第17話 セリ3-2
「俺は誰かが自分に決めたことを曲げさせたりしない。それにあいつを身元がバレたまま隣に置いておくのは危険だった。貴重な《よつ石》だ、迎えは来なくても狙われてた可能性は充分あった。だが、大店の姫ならみせから厳重に守られる。輸送途中で攫われるようなヘマも許さない。あいつの選択は安全で最良だ。
ところでだ、前提がおかしい。なんで『俺が』なんだ。あれはレジーディアンだぞ」
「それはあの時見てたから知ってるよ、相手から好きって言わせたくていろいろ細工してたヤナ姉と一緒だった」
「誰だ? ああ、お前の地元のか。そーか、お前にもそう見えたか。ちなみに俺はあの時気がついてだな、呆然としたの。意味がわからん。どこにそんな要素があった」
「そっかー。レジーディアンのオンナゴコロは複雑だったか……」
ふうっと溜め息をついたら「溜め息つきたいのは俺だ」と軽い拳骨が落ちてきた。
「なんでー」
「コドモがこんなことに首突っ込んでるんじゃない」
「コドモったって、このままいったら姫見習いだもん、いろいろ考えるよ」
「……そうか。悪かったな」
「それでも雇われるならネーヴァンジュがいいけど」
「そうか」
「ササヅキはなんでレジーディアンとしなかったの? そんなバレるものなの?」
「あのな……まあ、半々だな。たぶんバレない。けど、大金が動いてる中でまわりを欺いたって罪の意識は消せない。それがいつか罰を呼ぶ」
「んん」
「自分の価値を高めろって俺は常々言ってきた。あいつは高級娼婦をめざすと決めた。あいつの処女にはハッタリ込みで大銀貨2枚はねばれる。ここでたかが好きな男に抱かれてえって理由で試しだの確認だの言い出すなんてな、覚悟が足んねーんだ」
「うん」
ササヅキは一貫してる。はじめからずっと。
「レジーディアンがいなくなってさみしい?」
「そりゃな、あれだけ別嬪に好かれりゃな」
「そっかー」
レジーディアンはお嬢様だったけど、一所懸命あたしたちの心配してくれたし、勝手が違うのにもたついてたけどすごくがんばってた。倒れてベッドで看病したときも、消えちゃうんじゃないかってくらい儚げだったのに笑ってくれた。
「なにがよくて20も上の男にって思うが、あれだ、あんま『男』を見たことなかったんだろうなあ。3度目がないことを祈ってるよ」
「ササヅキはさんじゅーご」
「それがどうした」
「ううん。3度目って?」
「クズに引っかかるのがさ」
「ササヅキはクズなの」
「どうだかな。満足したか、もう冷たくなってきてるぞ」
ササヅキにくっついてるところは温かかったけど、耳とか確かにきーんとしてる。
「うん。寝るね。ササヅキも部屋に戻んなきゃダメだよ」
「このまま連れて行ってやるよ」
あたしを娼館側から3階へ運び、ササヅキは中2階に降りていった。
ごめんササヅキ、もっとおじいちゃんだと思ってた。
そのササヅキが、めでたく36歳になった。夏生まれなのか。
初月の初日にハルタとノイルとミトラの分をちょっとだけ豪華にした―――お肉を増やした―――賄いでお祝いしてる最中に発覚した。うん、まあ、あたしたちからなんかするようなものはササヅキは口を曲げて「いらない」って言うの、わかってるけどさ。あまりにいつも通り過ぎてなんかむっとする。
マルケランカに着いてから、ササヅキは毎朝裏庭で剣を振るっている。雨だろうが誕生季初日だろうがお構いなしで訓練している。訓練というより、儀式のようだ。
鎧は着たり着なかったり。初めて見たのはまだ娼館で寝泊まりしていた頃。
娼館はお湯をたくさん使うので、朝の水汲みは下働き全員でとりかかる。井戸の水汲み自体は見たことのない道具が取り付けられていてとても楽だけど、運ぶ大変さはおんなじだ。運びながら、薄く差す光に剣がきらめくのを見るのが好き。
マーナはあの晩血塗れた剣を拭うところを見たそうで人殺しの道具だからと嫌ったけど、くるくると光が流れる様はあたしはきれいだと思う。一度持たせてもらったけど、剣はとても重い。あんなものを構えて回して突いてと一切休憩なく片手で―――たまに両手で―――ずっと振り回してるってどんな筋肉してるんだろうって感心した。
それからずっと続いている。こっちに移ってきても続いているので、暇だからということではないみたい。習慣なんだろう。ここにくる途中では見た憶えがないけれど、朝の仕込みの前に必ず欠かさず舞う。
そんなに剣が好きなら、なんで軍人辞めたんだろう?
中月の初めの
「いらっしゃいませヨークンド様」
「ヨークンド? どうした」
ササヅキの合図で調理場近くの席に着いたヨークンド様に冷水で割ったワインを出す。なぜかミトラに任された。
「よく冷えてる」
飲み干して、コップにお代わりを注ぐ。
「
領主様の屋敷の敷地内に騎士用の駐屯所がある。そこのことだろう。
他に用事を言いつけられないか待っていたら、くるりと頭を撫でられた。
「言葉がよくなったね。セリだっけ」
「はい、一部の富豪の方や大きな商隊の旦那さまもいらっしゃるので、服装を見て変えるように教わりました」
「私のこの格好じゃ平民に見えない?」
「ヨークンド様は良家の若旦那様みたいに見えますが、ヨークンド様だって知っていますので……」
「そうだよね」
でもたった半年でずいぶんよくなったと褒められた。注文を取って裏に戻るとミトラが小声で「よくあんな人と喋るね!?」と詰め寄ってきたが、以前の来訪時にロビーで一方的な対面しただけのみんなと違ってあたしはササヅキの部屋で個人的に話している。しかもご指摘通り敬語もアレな田舎の子のまま。あの時点で手打ちになってないので今更恐いもなにもない。しかも石筆と石板と計算機もらっちゃったし。
あたしと入れ替わりにササヅキが配膳に行った。
「それで飯だけ来たのか」
「いや? ササヅキが空くのを待ってるよ」
「しばらくかかるぞ」
「お前の部屋で酒でもやってるさ」
ササヅキが微妙に眉を寄せたあと、あたしを呼んだ。自分の手が空いてないのであたしにヨークンド様の相手を務めさせるためだ。ぎょえー。言葉がよくなったって言っても、いっぱい喋ったらボロが出るよー。横に立ったら「そこ座りなよ」と向かいを指される。正直さすがに不敬ではと思ったのだけれど、当の貴族の命令じゃしょうがない。座って整った顔を正面から見上げた。
「なにか聞きたいことあるかな」
にこりと笑うけど、それってササヅキのこと以外ない質問じゃ。
「ヨークンド様は貴族なのになぜササヅキとな……と……同僚みたいなお付き合いなんですか」
仲間も友達も敬語表現がわからなかった結果の言葉探しだったけど、ヨークンド様は吃ったところもわかったようだ。
「私は第一部隊所属で、近衛兵隊だ。ササヅキは第二だから同僚なのは間違ってない。ただ、私は王立学校入学時から殿下付だったし、殿下がササヅキを拾ったのは戦場に出てからだから、本来は私が上だよ。ただし、ササヅキは退官前は隊長だったし私は立場上副官でも参謀でもなかったからね。現場ではササヅキのほうが上だ。
ただ、そういった立場の関係性よりも、殿下がササヅキの口を許したのが大きいね。全体会議ではうまいこと隠していたが、普段の打合せは第一も第二も殿下への直言と多少の言葉の乱れはかまわないと、ざっくばらんな意見を好む殿下が指示したのだ。あの場での付き合いがそのままプライベートにも残っている。むしろ公式な場でのササヅキの猫の被りっぷりは素晴らしいよ。もう見る機会がないのが惜しまれるな」
くすくすと笑ってハンカチで口を拭う。飲物を新しくしようと立ち上がったあたしに「次は割らなくていい」と告げる。あそうか、お金持ちは水で薄める必要ないんだ。通りすがりにササヅキに「あんまりへんなこと聞くなよ」と釘を刺されたけれど、基本的に黙って聞いてるだけのあたしにどうしろと。
戻ると注いだワインを一口だけ舐め、続きが始まった。
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