第19話 セリ3-4

 さっそくラナータに会いに行く。ああ言ったものの残念ながら他のあてはネーヴァンジュとササヅキしかいない。


「ラナータ」

 ラナータの個室をノックすると、ゆったりとした部屋着の彼女が顔を出した。


「セリ? 珍しいわね、こっちにくるなんて。なにか用かしら」

「エッダのことなんだけど」

「あら」

 なにか言われた? という顔で訊かれた。


「ラナータは、ニタって人がなにやってるか知ってるんでしょ?」

「なにをしているかは知らないわ。外のことは噂しか入らないもの」


 姫はあまり外出しない。借金で契約上規制されているケースも多いけど、ラナータのような自由契約なら外出は自由だ。それでもあまり出たがらないのが常である。ラナータはゆるりと微笑んで続けた。


「でもなにをしたいのかは知ってるの」

「それは?」

「エッダに秘密にできるなら教えてあげる」

「……それは約束できない」

「じゃあダメね」


 ふふっと楽しそうに笑う。それはしょうがない娘達ねと笑うお母さんに似てた。


「ラナータはいいことだと思ってるんだね」

「どうかしら。そうなればいいと思うけれど、それが難しいことも知ってるわ。問題はエッダだから」

「エッダ?」

「ニタはやさしい子よ。あの子が傷つくのは可哀想だけど、このままじゃそうなるのもわかってる。そうね、セリ、秘密にしなくてもいいけど、伝えるタイミングは測ってちょうだい。ニタはエッダを幸福で笑顔にしたいの」


 ……すごく普通で、すごくいい話だ。


「なんですぐに言っちゃダメなの」

「それはセリ、あなたがエッダとよく話さないとわからないわ。がんばってね」

 それで話は終わりになってしまった。―――ラナータはエッダに問題があると言う。どこに?



 次は帰ってきたササヅキだ。一応他の子には聞こえないよう、夜の準備に入る前に裏口へ引っ張っていく。


「なんだセリ」

 潜めた声が届くようにササヅキの腰にぴったりくっつく。


「ササヅキはニタって知ってる?」

「あれだろ? エッダの勘違い男」

「そうそれ。あのあとあの人どうしてるか知ってる?」

「一応な。強硬手段が取られないように用心してたからな」

「今は心配ないの」

「そうだな」


 腕を組んで、ドアの桟に寄りかかる。少し考えるように目を伏せた。


「エッダには言うなよ。ニタは金策に走ってる。どうしてもエッダを落籍きたいらしい」

「じゃあエッダは嫌われたんじゃないんだね」

「誰だそんなこと言ってんの。逆だろ。ただ落籍いて、自由にして、どうしたいのかはわからねえし、俺の分の借金がなくなっても姫の準備金は残るから結局借金なんだよな」


 ドレスは作らないにしても行儀作法と姫教育はしないわけにいかないからなとササヅキが肩を竦めた。なにもしないまま16歳になって身請け話も流れたら、エッダをデビューさせるのに余計な時間がかかってしまうというのは分かる。ネーヴァンジュだってニタを鵜呑みにして待たせるほど楽観してないってことだ。


「エッダの下働きの報酬はあるんでしょ?」

 見習い分はマイナスでも、下働きもしてるからとんとんなはずじゃあ。


「……マイナスだ。姉貴に訊いてみろ、あいつ皿洗いもしたことなかったんだぞ」

「えー」

「みせに出ちまえば、どうにでもなる奴だがな」

 アレには加虐心を煽る特徴がある、と分析を教えてくれる。


「えー、逆じゃない? 頼りなくて守ってあげたくなると思うけど」

「ポイントは同じだが、逆だな」

「そういうもんなのかな……」


 残念ながらあたしは子供だし、おっさんで男であるササヅキがそう言うなら説得力はササヅキだ。

「それでニタがどうした」

「ううん、なんでもない」

 ぱっと離れて厨房に逃げ込んだ。あぶない、勘だけどまだ怒られそうな気がした。セーフ。



 次の日は精肉卸組合に寄って、ニタの評判を聞いた。といってもこんな子供をまともに取り合ってくれるはずがない。なので親の仕事についてきたよって顔でカウンターに近づいて、業者目録をパラパラしてみせた。するとすぐイタズラ防止に職員が寄ってきたので「この中で一番お肉が美味しいの誰?」と子供らしく首を傾げる。みよこの演技力。ふたつは下に見えたはず。予想通りみんなそれぞれ美味しいのよという職員に名簿を指差しながらこの人はおいしいこの人は上手と質問を続け、ニタのところで「この人どんな人」と訊いてみた。


「ちょっと気の弱いところはあるけど、おいしい豚肉を入れてくれるわよ。今は加工も試してるみたいで試作の販売ルートを確認されたわね」

「へええ、うちの父さんとどっちがおいしいかな、食べてみたいな。じゃあこの人は」


 数人付き合ってもらって退散した。子供向けに差っ引いた分があるとしても、あの日見たニタの印象そのままだ。やっぱりニタがエッダを好きだというのは間違いない。エッダがめずらしくあんなに心配するくらいだし、エッダもニタを好きだよね。でもラナータはエッダに問題があると言った。


 ……間違うのはエッダ?




 2日ほど迷って、ハルタやミトラにも相談して、午後の空き時間にエッダを裏庭に呼んだ。

 井戸からカップに水を汲んで日陰に並んで腰掛け、ニタはエッダを花街から出すためにお金の工面をしているところだと説明した。みせにこないものたぶんそのせい。ネーヴァンジュの娼館みせは界隈ではけっこう高い。短時間で交代制の安い店と違ってサービスも上質だし一晩休めるところだからだ。短時間割も扱ってるけどやっぱりよそより少し高い。


「エッダ、どうする? ニタはエッダのためにがんばってるけど、エッダはどうしたい?」

「そんな……わたし……」

「ニタががんばってくれても、エッダの希望と違ってたら意味ないよね。勝手にがんばって、恩着せがましいこと言われても、困るでしょ。ニタって人、迷惑じゃない?」


「そんなんじゃないわ、ニタは、いいひとよ。最初から……かばってくれて、助けてくれて、くれても返せないって言ったら気にすることじゃないって言うの。ササヅキはタダより高い物はないって言うけど、わたしそう思わないわ。自由にしたいって、思ってくれたの」

「でもエッダは自由になりたいなんて思ってないんでしょ。押しつけじゃん」

「いいの、悲しかったけど、ニタが姫以外になれっていうならそうする」

「でも姫以外の仕事なんて無理だよね? エンディアに聞いたけど、下働き使い物になってないんでしょ? 他って言ってもねえ」

「セリ……」


 エッダはいまにも泣きそうだ。


「ねえ、なんで悲しかったの」

「え?」

「自由のなにが悲しいの」

「ええと……自由って、ひとりでしょ。ニタがわたしを成人と勘違いしてたときは嘘でもいいから結婚しようって言ったのに、子供だってわかったら置いてかれちゃったもの」

「へえ、そこなんだ」

「なによ……」


「エッダはひとりで自由よりニタと借金のほうがいいんだ」

「え……? そう、なの?」

「エッダ、自分で言ったんだよ」

「ええ……?」

「ねえエッダ、姫になりたい? なんで?」

「だってどんなことするかわかるし、他のことわからないもの」


「それは『なりたい』んじゃなくて『なれそう』だからだよね」

「え、うん、そう……ね」

「それでニタがお客で来てくれたらうれしい?」

「うれしいわ、いっぱいお返ししたいの。でも」

「ニタに会いたい? ニタと一緒なの、いい?」

「そう……そうね、わたし……」


「でも姫はニタだけを相手にはしないよ」

「もちろんわかってるわ」


 きょとんとされて誘導失敗にため息をつく。諦めよう。直球でいこう。

「あのさ、エッダはがんばらないわけ? なれそうだから姫になって、お客で来るニタをぼーっと待つわけ?」

「そんな」

「エッダはさ、ニタを喜ばせたいって、ないよね。がんばってくれるニタをいいひとだ、やさしいって言って、言うだけで、待ってるだけじゃん。お店に来てくれたらサービスするって、じゃあお店に来れなかったらそのまま? エッダの感謝ってその程度?」

「ひどいわ、そんな言い方」


「ひどいのはエッダだよ。ねえ、よく考えなよ、なにが欲しいの? どうすればいいの? エッダは、『どうすべき』だと思う? あたしから言えるのはここまで。よく考えて。ニタは『諦めて欲しくない』っていったんだよ」


 呆然とするエッダを残して先に食堂に戻った。ササヅキが苦虫を噛み潰したような表情で待ちかまえてて逃げ出す前にこめかみをぐりぐりされた。しまった昼寝の時間狙ったのに。


「いたーい!」

「オマエ、言うなって言ったろーが」

「だって自分のことじゃん! エッダが選ぶんだよ! 秘密なんてやさしくないよ、ササヅキは親じゃないでしょ!?」

「それはそうだが、お前はあいつの責任とれんだろうが。わかってんのか、エッダは選んだことがないんだぞ」

「わかってるよ、エッダがどんな暮らしだったか、レジーディアン以外は知ってるよ、みんな」


「みんな、か?」


「だってエッダとニンスが姫見習いに決めたとき、『慣れてることのほうがいい』ってフツーに言ったんだよ、あとはちょっと耳を澄ませてれば簡単だよ。……このみせにいればエッダは泣かなくて済むかもしれない、けど、さ。あたしたちは笑って欲しい」


「……お前ら、割とちゃんと団結してるな」

「そうだよ、助け合おうって決めたんだ。だからあたしはエッダの味方だよ。ササヅキが反対してもね」

「反対はしてねえよ。俺は返済さえちゃんとされればなんでもいい」

「約束だよ」

 なにが約束だ、とまたぐりぐりされた。なんでー?


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