒に守っていける人が現れたらいいんだろうけど、鍛錬を続けるササヅキは無意識に武勇を誇っていて、なかなかそれを乗り越えてまであたしに求婚するような男は現れない。自分があたしの結婚防御柵になってるとはササヅキは気がついてない。のであたしも黙っている。
ネーヴァンジュはササヅキと銀行勤めが二重にブロックになってることに気づいていてどういうつもりかと一度訊かれたのだけど、ニッコリ笑い返したら肩をすくめてなかったことにしてくれた。ネーヴァンジュたちには跡取り息子のオーガンドがいるけど、結婚もしてないササヅキは世話をする人などいないのだ。あたしが残るならネーヴァンジュも心配事がひとつ減る。ちなみにオーガンドは姫のひとりにぞっこんなので(それがうまく行くかはともかく)あたしとというルートはない。
まあ、くどくどと並べ立てて、結局あたしもササヅキも今がちょうどいいからどうにもならない。ササヅキが真剣にあたしの婿探しを始めたら次のフェーズに行くのだろう。
あたしは今のんきに暮らしている。
それでも、今も北では小競り合いは続いてる。どこかの村では口減らしは行われているだろう。
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