第20話 エッダ2-1

「じゃあ、エッダ、結婚してくれ」


「え?」


「俺が嫌でなかったら。いや、嫌ならそれでもいい、名目だけだ。嫁なら親父も無碍にはしない。しばらくうちで働いて、なにか他に口があれば離縁すればいい。君をあそこに置きたくない」


 みながあっけに取られている。ニタはなんとか案を出した。身請けという形がササヅキに不興なら―――正直なところエッダと本当に結婚というのは無理筋だと思う。自分は倍近く年上なのだ、まともな結婚相手として考えられる対象ではない。けれど―――労働者として給与は出せなくても、嫁の来手のない自分なら両親は大事にはするだろう。その間にニタがエッダの債務をササヅキに返済すれば、エッダは自由の身になれる。しかも仮初めでもしばらくエッダと共にいられるのだ。


 ササヅキが短い前髪をかきあげ、気まずそうにニタを見つめる。


「あー、なにがなんやら。お前さんはエッダの借金の肩替わりをしたいってことか?」

「そうだ。……最初に言ったと思う」

「メリットはなんだ?」


「俺……は、つまらない男だ。ただ、もしこれでエッダが諦めなくてもいいなら……、俺は幸せだって思えるだろう。そんな思い出がある男になれるなら」


 なぜ彼女だけ助けたいと思うのか。その答えは薄々わかった。だがそれはどうでもいい。まだ年若い彼女に、自分のような、諦めた生き方をさせたくない。


 ニタは自分を諦めた。なのにそんな自分が不甲斐なくて苦しいから。自分のような男が一時でも想う少女を助けることができたら、それは大事な思い出になるだろう。ニタは、自分を慰めて生きていける。


「あのう、ササヅキ?」

「なんだエッダ」


「この街って、15歳でも結婚できるの? 法律って国の中なら一緒だってこの前教わったのだけど」


「は?」


 ササヅキが回答する前に、ニタは顎を落とした。ニタの驚きをちらりと横目で確認したササヅキが「無理だ」と肩をすくめた。


「エッダ、いつ16になる?」

「わたし、ここに来てすぐ15になったから……次の冬?」


 なだらかな線を描く胸元の、小首を傾げる彼女はまったく子供には見えなかった。

 しかし彼女は自分で言った。『大人は意味もなく子供にお菓子をくれると知らなかった』と。


「15歳……?」

「あんたこの子をいくつだと思ってたんだ」

 合点がいったとぼやきながらササヅキに問われる。


「17か18だと……みせにいるからてっきり……」

「だからまだみせに出てなかったろう。16を迎えてない娘を姫に出したら憲兵にお縄になっちまう」


 閃くものがあった。初めて会ったとき、ラナータは言ったではないか。『まだ出せない娘なの』と。その後に会ったエッダとの会話で、てっきり行儀作法が足りないからだと思いこんでいた。


 発育が良かったのか。


 自分の半分もいかない歳と知ってニタは惚けた。まとまらず、言葉にならない。ササヅキに肩をたたかれて我に返る。


「その、な、ニタ、悪いな、お人好しのふりで歳の足りない娘を落籍そうっていう趣味のアレなクズかと思ってな……いや、悪い、たしかにぱっと見はわかんねえか。そうだよなあ。でもレジーディアンと並ぶとわかるもんなんだよなあ……顔が違うんだよなあ……」


 ササヅキがよくわからないことを言うが、どうでもよかった。借金が少なくて本当によかった。ぜったいに身請けする。


「ササヅキ、お願いだ、必ず返済する。みせに上げずに待ってくれ。冬までに用意する。エッダ、それまでここで待っててくれ。ウチに来る必要はない。ここで下働きを教わって、どこへでも奉公にいけるようになればいい。必ず迎えに来る。絶対だ」


 バチンと力が入った。エッダは、彼女は、本当に子供だったのだ。その身におきたことは、自分の何倍も、何十倍も、……想像がつかない。自分に絶望して惨めになっている今のニタの、子供時代は、けして辛いだけではなかった。


 エッダの子供時代の最後に、喜びをあげたかった。




 半年、娼館には通わなかった。酒も控えた。豚は繁殖が早い。代々ゆっくりと開拓していた放牧場を時間のある限り広げた。豚舎はすぐに増やせるものではないが、運動場と母豚の数を増やして、冬支度に備えた。

 街に卸す分の他に、薫製加工品を用意して近辺の村にも行脚した。取引量などすぐに増やせるものではない。同業者との縄張りもある。しかし一時的な試行だと組合から話を通せば多少の嫌み以外の妨害はなかった。


 じわじわとしか稼ぎは増えない。疲労も溜まる。だがニタは動いた。日々ルーティンだった仕事の他に、こんなに時間はあったのかと思った。常にない息子の行動に両親は戸惑ったが、跡取りとしての自覚が現れたのだと喜んでいた。見当違いの喜びが後ろめたくはあったが、これから先、エッダを解放してからも、ニタは自分が動けるのだと噛みしめることができる。誇りを抱いていける。


 ササヅキから連絡がきた。そろそろ秋が終わる。今までの貯蓄までかき集めてきた金は100万イル、きっかり中銀貨5枚分。これを息子が何に使うのか知らない両親には悪いが、それを掴んで当日ササヅキの食堂へ出向いた。




「じゃあ精算しよう。1年分の生活費と賃料のマイナス、ひとひとり置いて教育した娼館への補填、ドレスの作り直し代、これらに娼館での労働分を相殺して、150万イル、中銀貨7枚と小銀貨5枚だ。用意できたか」

「聞いてない!」


 ササヅキの言葉に憤慨する。中銀貨5枚と言ったではないか。


「それ、言ったの俺じゃなくねえ? あとそれ、半年前の話じゃねえか?」

「あっ!」


 そうだった。当然のことなのに、すっぽ抜けていた。稼ぎのない娘がただ生きるだけで金はかかるものなのだ。増えて当たり前だ。

 しょせん、自分には誰も助けられない。その程度なのか。金額の相違に思わず立ち上がったが、力なく腰を落とす。その時だ。


「ねえササヅキ、エッダを呼ばないの?」


 ササヅキの隣で明細を広げ、計算機をたたいてみせた子供が―――こちらは本当に子供だ―――小首を傾げた。ササヅキの子なのかと思っていたが、親を名で呼ぶ子は普通いない。


「足りなくて、結局このままだったらかわいそうだろ。だから呼ばない」

「呼んであげてよ。自分のことだよ、知りたいって思ってるよ」

「……お前がそういうなら、呼んでこい。足りてないことは言うなよ」

「もちろんだよ」


 イスからすべりおりて駈けていく。気まずい時間が流れる。ササヅキの淹れてくれた茶は以前も飲んだ、香ばしくよそではない味だ。こんなときでなければもっと味わえるのに。


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