第28話 ハルタ1-2

 通いの間も姫たちの代筆は請け続けた。姫も全部の馴染みに手紙を送るわけではない。湾曲な文章を理解する者、ある程度の知識階級。女性からの手紙が届いても問題にならない環境。

 客の数からしたら少ないけど、そういう上客が来る店の店主であるネーヴァンジュが化ける予定だったと惜しむエッダはある意味すごい。


 レジーディアンを格が高いと判断して他のみせに送ったのはエッダがいたからで、彼女が結婚したのは誤算だったんだろう。私はまだ結婚を考える年じゃないけど、親のいない―――いないも同然だ―――私たちが結婚できるなんて思えない。そういう意味でもすごい。




 11歳になった。初月には何も言わなかった代書屋のリアンが中月にササヅキに手紙を出してきた。引き取りを前提に、私の境遇と借財の確認をする面接日を設けたいという内容だった。


 ついにきた。


 セリに精算してもらう。ササヅキは利子をつけなくていいと言ったけど、紙とインクは消耗品で、多少質の落ちる練習用でもそれなりに高い。言葉を覚えるだけなら石筆や木簡でもよかった。読むだけだったらいらなかったもの。だけど私は書くことを選んだ。正しく美しく書くために必要な投資だ。

 そういえば投資という言葉はセリから聞いたんだった。この子はホント変な子。今セリはわくわくしながら計算機を叩いている。セリの字は正直のたくってるけど、計算は本当に早い。


「通いでもらってる給料がこれだと住み込みの相場はこれくらいだから、ササヅキには2年くらい待ってもらう感じかもね。返済はそれから」

「ああ、そうなるだろうな。とりあえずマイナスが増えなきゃいいさ」

「ササヅキかんだ~い」

「阿呆、急いで何もかも失うのは粗忽者と相場が決まってる。そして俺は粗忽じゃねえ」


 いいかげんに見えるササヅキだが、前にも言ったように脳筋じゃない。隠密偵察部隊の真似事もしていたとセリから聞いたことがある。「俺は待てる男だからな」と言うのも本当なんだろう。借金の返済に使う言葉かわからないけど。


 面接では、私の借財まで押しつける気は無いこと、それより早く一人前にして欲しいこと、病気等で面倒が見られないときは一時帰宅も受け入れることをリアンに伝えると表情が緩んだ。後月までに部屋を用意しておくと言われ、私は泣き崩れそうな膝を必死に支えた。


 結局我慢しきれなくて、リアンが帰ったあとは布団で泣いてしまったけれど。セリとミトラが笑いながらおめでとうと言ってくれるのが本当にうれしかった。同じ境遇のドゥーネが春に出て行ったとき、次は私と言ってくれたのも思い出す。




 身辺整理、というほどの荷物は無く、けれど借り物の服でたどりついたあの日から、ずいぶん自分の物が増えた。レジーディアンがくれた貴族の娘が使う華やかな便箋、ペン、インク、紙、木簡。服、靴、色付きの紐。箱に詰めていると、セリが呼びにきた。


「ヨークンド様から就職祝いだって。重いよー」


 ヨークンド様というのはササヅキの昔の同僚で、元帥付の部下の人だ。何度かササヅキのお店でも見たけど話したことはない。


「そんな人から私に? なんだろ」

 片手で持てないこともないけど、ずしりとした木箱を開けると、厚みが指3本分を越える本だった。


「えっ? なんで? なにこれ!?」


 これは―――辞書だ。


 装飾こそ簡素だけれど黒に近い紫の革に、プレスされた枠飾りと字引のタイトル。

「なんで……?」


「なんだ、そんなもん送って来やがったのか」

「ササヅキ!? どうしよう、こんな高価なもの貰えないよ、なんで!?」

 うろたえる私に苦虫を噛み潰したような渋面でぼやくササヅキ。


「あーもらっとけもらっとけ。あいつには大した出資でもない。そんなんで恩の押し売りされちゃこの先が怖ぇえだろうが気にすんな。無視しろ」

「だってそんなササヅキ」


 言われた意味が分からなくておろおろしてると、セリがひょいとのぞき込んだ。


「もしかして、あたしも言われたあれ? 王立学校にくればっていう」

「はあっ!?」

「将来誘う気かも知れんなあ。お前の話をしたのはずいぶん前だが覚えてたとは。調査の医者から聞き出してるのかもな」

「どういうこと!? もうっ、ふたりでわかってないでちゃんと説明して!」


 調査の医者って、あの《石》の定期検査のこと? それがヨークンド様絡みなの? 学校ってなに!


「えっとね、勉強ちゃんとしてるのあたしとハルタだけって言ったら、石筆と石板と計算機くれたの。勉強を続けたいなら王立学校に推薦してあげるよって言われたけど、奨学生って意味だったのかわかんなかったし、ただでさえ借金だらけなのにさらにお金のかかりそうな学校なんて行けないっしょ。断っちゃった」

「セリ!? それいつの話!?」

「ここに来た秋の後月だよ。そのあとすぐ冬の初月の祝日だったもん」


 すごくいい話じゃない、もっと詳しい話を聞きたかったのに勝手に断るなんて、という私の焦りはセリの返答で溶けた。教会に通い始めたばかりの頃だ。そんな一番混乱していた時期に提案されても、私も断っていただろう。心細くて、でも同じ境遇の女の子たちで固まって眠れた日々。あれを手放して1人で学校に入るなんて選べなかった。


 ……ていうか、セリは借金がイヤで断ったのか。それもなんていうか、セリらしいんだけど。


「あの勉強道具はササヅキが用意したんだと思ってた」

「俺は贔屓しない。平民のお前等が勉強に熱心ってのが面白かったんだろ。あいつは頭を使う奴が好きなんだ。奴自身はそこそこいい生まれだが、前線で寒村を見てるしな。それにこの街だって貧民層はあるだろ。見る目がありゃ見えるもんだ。浮浪児が増えるのも国営に響く。ま、金持ちの気まぐれだ。だからまあ、ご厚意には甘えとけ。ただしそれを盾に難題をふっかけられたらまず俺に言えよ」

「え、でも、ありがたいけど本当に何もお返ししなくていいのかな」

「どうせ俺がいろいろ遣われるんだ、そっちにツケとくさ。二重に取り立てようって算段なんざ無視だ無視」

「ヨークンド様もササヅキに恩が売りたいんじゃないかなーってことだよね」


 むうっと渋面を更に険しくしてササヅキが唸った。私の袖を引っ張ったセリが「それにササヅキはそれハルタにあげたいんだよ」と囁いた。


「セリ、聞こえてるぞ」

「あっ痛っ! なんでササヅキやっさしぃ~って話じゃん、なんでおこいたたたた!」


 ひょいっと持ち上げられたセリが拳骨で頭をぐりぐりされるのをぽかんと見てしまった。このふたりはときどき親子みたいだ。または近所の悪ガキと雷親父。笑ってしまって、鼻の奥にツンときたのをやりすごす。


 本当に、やさしいひとに、恵まれた。


「ありがとうササヅキ。ヨークンド様にもお礼を伝えてください。私も礼状を送ります」

「書き上がったら俺によこせ」

「うん」


 ここへ来て1年半、ササヅキの要求―――就職しろ―――は高かったけど、本当に途中で放り出されることが無くて、安心して眠れるベッドがあった。


 そう、この街の貧民層は花街の、同じくらいの女の子が道で客引きしている姿を意図的に視界から外して―――だって、ああなる可能性は充分あった。同じ姫でも手紙を送る相手がいるランクはごく一部だって私は知ってる。姫がみんな不幸だとは思わないけど、私がなりたい未来じゃなかった。本が読みたい。おばあちゃんの物語だけじゃない、いろいろな文学に。詩を知った。歌劇を知った。歴史を知った。まだほんの入り口だ。


「泣き言は言わない。がんばるね。今までありがとうササヅキ」


 すごいしょっぱい顔されて去られたけど、セリがニヤニヤ見送っていたからたぶんあれは照れているのだろう。


「セリも、仕事探しがんばって。時々食べにくるね」


 セリは去年の秋から食堂仕事に精を出してササヅキにうんざりされたりしてるけど、合ってると思う。あたしよりひとつ小さいけど物怖じしないし、お客さんも「こまっしゃくれたガキだなぁ」と言いながらもセリとの会計勝負を楽しんだり得意になるセリを褒めてくれる。ここへきてすぐにササヅキの厨房で働き始めたミトラも来年は成人だしすっかり馴染んでいる。しばらくはこの3人中心でまわしていくのだろう。


「がんばるよ! あたしササヅキの店を有名にするんだ!」

 楽しげに笑うセリと抱き合って別れを惜しむ。私の家族。


 さようなら、私の家。

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