第34話 マーナ1-2

 農家には次の春も呼んでもらえた。また期間限定だったけれどほっとする。去年より着実にできることが増えたあたしは選ぶという言葉を反芻する。逃げるんじゃない、選んでもらうんじゃない、あたしが選ぶ。繰り返し繰り返し、刻む。


 夏の初月中頃、王都から医者がやってきた。ヨークンドという名前に覚えはないけど、リストに載った名前はあの10人分。国には逆らえないので診察を受けた。医者は額の《石》の様子とその後の体調を聞き取って帰って行った。これから毎年来るらしい。


 《石》。左の眉のすぐ上に、小さな黒石がある。これが元凶だ。


 ……いや。

 そもそも女工に出なければ。


 女工の話が来たときに、村を出て都会へ行きたがったのはあたしだった。


 セリは家族との別れを悲しんでいた。末っ子でなんにつけ後回しにされるあたしは、家族との別れなんてたいしたことじゃないと笑ってたのに。ひとつ下のセリを慰めてきたのに。まだ見ぬ都会を楽しみにしていたのに。


 あたしはなにを選びたかったんだろう。


 土を柔らかくする。種を蒔く。雑草を抜く。間引く。雑草を抜く。間引く。虫を潰す。収穫する。まとめる。分ける。出荷する。


 時期で作物はかわっても、やることは同じ。これがあたしの選びたいことなのか。黙々と、でも必死に。いまある選択肢。ここにない選択肢。


 ……セリたちはなにを選んだんだろう、あの街で暮らすこと? それは選択肢じゃなかった。あたしだってまだあそこから離れたわけじゃない。どこへ行くこともあたしたちは選べない、未成年の債務者。


 ―――ここにない選択肢は選べない。

 じゃああたしはどうしたい?




 秋の終わりに街に戻った。街の冬は風がきつくて寒くても、直前までいた黒い畑の中よりよほど暖かいし明るい。外に出てる人の多さに安心する。だけど。


 やっぱりここはあたしの居場所じゃない。


 冬が来て、11歳になった。2年と少し前のあたしはどうして村を出たかったんだろう。ニンスのような選択じゃなかった。あたしはあそこに飽き飽きしていた。村の子供たちと遊びながら野山の実りを収穫するのも川で魚を捕るのも。あの暮らしをおとなになるまで続けるなんて嫌だなって思ってたはずだった。ハルタもドゥーネももういない。選んで、選ばれた。ノイルは選んでも選んでもらえなかったけれど、他の道が示された。あたしは。


 もうすぐ新年というある日、ひさびさにニンスに呼ばれた。最近15歳になったニンスはほとんど大人とかわらなくて、みせにでてる姫たちと同じくらい艶めいてる。去年と同じように小机から出した飴玉を寄越された。


「いらない。甘すぎる」

「あら」


 ベッドに座ってふふっと笑うニンスはあたしに隣にかけるよう促した。座ると服の上から見える足も、ニンスはふっくらと肉が軟らかくカーブして、あたしは鶏ガラみたいに細い。ニンスはあたしの視線を追ってたらしく、右手であたしの髪を撫でて囁いた。


「ちゃんと大きくなってる。マーナ、大丈夫よ。生きてる。殺されないし、死なない」


 口調の柔らかさも完全に姫のものだ。あたしといてももう、昔のニンスには戻る気ないらしい。


「……そうかな」

「ええ。わたしたち、みんなここで生きていくのよ。大人の都合であっちやこっちに行くのだって、選べれば怖くないものよ。それに、わたしみたいのにもこうやって話せる妹ができるんだもの、悪くないわ」


 妹。


 ずるいよみんな、なんで前に進んじゃうの? セリなんて、あたしとおんなじだったのに。あたしがめんどう見てあげてたのに。そんなに楽しそうに。誰もあたしのことを見てくれない、イヤだよ、待ってよ、たすけて。


 お腹の扉が中からバァンと開いてしまい、溢れて止まらない。自分でもびっくりするくらい大泣きした。セリに置いていかれて、街の子とも話が合わなくて、あのひとは怖いし頼れないし、すがれる人がいなかった。


 いないと思ってた。


「大丈夫よマーナ、わたしが保証するわ。ササヅキはあなたを殺さない。そしてね、もしどうしてもマーナが許せない目に遭ったら、わたしがそいつを殺してあげる。言ったでしょ? 人殺しなんてたいしたことじゃないのよ。軍人は敵しか殺さないけど、普通の人は憎しみで殺すわ。わたしにとってひとりもふたりもかわらないのよ。ねえマーナ、わたしから見ればあなたもちゃんと選んでるし、選んだ場所がつらかったら逃げたっていいの。ここにくるといいわ。わたしはずっとここにいる」


 ニンスはむせび泣くあたしを抱き留めながらずっと髪を撫でてくれた。




 次の年、時を止められてたんじゃと訝しむくらい背が伸びた。ずっと、ひとつ下のセリと同じくらいだったのに。まあみんな12歳くらいから急に大きくなるんだから順当ではあるけれど。そのおかげか、収穫祭間際に今年はそのまま冬籠に入るよう雇い主から通達された。


 選ばれた。


 あたしは選んだだろうか? 間違いないんだろうか? やっと12になるくらいで、後悔しないなんて言い切れるだろうか。

 でも。


『あたしたちはあの箱で一度殺された。生き返ったあたしたちは姉妹のようなものよ。マーナがどう思っていようと、あたしはそう思ってる。他を選びたくなったら逃げ出してくればいいわ。そしたら今度はあたしが融資してあげる。レジーディアンはおいといて、他の9人なら1、2を争う稼ぎ頭になってるわよ。頼りにしてね』


 ウィンクしながら黒石にキスしてくれたニンスがいる。そうだ、あたしはちゃんと選んだ。手持ちの選択肢なんてそもそもゼロだった8歳終わりの出立から、ひとつは選べたのだ。


 あたしは選べた。生きることを。大丈夫、あのひとももう怖くない。先に選んだセリも、もう妬ましくない。


『わたしはここにいるわ』

 そういってくれたひとがいるから。

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