第7話 セリ2-2

 ササヅキの「引退後は飯屋をやりたい」という夢を、増長させたのは王子のミスだった。始めはみんな、よくあるたわいない夢想だと聞き流していたのだ。戦地にあればみな口にする、仮想。そして戦いが収束すれば結局次の戦いを求めるのが常だった。戦いに憑かれた者の、業。


 だから、あれだけの腕を持つ男が戦うことをあっさりと手放すなんて、誰も予想していなかった。傷病者名簿記載を盾に退役を迫り、実はすでに手筈を整えていていつでも故郷に戻れる算段を取り付けていたとは。


 王子は認めた。けしてササヅキの怪我は狙ったものではなかった。ふたりだけで―――小姓すらも人払いして―――半刻ほど話し合ったあと王子は『捨て駒を本当に捨てる羽目になった』と笑って出てきた。特別部隊は傭兵と組んで斥候や攪乱など、肩書きは仰々しくても軍の中では異質な存在だ。立場を気にする貴族からは平民がそういった特殊な功績で叙勲を受けるなど認めたくない事象であり、ササヅキもわかって飲み込んでいた。


(都合よく使いすぎたというわけだ)


「わかんねえんだよ。荷車と焚き火が見えたから混ぜてもらおうかと近づいたら様子がおかしくて、ちょっと離れたとこにいた見張りに声かけたら向こうから襲われてな」


 ササヅキの言葉に我に返る。もはやこの男を惜しんでもしょうがない。


「お前、国軍の鎧着てなかったか?」

「それだよ、たぶんなー、勘違いされたんだろなー」

「いやそれ当然だから。どこの引退兵が『この鎧欲しいんだけど』なんて詰め所で頼むんだよ。国費の備品だぞ」

「いやあ、こいつも付き合い長いし、帰り旅も不用心だしな」

「ササヅキは妙なとこでケチ臭いというか安上がりというか。自前の鎧も持ってたろうが」

「あんな式典でしか着ない綺羅綺羅しい鎧なんか着て帰ってどうすんだよ。ギリャンにやったよ。どうせ式典用だ、叩いて伸ばしてペラったってわかりゃしねえよ」

「あれササヅキのか……」


 道理で用意が早かったわけだ。第二隊長の鎧がこのまま引き継ぎ式になったらどうしてくれようとササヅキを睨む。


「じゃあせめて、馬くらい連れて帰ればよかったのに。なんでまた徒歩で」


「あいつは戦馬だ。かわいい奴だったがのんびり余生を貪るにはまだ若い。性の合う奴に譲ったほうがあいつのためになる。それに旅のためだけに新しい馬なんて買うだけ無駄だろ。荷物もたいしてなかったし。


 とにかくそんなで敵認定してな、始めに個別で潰して後は流れだ。女ばっかりなのはレジーディアン除いてアルテガの紡績工場に勤める予定だったからだ。寒村でスカウトされて、売られてきた中で更に分けられたようだぞ」


「お前が正義の味方よろしく叩きのめしたのはスカウトの中でも《石の子供》専用人身売買チームだったってことだな」

「ああ。その辺は殿下にはもう伝わってんだろ」

「そうだ。俺はただの確認だ。念のため《石》を確認したい。くそ、ティルンガの研究書が欲しいな。あんなものは眉唾だと思っていたぞ」

「あー、チビ共はいいが、レジーディアンは諦めろ」

「何故だ」


 片頬を曲げたササヅキが胸元のボタンをふたつ開け、指をかける。


谷間を覗き込めよLook, “downblouse”!


「……」

「解散しちまったが、もう一度呼ぶか」

「いや、いい。俺は紳士だ」

「はっは。ちなみにホーリも3つ目はケツの上、尾骨ンとこだ。まあ泣かれるな。《石》の色とサイズ、場所のリストは書いてやるから諦めろ」

「そうだな、平民で年端も行かない子供とはいえ、レディは丁重に扱うべきだな。王都から医師を派遣しよう。場合によっては医務局に専用部門を立ち上げる必要があるかもな」

「あの国の真似でもする気か?」

「なにがしかの確証が得られればな」

「そんなもんあんのかねえ……」


 ヨークンドも正直なところなにか出るとは思っていない。ササヅキの面倒がより面倒だったら主が喜ぶだろうな程度の念押しだ。


          *


 モヤモヤして、ササヅキが根城にしてる隣の空き家を訪れると、1階のがらんとした部屋に先ほどの外套の人と一緒にいた。


「あ、お客さん、まだいたんだ。じゃあいい」

「なんだ、気にすんな。なんの用だ?」

「ええと」


 ここじゃ寒いからと中2階のササヅキの部屋に移動し、置いてあった木箱に座った。テーブルにはイスが2客しかなかったのでどう考えてもあたしはテーブル向きじゃない。


「ササヅキ、さっき言ってた見舞金っていくら?」

 あたしの質問に「おおよそひとり中銀貨2枚、差引で小銀貨1枚は残るな」と返ってくる。


 溜め息が出た。銀貨なんて見たことも触ったこともない。だけど、既に大銅貨190枚分も返済があるのに驚かされた。でも確かに、家にいたころよりいいご飯といい服、いい寝床で、慣れない労働とはいえ教会に行く時間も勉強の時間も確保されて、2日にいっぺんはお湯で入浴できる(これは娼館だからだけど)。


 最低限のラインが高すぎて、溜め息も出るというものだ。村にいた頃のように、空腹を森の実りで足すことはできず、ここではすべて買わないと手に入らない。


 ということは。

 じゃあやっぱりササヅキの貸し付けはとんでもない額なんじゃあ。

 レジーディアンはともかく、みんなまだ給金が出るほど働いていない。


 青ざめつっかえながらこの推測をなんとか説明すると、外套の人がニヤニヤ笑う。

「おいササヅキ、こんなチビに懐の心配されてるぞ、甲斐性ないな」

「待てヨークンド、誤解を重ねるな、おいセリ、俺の金を心配してんのか? 足りなくならねえかって?」

「う、うん」


 ヨークンドが途端にイスから転げ落ちた。びっくりしたけどお腹を抱えてブルブルしてるので笑ってるらしい。ササヅキは唸りながら頭を掻いて、あたしの前に膝立ちした。


「あのなセリ、そんなジリ貧なわけなえだろ。自分が苦労してまでお前らに施そうなんてキリア信徒でもあるまいし、奉仕なんかしねえ。金はあったんだ。


 あのな、少し貯めてたって言っただろ、俺はここで食堂を開こうと思ってたんだ。

 この建物は娼館の付属じゃない、俺のものだ。

 従軍中からちょこちょこ姉貴を通じて依頼しててな、準備してたんだ。晴れて退役して故郷で開業、と思った矢先にお前ら拾って、店の準備金を一時そっちに回してたんだ。


 思ってたより聞き分けがいいし、さっくり働き出したし、姉貴には感謝されるし、悪いこたねえよ。今回は前の上司がその辺汲んで公庫じゃなく私財も足してくれたから、経費以外にも回せたんだよ」


「そんなお金持ちの人がいるの」


 びっくりすると床のヨークンドが足をバタバタさせた。そのヨークンドはササヅキが止める前に「第五王子だよ、メチャクチャお金持ちだよ!」と悲鳴混じりに叫んだ。


「ダイゴオウジって、王子? この国の?」

「そうそう」

「……ササヅキは王子様が上司なの?」

「元な」

「でんかって王子のこと?」

「そうだ」

「なんなの君らの会話! ササヅキ、何を濁したいのか知らないけど、言うしかないぞ。チビちゃん、この人は元第五王子直属特別部隊第二隊隊長だよ」


 やたらと長い肩書きの、最初と最後だけなんとか拾う。第五王子のなんかの隊長。


「……えええ」


 そんなえらい人があんなてきとうな装備で1人でうろうろしてるものなの?

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