第32話 セリ5-4
呼び出しだ。コロンという鈍い鐘の音が部屋の呼び出し管で鳴る。鐘を鳴らした小玉で部屋を確認し、ガウンを羽織って中2階の自室から2階に階段をきしませないよう静かに上がり、該当の部屋をノックする。
「どうしました」
ドアにある細い小窓が開いて、中から30代前半くらいの男が告げた。
「飲み水をこぼした。シーツを替えてくれ」
「交換代がかかりますがよろしいですか」
舌打ちが聞こえたけれど「かまわん」と返ってきたのでいったん在庫を取りに離れた。リネン室からシーツを取りだして、一応用心に火薬玉を2粒ほど右手に握る。
あたしが11になる直前に、ノイルが正式採用されて出て行った。次の年にはミトラが結婚して通いに変わった。続け様に部屋を移動してひとりで下働き用の部屋で寝泊まりしてたけれど、12歳になって宿の夜間対応もあたしの業務に変更した時点でササヅキが使っていた中2階に移った。ここは客室からの呼び出しがかかる部屋だ。
それと同時にこれを緊急時用にササヅキから持たされた。つまりこういう事態を想定してだ。といってもまだ14歳。発育普通―――普通。とても普通―――なあたし相手にそういう用途を求めるのはちょっとつまらないと思うんだけど、未成年好きも世の中いるはいる。でも子供好きな人ってもっと小さい子が好きだよね。用心しつつ、でもないかなーと淡く期待して再度部屋をノックし、鍵を開けた。
「お持ちしました」
ベッドに腰掛けた男に声を掛けると「じゃあ替えてくれ」と手を振られる。
「いいえ、私どもは中には入りませんので、お客様で交換なさってください」
「仕事だろ」
「……ではドアは開放したままにさせていただきます」
はー、まずいな、これ。ドアを半分ほど開いたまま室内に入り、ベッドに寄る。確かに水は被ってるけど端だけだ。寝るには問題ないし、交換する必要ない。バサリと濡れたシーツを剥ぎ、新しいものを被せる。メイク中に背中を向けないよう注意しながら手早くすます。交換済みのシーツを抱えて一礼した。
「料金は明日の朝で結構です」
都度精算しないとばっくれそうな客だけどなー。
心で溜め息をつきつつさっさと退出しようとした。けれど、男は素早くドアに回り込み、駆け出そうとしたあたしのガウンを引っ張った。あーヤバイヤバイヤバイ。
「お客様、ここはそういうサービスは行っておりませんので、ご希望でしたら花街をご案内いたしますよ。どんな娘がお好みですか、年下? 年上? かわいい子、綺麗な娘、お母さんのような包容力、花街はあなたの期待に応えます」
「あんたでいいさ、面倒なこと言うなよ、どうせこっそりやってんだろ、金は払うって」
穏便に済まそうとしたあたしの努力は報われず。
ここはそういう店じゃないって言ってるでしょー!? しかも「で」ってなにさ、せめて「が」って言え、嘘でも一目惚れしたくらい言えば情状酌量くらいくれてやったぞ。
右手の火薬玉を床に叩きつけようとしたけれど、その前に膝を蹴られて床についてしまい、動きを封じられる。うーコイツ、こんにゃろ、やばい、この距離じゃ火薬玉は弾けない、勢いがないとただ転がるだけだ。シーツを抱え込んでいるので前から脱がすのは難しい。けれど逆に足のほうからひっくり返されそうになる。
あー、もうだめだ、もう!
諦めて、右手を床に打ち付ける。手の平が床を叩く音、そして火薬玉が弾ける音が部屋に響く。
「なんだっ!?」
一瞬膝立ちになった男の下で、ぐっと身を丸める。すぐに鈍い呻き声を上げて男が覆い被さってきた。
「ササヅキー」
「セリ! 無事か!?」
剣より少し短めの樫の棒を握ったササヅキが焦った声を出す。厨房に近いササヅキの部屋からは階段も遠回りなのにお早いお着きで。
「無事じゃなーい、右手痛いよー……」
火薬玉で火傷してビリビリしてる。
「なんだこれ、火傷か? 爛れてるぞ」
「うー、投げる前に捕まっちゃって……」
ササヅキに左手を引かれて立ち上がる。あたしはシーツを抱えたまま、ササヅキは完全に伸びてる男を引き摺りながら1階へ向かう。ササヅキが井戸から水を汲んでくれて、桶の中に右手を突っ込む。痛いし滲みるし熱いし冷たいし、手がドクドクしてるのがわかる。
「あーでも指は動く動く。利き手つらいけど酷くはなさそう」
火薬玉は玩具のようなものだ。本当なら軽く弾けて当たっても怪我はしない。ヒリヒリはしてるけれど火傷以上のことはないだろう。動かすと引っ張られて痛かったけど問題は無さそうだ。
あたしが手を冷やしている間にササヅキは憲兵に突き出してやると息巻いて男を拘束し、部屋から荷物をまとめてきた。それを食堂の床に転がすと厨房に引き返し、ササヅキ用の丸イスをあたしの前に持ってきてどかりと腰掛けた。
「ササヅキありがとお」
「セリ、お前もな、マウント取られる前にサッサと合図しろ。だいたいやばいなって時点で俺が出ときゃこうはならなかったはずだぞ」
「うーごめんなさい、よそ紹介すればあの人も満足、こっちは紹介料も入るし円満解決だしさー」
「そういう気は回すなバカ」
「バカでした……」
ホールで訊かれる時は通りの紹介だけして、宿泊客に依頼されれば店まで案内する。手順さえ踏んでくれれば双方痛い目に遭わなくて済んだのに、失敗したなあ。はあーっと深く溜め息をつくと、ササヅキがもぞもぞと膝を組みかえて水の中の手を引き上げる。傷口を確認しながら「大丈夫だったか」と呟いた。
「なにが?」
「その……怖かったろ、泣きそうだったぞ」
「え、泣きそうだった? なんで……ああ、手が痛くて泣きそうだった確かに」
「……なんだって」
「あ、ササヅキが心配してるの、別のこと? 特に別に怖くなかったよ。だって合図さえ出せればササヅキ来るってわかってたし。だからタイミング失敗したのはもー焦った!」
なんだかササヅキが黄昏れ気味なんですが、なんで。
「……お前はもうちょっとちゃんと自分の心配をしろ」
「なんで怒られてるんだろ」
「お前がお気楽だからだ」
「エー、お気楽じゃないよ、だって『ここ』だよ? ササヅキが外泊してるならともかく、ササヅキがいるのにササヅキがこないなんてこと、絶対ないもん。当然じゃん。なに言ってんのササヅキ?」
「俺かぁ!?」
「あたしの理屈、どっか変?」
「いや、確かに、でもな、いややっぱどっかおかしいそうじゃない」
「心配してくれてありがとササヅキ」
あたしの右手を診ていたササヅキの右手を、くるりと握って引き寄せる。中指と薬指に軽く口づけるとササヅキが沈黙した。
「ちゃんと無事だしちゃんと動いてるしなんの傷も受けてないよ。ありがと」
「……しっかり冷やせよ」
掴んだ手を掴み返されてぽちゃりと桶に沈められる。
「うん。でももう大丈夫そうだから軟膏塗って寝るね。ササヅキも寝ちゃえば。あっちは明日の朝でもいいでしょ」
ササヅキが縛ったのだ、逃げられるわけがない。そちらを眺めてしばらく顎を掻いていたが「そうだな」と同意した。
「まああんまり心配させんでくれ。おやすみ」
「はーい。おやすみササヅキ」
ピリッとする手の平を掛け布団から出すように包まると、眠気はすぐに戻ってきた。
翌日は宿泊客に昨夜の騒ぎのお詫びに昼食用のサンドウィッチを配った。うちの宿は静かな眠りが売りなのだ。隣室から嬌声が上がるのも喧嘩騒ぎもごめんだ。まったく手間のかかる。といっても迷惑料と称してあいつからがっつり巻き上げたので金銭的な痛みはないんだけどね。
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