第6話 セリ2-1

 マルケランカは王都から駅馬車で3日、一番近い交易都市だ。通りは広く、一番大きい門から真っ直ぐ領主様のお屋敷に続いている。何本もの大通りが東西と南北を交差して、間をまた細い通りが繋いでいて、いくつかの道毎に貴族の住居や商業地区や工業地区に分かれていた。


 あたしたちのいるところは花街はなまちと呼ばれるエリアで、ネーヴァンジュの娼館は商業地区に近く大きな通りからすぐ。このあたりは娼館と普通のお店が混じってて、1本奥に行くと完全に夜の街になる。

 昼間はぱっと見ただの裏通りなのだけど、夜になると煌々と街灯が灯り、更に奥にいけばあたしと同い年くらいの女の子が薄いドレスで客引きしているようなところ。



 ネーヴァンジュからは、村で売られる少女の行き先としてはよくあると説明された。この街は周辺の貧民層―――あの厚い塀の外に、中には住めない、権利のない人たちが生活してるんだそうだ―――からの身売りがあるから農村部からの買い取りは少ないけど、もう少し田舎なら娼館のほとんどがそういう娘だろうと。騙されて連れてこられるケースも多いと。


 あたしたちの両親は、信じていただろうか。さすがに信じたい。ササヅキの話では女工は本物の話だったから、そのつもりで出したはずだ。……お腹が重くなる気分だ。


「ウチはね、騙されたって泣く娘は採らないの。卑屈が出るからね。最初からでも途中からでも、覚悟を決めた娘だけ」


 これは祖父の代からの家訓なの、とネーヴァンジュは全員を撫でて微笑んだ。

「事情はそれぞれだけど、ウチの娘はみんな仲がいいから安心して勤めてね」


 ……個人的には最後の手段にしたい。

 他の子たちもあたしと同じで、もともと貧しさから売られたから戻るのは諦めてた。


 食い扶持を探さなくちゃ。俺が身請人になってやるから仕事をみつけてこいっていうのは「俺は探さない」ってことだよね。このままぼんやりしてたら借金ばかりが膨らんで望むと望まざると娼館勤めだ。



 ニンスとエッダは早々に姫見習いに手を挙げ、専用の2人部屋に移った。特にニンスは、違法でもいいからさっさと姫にしてくれないかとネーヴァンジュに願い出て困らせていた。ここは公的許可の下りてる店で、未成年者を働かせるわけにはいかないのと諫められて引き下がっていたけど、あの調子では突然非合法店に移ってしまうかもしれない。

 そうなると現在『所有者』のササヅキが罪に問われるのは確かで、こっそりみんなでお願いした。なにしろあたしたちは全員がササヅキの所有物だ。あの人になにかあったらあたしたちまで及ぶかもしれない。一応納得してくれたので胸を撫で下ろした。


 後月からニンスを除く12歳以下はみんなで教会に通い始めた。それまでにササヅキから街の歩き方とルールをレクチャーされていたけれど、あたし達だけで街に出るのは初めてで、緊張しながら教会へ赴き、初めて見る石筆と石板と計算機に首を捻り、消耗しきって帰宅した。





 娼館の下働きは家でやっていたことをもっとみっちり丁寧にするカンジで、要するに何倍も綺麗にしなくちゃいけなかった。洗うシーツは多いし部屋は何部屋もあるし、縫い物は多いし磨くものも多いし、今まで家で「これだけできれば上出来」だったのが、ここでは「最低限にも届かない」。呆れられて怒られて、正直泣きそう。


 それでも慣れてくれば、ソリダナたちや厨房のエンディアも及第点をくれるようになった。外に出るようになって、ネーヴァンジュの館は上等な方だから求められるレベルも高い、花街の奥には実はもっと乱雑な地域もあるってわかったけれど、ササヅキの『技術がお前の価値を上げる』がよぎる。親兄弟がいない、縁故のない街で頼りになるのは自分だけなんだ。教会でよその子に会うたび、その子たちがだいたい親の後を継ぐと知って青ざめたのはあたしだけじゃない。みんな、必死だった。




 月の中頃、ササヅキに立派な馬に乗った客が来た。上等な外套に護衛が3人。この街自体があたしたちには場違いなほど立派なのに、更にすごいのが来たのでみんなで隠れた。それなのにササヅキに引っぱり出されて娼館のロビーに並ばされた。


「こんなとこで悪いな。ヨークンド! お前がわざわざ来たのか!」

「面白いのが面白いのを引っ掛けたなと殿下がことのほかお喜びでな、お前の困り顔を見てこいと仰せられて……」


 ヨークンドと呼ばれた男の人は、ササヅキより若そうで、たぶん、あれ、なんて言うんだっけ、男の美人。


「で、これが子供か。いきなり10人の子持ちとはなあ。あとは嫁さんだが、これ見たら逃げ出すな。うん。はは。あーっはっはっは! 殿下に! ご覧に入れたい! なんだこの幼ハレム!」


 その整った顔を一瞬で真っ赤にしてゲラゲラ笑い始めた。


「テメェ殺すぞ! なにがハレムだこんなガキ共。いいんだよ俺ァ嫁なんてな。性に合わねえんだよ。それよりどうなんだ」

「残念ながら大掛かりな組織では無さそうだ。しかし1本は線が引けそうだよ。ただの拐かしなら放っておくが、《石の子供》をティルンガに送るんじゃあ国益にかかわるからな。特別報奨金が出た」

「よっしゃでかした!」

「ついでに殿下から激励金だ。『余のためにタダ働きとは素晴らしい転職だ。見上げた忠誠心だなササヅキ。まあこちらもタダとは云わぬ。これからも励めよ』とのお言葉」

「殿下のためじゃねえっつの。まあありがたくいただきますわ。これで内装に手がつけられる。予定より遅れたが、新年には間に合わせるぞ。完成したら招待するからお忍びでもなんでも来りゃいいさとお伝えしてくれ。よろこべお前ら、お偉いさんが見舞金だしたぞ。今まで分賄ってつりも出る。たまには欲しいモンくらい買えるぞ」


 みんな一瞬戸惑って、それから歓声を上げた。


 街ではみんな小綺麗で、裏方仕事でも着た切り雀ではいけなくて、表の仕事ではお仕着せが配給されることもあったけど入浴や洗髪や、気をつけなきゃいけない習慣がいっぱいあった。なにかしようとするたび何かを買わなくちゃいけなくて、ササヅキへの借金は増えるばかりだったのだ。


 もう散っていいぞと手を振られてあたしたちは退散した。あんな立派な身形のひとと、友達みたいに喋るササヅキって実はすごいんだろうか。急にドキドキしてきた。


 あたしたち、いくら借りてるんだろう。もしかして、大金?


          *


 ササヅキが眉尻を下げ、向かいから身を乗り出しヨークンドの肩を叩いた。


「殿下にマジ感謝と伝えてくれ。領住権が購えたのはでかい」

「お前の退職金で賄えるだろ」

「あいつらの借金が減る」

「……なに?」


 ササヅキが不可解なことを言い出したのでヨークンドは首を捻った。借金とはなんだ。この口ぶりではこの男が少女たちに貸し付けているとしか聞こえない。


「さすがに何十年も返済させ続けるのは酷だったからな、助かった」


 間違っていないらしい。


「ここまで連れてきたんだから出してやれよ、大した額じゃないだろ」

「やなこった。俺はもう隊長じゃねえ。他人の命なんざ抱えてられっか」


 2秒ほど目を閉じて、話題を変えた。突っ込むのも面倒くさい。

「報告書は読んだ。追加分もな。詳しい経緯を始めから話せ。そもそもなんであんなところにいた? 帰路は王都の筈だろ」


 2杯目の湯気が昇るワインを呷り、ヨークンドはササヅキを促した。


「東回りにしたのは商談があったからだ。以前行ったカンテ、覚えてるか。あの辺でしか流通してないんだがちょっと特徴的な調味料があってな、こっちの料理に合わせたら面白そうなんだよ」


「あー思いだしたぞ、野営でお前が作ってた料理か。やたら辛くて黒い」


「あれは量が悪かったんだ。教わったとおりに使ったからな。とにかくカンテで当面の分を仕入れて、半年ごとに送ってもらう契約をしてきた。他にも旨い青物があるんだが、そっちは距離的に輸送に耐えられん。かといって塩漬けにしちゃせっかくの風味が飛んじまう。なんとかこっちで栽培の算段をつけたくてな、種だけこっそり手に入れたり」


「ササヅキは昔っから喰い汚なかったな……」

「それで旨いモン喰ってきただろーが」


 一兵士だった頃は支給の粗飯が出たが、第五王子直属部隊に配属された頃からササヅキは野営の度に「飯が支給されないならせめて旨いモンが喰いたい」と言いだし、火が熾せない時以外は率先して飯当番をかってでた。大抵は少人数での任務が主だったので、待機中に飯の種と称してその辺の野草やら兎やらを狩ってくるのもみな黙認した。誰だって飯は旨い方がいい。そのうち王子にも知れてしまい、副隊長になった頃は上官用の食事はササヅキの専業になった。


 王子付きのヨークンドも相伴に預かった身なのでササヅキに文句は言えない。そしてまれに、派遣先の新しい味を試して失敗し会議を沈黙させても懲罰は免除された。なにしろ本来専用料理人がついている立場なのだ、王子は。それを差し置いてササヅキに料理をさせてる時点で規律もなにもなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る