第4話 レジーディアン1-1

 レジーディアンは自分が本当に攫われると思っていなかった。

 富豪の娘ではあるのでその危険は教えられていたけれど、敷地内の散歩には護衛が付き、外出は馬車の中でカーテン越しに外を覗くだけ。安全圏から飛び出してみたいという欲求は10代にあがる頃には薄れたし、婚約者のいる身で同伴なく夜会に出ることもない。


 だから日中に屋敷のすぐ近くで荷物のように運ばれるとは想像もつかなかった。


 幌で覆われた馬車の中には異臭のする木箱が積み上げられ、自分はその横に麻袋に入れられて運ばれているのだと、途中で休憩に連れ出された森の中で理解した。荷馬車に戻され、再度袋詰めにされたときには、気のせいだと思っていたすすり泣きが木箱から聞こえたものだともわかった。


 自分はどうなるのだろう。


 最初に気を失っている間に服は粗末なワンピースになっており、下着も下穿きが1枚だけ。唇は針で留められたように動かず、擦れて痛い。結っていた髪ももちろんバラバラで、レジーディアンであることの証明は髪と瞳の色くらいになっていた。


(あとは《石》くらい)


 髪の生え際にある小さな黒石と、鎖骨近くにある黄石おうせき。鳩尾の桃石とうせき、そして右足首内側の碧石へきせき。レジーディアンの両親は》の娘を誇り大事にしていたし、婚約者にせがまれ、両親に内緒でこっそり靴下を脱いで碧石に触れさせたこともある。だからこんな格好でも両親や婚約者は見つけてくれるだろう。服が変わったことには血が引いたが、教わったような喪失の刺激はなく、何かをされた気配はなかった。とはいえ、男の声しかしないということは裸体を晒した相手であるということで、泣きたいを超えて忘れたい事実だった。


 しかしあまりに馬車は走り続けている。身代金が払われても戻れないほど遠くなのでは、とレジーディアンは何度も不安に襲われた。水の補給の他は唇の隙間からねじ込まれる飴玉のみの数日がたち、そして今日、襲撃を受けた。



 と言っても複数ではなかった。たったひとり、4、5人はいたはずの誘拐犯と剣戟を交えた男が着用している鎧は図版で見たことのあるこの国の兵士の標準装備で、軍属の印が消されていた。


 もしや実家からの助けではと期待したレジーディアンの願いは早々に砕かれた。麻袋から救出されたレジーディアンに驚き、拘束するロープを切りながら「誘拐事件か?」と首を捻ったからだ。レジーディアンが自由になった身体で木にもたれていると、荷台の木箱を次々と壊して中の人間を連れ出した。箱が小さいとは思っていたが、中から出てきたのは子供ばかりだった。しかも自分よりはるかに衰弱している。汚物に塗れてヨロヨロと座り込む姿に嫌悪と共感と憐憫が湧く。


 一刻も早く助けを呼んで欲しい。

 しかしその男は次の村まで自力で歩くようにと言い出した。


 歩けるわけがない。ここで待っているので迎えを寄越して欲しいと小石で地面に書くと「お前バカだろ」と人生で初めてバカにされた。たしかに自分が聡明だとは思わないが、見ず知らずのたかが軍人に面と向かって馬鹿にされる謂われもない。助けてもらったようだけれど、失礼な人だ。そうは思ったものの、無礼な男性に送る冷たい目線と扇で口許を隠しドレスを翻す動作メッセージは道具も衣装もないここではできなかったし、平手打ちするにはあまりにも疲れていた。


「よっしお前リーダーな」


 リーダーなんて意味が分からない。けれど、この貧しそうな娘たちに慈悲をかけるのは自分の義務でもあろう。このとんでもない男はとりあえず嘘をつく気も見殺しにする気もないらしい。いったん落ち着くまでは指示に従うしかないのだろう。





 もしや自分は足手まといなのではなかろうか。レジーディアンが薄々、気がつきたくなかった事実に目を背けていられなくなったのは四半刻が過ぎた頃だった。自分の足で長時間歩くなんて初めてだったのだ。膝が笑い、布を巻いた足の裏がビリビリする。下の者がいたわる空気を何となく感じ、併せて同情を感じ。休憩で用を足すときも交代で付き添ってくる。みなを庇護するのは自分だという意気込みは容易く折れた。


 空腹と疲労で朦朧としたままロープの最後を握り続け、早朝の小さな村に着いた。ササヅキはなにやら自分の手荷物から封書を広げ、胸元から光るものを取り出した。メダルのように見える。しかしそこからは別行動になり、今まで受けたことのない乱暴な入浴を強いられた。


(川なんて)


 驚きと冷たさで凍りつくレジーディアンに気づかない村民はがさつに、しかし同情は込めて痛むほど全身を擦っていき、あたたかい湯船に浸かった後は乾いた服と濡れた髪を包むタオルをくれた。


(自分で拭けということなのね)


 見習いメイドでも遙かにましという手際だったがレジーディアンは御礼を言った。貧しい者の好意は時々見当違いだが、馬鹿にしてはいけないと教わってきたからだ。

 一同を集めてのササヅキの説明は予想外のものだった。《石》は、特にレジーディアンのような《よつ石》になると珍しく、縁起物として喜ばれるが、自分に特別な力があると感じたことは一度もない。眉唾ではと思うのだけど、軍部に早馬を出したとササヅキは言う。


 ただの身の代金目的ではないのか。

 不意に寒気があがって泣きたくなった。しかし自分より幼い少女たちが泣かずに―――泣いている子もいるが―――聞いているのだ、我慢しなければ。貴族はいついかなる時でも取り乱したりしてはいけないのだ。侮られてはいけない。優雅に余裕を見せるのだ。たとえみすぼらしい綿の着流しでも。


 それにしてもササヅキの物言いはかちんと来る。こちらを貴族と認識した上で所有物なんてまるで物扱いではないか。誘拐犯たちと変わらない。たしかに本当は貴族でなく辺境の郷司―――治地はさほど大きくないがそれでも地域では一等豊かだ―――だが、平民だろう彼からは一切敬意を感じない。


 挙げ句の果てに、幼い娘たちに借金を負わせて仕事を斡旋し上前を跳ねる。非道い話だ。傷ついた子供たちを守ろうという騎士道精神はないのか。軍属だったというのに。


(ならばわたくしがこの子たちを守らなくては。幼い者、弱い者を守るのは上流界層の務め)


 他の少女達が寝床に潜り込む頃、レジーディアンは痛む足を引きずらないように、できるだけ優雅にササヅキの後をついていった。村長との打ち合わせでは時折確認で把握していることを述べるよう促されたが喋ると唇が痛む。押さえながら喋る。書記が書類を作成する頃には頭も身体も蹌踉としていた。帰り道でよろけてしまい、ササヅキに支えられるがつい払ってしまった。


(あっ)


 思慮ある娘の所作ではない。謝らねばと口を開く、前に「おっと悪い、知らん男が触るのはルール違反だな。すまんねお嬢様」とササヅキから謝ってきた。余計に癇に障った。


「いいえ、わたくしがつまずいたのですから」

「では私がエスコートしても?」


 なぜかササヅキは口調をあらためて左肘を出してきた。


(エスコートなんて兵士が習うかしら)


 疑問ではあったが、足が限界なのは確かだ。右手を添えると案外しっかりとホールドされ、宿までは転ぶことなく戻れた。

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