第25話 ドゥーネ1-1

 その日の教会はやたら女どもが多い日だった。しかもこの辺じゃ見たことない、新顔ばかり。石筆を初めて握った時の俺とおんなじ解読不能な文字を石板に書いてるのも新顔の洗礼だ。


 俺はここに丸2年通っていて、正直飽きてるんだけど親がうるさい。寄付がないと教えてくれないところまでいけば辞めさせてくれるんだろうけど、季節の挨拶が覚えきれない。パン屋にパン修行以外のどんな勉強がいるんだよと父ちゃんに訴えても母ちゃんが鬼のような顔で叩き出すのですっげーサボりたいけど諦めて教会に来てる。


 たぶんこいつらもすぐ来なくなるな。


 年は俺よりちっちぇえ7歳くらいから同じくらいに見える。みんな痩せてて細いので上はもしかしたらもうちょい上かもしんない。13歳は教室にこれないからそれ以上はいないはず。


 ……もしかして貧民層のやつらかな。

 服は普通だし顔色も悪かないけど、おどおどして教会は初めてって雰囲気が、あいつらをまとめて放り込んだらこんなかんじかなって思えた。


 だけど暴れたり叫んだりはしてねえから違うかな。

 その日はよそ見して考え事ばかりしてたので、渡された範囲が終わらなくて最後の時間までかかってしまった。



 終業で教会から出された俺は、なんとなく前の新顔集団について歩くかたちになった。追い抜いて行くのは簡単だったけど、どうもおびえた顔のそいつらから目が離せない。通りを下っていくと、交差点の角に俺んちがある。この時間じゃほとんど消えてるが、朝教会に行く頃はパンの焼ける香ばしい香り、空腹を直撃する旨そうな匂いが界隈に漂っている場所だ。そいつらもそれを思い出したらしい。腹を押さえてガラス窓に陳列された菓子パンをのぞき込んだ。


 俺はその集団を分け入って、店の入り口から家に入った。いつも裏から入れと怒られてるけど、ドアを開けると中から暴力的な香りが飛び出したはずだ。腹ペコには耐えられまい。金さえ持ってれば客は客だ。


「俺んちのパン、旨いぜ。おんなが好きな甘いパンもあるからな」

 ドアを閉める前に振り向き様そう言うと、いったん閉まったドアがそろりと開いた。作戦通り。


「いらっしゃいませー」


 表から入ってきた俺を叱ろうと母ちゃんが声を上げかけて、後ろの光景に商売用の顔に変わった。ぞろぞろと入ってくるちびなおんな共が商品に悪戯しないか笑顔の下で監視してる。1、2、全部で6人。顔は完全に蕩けてるが、腕を組んだりスカートを掴んだり、パンに手を伸ばす者はいない。


 母ちゃんにどつかれて一番でかいのに声をかける。

「なんか食いたいのあったか。チーズ入りのや野菜入りのメシになるパンもあるぞ」

「あの、ええと」


「あとは腹持ちはしねえけど、果物載せた甘いデニッシュとかな」

 全員の顔がぱっとしたので、欲しい物はわかった。


「小遣いが足りねえなら3コ買って半分に分けるって手もあるぞ」

 食べてみたい、ササヅキにバレたら、バレたってよくない? 自分たちのお金だし、でも借り物だよ、このあと昼食だし、こんなのペロリだよ、いくらだって入る。

 コショコショと話し合って、一番小さいのが飛び出した。


「あたし食べる! もうひとりいたら分けるよ!」

 一番大きいのが賛同した。


 今一番人気なのはスライスした梨のデニッシュだ。コリっとした梨の歯ごたえと薄く敷いたカスタードとぱりぱりしたデニッシュが、噛み砕くことで梨の果汁にじゅわっととろけるのだ。この手のやつは食べても食べたりないのが難点だが、砂糖もたくさん使ってるし値段は高めでもよくでる。


 小さいのが母ちゃんに金を払ったのを確認しながら店のナイフでふたつに分けてやり―――サービスだ―――そわそわするふたりに渡す。


 小さい方は、目を見開いて、あっという間に食べてしまった。指に付いた屑までしっかり嘗めとって、甘いおいしい甘いと繰り返す。


 でかい方は、一口目をほんのすこし囓って、ゆっくりと口の中で溶かし、二口目は口一杯ほおばり噛みしめ、あとはまたゆっくり惜しむように食べた。


 その頃には残りのやつらも同じ物を欲しがって、またそいつら分の会計を横目にふたつのパンをそれぞれ切り分けた。ばたばたと足踏みするように旨さをあらわす奴、泣きそうな顔の奴、それぞれだったがみな名残惜しそうに店を出ていった。


 売り上げとしてはたったみっつ分だが、俺が連れてくる初顔としては上出来だろう。これであいつらは教会帰りにうちの店を素通りできなくなったはずだ。


「あのこたちなんだい。教会帰りなんだろうがみかけない子たちばかりだね」

「俺も初めて見たよ。ハンクもサーラも知らないって」

「ふうん」

 昼飯の時間だ。店を閉めて、奥に向かった。




 でかいのはドゥーネといった。しかも1つ上だった。教会のある日は必ずウチに寄って買い食いしていたが、冬の最後の火の日、教会来るのはもう終わりと俺に話しかけてきた。


「そうか、誕生季だもんな。たまには買いに来いよ」

「それなんだけど」

 ずいと近寄ってきて、声を潜めた。


「おじさんに会わせて欲しい。つか、紹介して欲しい。弟子入りしたい」

「は?」


 なに言ってんだコイツ?


「弟子なんて募集してないぞ」

「そこをなんとか」


 帰り道中懇願されて折れた。つーか、店まで来るのは一緒なのだ。母ちゃんに事の次第を伝える。母ちゃんも渋い顔しながらも(一応客なので)追い出さずに奥に引っ込んだ。


「なんなのお前ら」

 弟子入り希望はドゥーネだけでも、セリとハルタも付いてきてた。なんにも言わねえけどドゥーネを諫めもしない。おかしいだろ、女がパン屋に就職希望とか。

 父ちゃんが仕事着のまま店に出てきた。


「どいつだ」


 ドゥーネが前にでる。握った拳が震えてるのが目に入った。なんだよ、そこまでかよ。イミわかんねえ。


 この店を継ぐのは俺になると思う。従業員はいない。父ちゃんがパンを焼いて母ちゃんが売る。俺は秋に12歳になったら本格的に教わる前提で今は手伝いさせられてる。別に不満はないけど、もうちょっと遊んでたい気持ちはある。それなのに、来週13歳になるドゥーネが修行したいと言い出したのに一瞬焦ったのはなんでだろう。


「あたしですっ。名前はドゥーネ、12歳です。このあたりのパン屋はだいたい制覇しました。ここが一番美味しいです、ここで働かせてください!」


 ぶわっとドゥーネが頭を下げる。内容が内容だけに、父ちゃんも笑っていんだか怒るべきか迷った顔になる。母ちゃんもだ。俺は呆れた。こいつ、水と火以外は他の店に行ってたのか。


「どこの子だ」

 なぜか女共全員がびくりとした。

「大通りを越えた中町の向こう、9番街に住んでます」


 ―――花街だ。


 母ちゃんが一気に険しくなった。逆に父ちゃんは変な顔になって、それからもしやと指差した。


「新しい食堂のチビどもか」

「知ってるんですか!?」

 ハルタが声を上げた。ドゥーネは固まってる。


「飲食店業組合の会合で見たぞ。俺は別の組合だがあっちとも付き合いがある」


 俺は花街のやつだってことにビックリしてた。初めこそ服装といい言葉遣いといい、貧民層か孤児かと思ったけど、すぐに街の子と変わらなくなったからすっかり忘れてた。特にセリとハルタは勉強が好きだし得意だ。他の娼婦の子とぜんぜん違う。


「あれだろ、もと軍隊のお偉いさんが食堂開くってんで組合でも困惑してた店だ。傭兵が屋台や居酒屋ってのは聞くがこんなの初めてだってなあ」

 セリが「お偉いさん……」と笑いを堪え気味に俯いて、ハルタに「ホントのことでしょ」と小突かれた。……ホントのことなのかよ。


 父ちゃんの顔が余裕のあるものになった。


「だが詳しい事情は知らん。店主を連れてこい。3日後、昼休憩にだ。食い物屋なら3時頃なら手が空くだろ。それと、剣を持ってくるように忘れず伝えてくれ」

「ちょっとあんた」


 母ちゃんは困惑してたけど「あとでな」と言い含められて引っこんだ。

 ドゥーネが震え声で「はいっ」とまた頭を下げた。


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