第2話 ウィリアムの過去


勇者――名をウィリアムと言うそうだ。

ウィリアムはヒトの国の首都である王都から遠く離れた辺境の村で生まれた。

豊かとは言いがたい村だが飢えることなく村人同士お互いに助け合い、支えながら生活をしていた。

森や草原で狩りをしながら生計を立てる父と、父が狩った獲物の毛皮や骨を加工する母の元に生まれ、少し年の離れた妹と共に両親の手伝いをしながら育った。

父からは狩りを教え込まれ、熊など大物は難しいものの子供の頃から大人に負けないぐらいの腕を磨いていた。

妹のシェゼルは手先の器用さを活かし、母の鞣した獣の皮を使った製品作りを手伝っており、少し離れた町での行商ではなかなかの売れ行きだった。

ウィリアムの十四歳の誕生日にはシェゼルが皮を加工したハンティングナイフの鞘を作って贈ってくれた。その鞘はウィリアムの宝物になった。ケンカはするものの数日もすれば元のように遊ぶウィリアムとシェゼルは村で一番仲のよい兄妹であった。

ウィリアム達はいつまでもそんな家族四人で過ごす幸せな日々が続くものと信じて疑わなかった。

その日は運悪くウィリアムが風邪を引いており、小雨の降る森への狩りは父一人で行くことになった。

母はわざわざ雨の中狩らなくても良いのではないかと反対したが、ウィリアムの英気付けにウサギの一、二匹でも獲れたらすぐ帰ると笑って家を出た父は、雨脚が強まり夜になっても帰ってくることはなかった。父の帰りを夜遅くまでロウソクの明かりを灯し、泣きながら待つ母の背中が熱で朦朧とするウィリアムの記憶に焼き付いていた。

翌日ウィリアム達家族の事情を聞いた村人が森を捜索したところ、深い崖の底で瓦礫と共に横たわる父の遺体が見つかった。父の手には切り立った崖にしか生えない滋養強壮に使う薬草がしっかりと握られていた。おそらくこの薬草を偶然見付け、体調を崩している息子の為に崖を進み、そして雨で脆くなっていた足場から足を滑らせてしまったのだろう。

その日からウィリアムは自分のせいで父を亡くしたと思い消沈した。母はあのときもっと強く狩りへ行くのを止めればよかったのだと己を責めた。重い空気が広がる家の中でシェゼルは二人を励まし、その頃以降から辛いことがあっても人前で泣くことはなくなった。

父の滑落事故からひと月ほど経ち、ウィリアムは元の生活へ意識を切り替えた。嘆いていても父が死んだことに変わりは無いのだから親子三人で支え合い、自分が父の代わりに家を守らなければならないと考えを改めたのだ。まだ父のように大物をあっという間に仕留めることは出来ないものの森へ入り動物を狩り、解体した肉を売り、皮や骨、角などを母とシェゼルが加工する。妹は加工の腕を一層上げた。

不器用ながらもまた笑い合える日常が戻り始めると思えたときだった。

今度は母が病で倒れた。父を亡くしてから無理をして働いていたのだろう、身体のあちこちは病に冒されボロボロになっており、病が判明した時点で既にもう手遅れだった。

徐々に死へ向かう母は残された時間でウィリアムとシェゼルが二人でも生きていけるよう知識や技能を余すこと無く伝えた。

父親と違い時間をかけて心積もりできたのが功を奏したのか、二人は少し早い親離れだと思いなさい、と微笑みながら息を引き取った母の想いを汲んだ。

立て続けに両親を亡くした二人を不憫に思い、村人達はウィリアム達をとても心に懸けてくれた。

何か困っていることはないか、出来ることはないか、と自分の家族のように接してくれた。

そんな村人の協力もあり妹と二人でも慎ましやかに暮らすことができていた。

両親が死去したあとも明るく活発なシェゼルは兄の捕った獲物の加工だけでなく、村人の持つ畑仕事の手伝いをするなど、ウィリアムに限らず村中の心の励みだった。

ウィリアムの住んでいた近くの森には魔族や魔物が迷い込むことがあり、村の安全と村人達への恩返しができればとウィリアムはよく討伐をしていた。元々狩人だったこともあり、ウィリアムは魔物や魔族の討伐をする腕がめきめきと上達した。いつの間にか父のように熊を狩ることも出来ていた。

あるときシェゼルにやけに身体の不調が続く日々が起きた。もともとウィリアムよりも体が丈夫だったシェゼルは風邪ならばしばらく休めば治るだろうと思っていた。しかし症状は一向に快方しなかった。最初の内はうまく隠していたシェゼルであったが、違和感を感じたウィリアムにより身体の不調をあっけなく見破られてしまった。

病気で亡くした母のこともあったため、心配をしたウィリアムがよく行商へ行く町の医者に診せたところ緩やかに病気が進行するものの、全身に激痛を伴う難病だと判断された。その病を治すには、王都に住まう王族や上流階級にまつわる高位の医師しか治療する薬を手に入れることができないと言われた。薬を入手するのも困難なうえ、その薬を使い治療をしても命を落とす可能性のある病なのだと。

必ず治るとは限らないとはいえ、ウィリアムとシェゼルはその可能性に賭けて持ちうる限りの財産を手に王都へと向かうことを決めた。

母の時と違い助かる見込みがあると言う言葉に二人は顔を項垂れ下げることをしなかった。

なぜウィリアム達にばかり不幸が起きるのだと、二人の代わりに憤る村人達であったため、僅かばかりではあるが旅の資金を二人に渡し、生きて帰ってくるよう別れに涙した。

ちょうどウィリアム達が王都に到着したその頃、王都ではコロッセオという祭りを開催していた。コロッセオでは何百人もの腕に自慢がある者たちが戦い合い、勝ち進んだ優勝者には膨大な賞金が与えられるという祭りだ。

相手に参ったと言わせるか戦闘不能に陥らせるかが勝負の決め手であったが、ほとんどの参加者の場合は命に障る大怪我をして治療の甲斐無くそのまま命を落とすことが多かった。

ウィリアムは魔物の討伐をしていた圧倒的な腕で大きな怪我もせず対戦相手を次々と薙ぎ倒し、コロッセオで見事優勝を果たした。

王都では突如コロッセオに現れた無傷の王者と一躍時の人となり、その賞金はシェゼルの病気を国立病院で治療できる七割ほどの金額を獲得した。

圧倒的な力を持ち優勝者となったウィリアムは国王から直々にその功績を褒め称えられ、妹の治療費を援助する旨と人の世の平安を破壊する魔族の討伐の依頼を受けた。

国王からの申し出をありがたく受け取り、討伐の依頼も受諾した。魔族の討伐をしながら治療薬の情報も集めようとウィリアムは算段していた。

シェゼルの病のこともあり薬が手に入るまでの間、王の厚意を受け国立病院に入院する何日か前の日のことだった。

上流階級のとある貴族がコロッセオの王者を讃えた宴を催したいとウィリアム達を館に招き入れた。

その宴ではウィリアム達が今までの人生で一度も口にしたことのない豪華な食事と、村で特別な日に飲んだ酒よりも高級なアルコールが振る舞われた。

楽団の奏でる心地よい音楽と食事に二人は酔いしれた。

宴もたけなわという時であった。ウィリアムは酩酊とはまた違う身体の感覚に首をかしげた。シェゼルに声をかけようとしたところ、自分の舌のろれつが回らないことに気付いた。それだけではない。己の手だというのに指先が震え膝が笑い、立つこともおぼつかない状態であった。

ウィリアムが口にした料理には痺れ薬を混入されていたのだ。どんなに身体を鍛えている人間でも毒を完全に防ぐことは出来ない。それはコロッセオの王者であっても同じだった。

ウィリアムは言うことをきかない身体を叱咤しながら近くのテーブルにすがりつき、宴を催した張本人である貴族に視線を向けた。

そこにはウィリアムから引き離され、気絶したシェゼルを拘束した貴族が高笑いを上げていた。

この宴は自分の名声を手に入れるためにウィリアムを利用するつもりで開催されたものだったのだ。シェゼルを人質にとり、一年間以内に魔王と魔族を殲滅する要求をしてきた。もし一年以内に魔王を倒せなかったときは、妹に治療の機会はないと脅した。

貴族に飛びかかろうとしても、足がもつれて立ち上がれないウィリアムは背後から押さえつけられ、後頭部を強く殴られたあと意識を手放した。

ずきずきとした痛みでまだ自由のきかない身体を覚醒させたウィリアムが目を開けると、いつの間にか宿へ戻っていたようで、見慣れた宿のベッドの上で横たわっていた。太陽は既に高く昇っており、窓から眩い日差しが差し込んでいる。

どうやって帰ってきたのか記憶にないが、タチの悪い夢を見たのだろうとウィリアムは壁に手をついてまだしびれの残る足を動かし一歩一歩扉へ近付き、となりの部屋に向かう。もし昨日のことが夢ならば王都にいる間は取ってあるとなりの部屋にシェゼルはいるはずだ。

悪い夢であってくれと願うウィリアムが扉を開けると、昨日まであったはずのシェゼルの荷物は忽然と消え去っておりガランとした宿屋の狭い空部屋に戻っていた。

扉にもたれかかり呆然とするウィリアムに宿屋の従業員が背後から声をかけた。

従業員いわく、昨日の夜に意識を失っていたウィリアムを宿に担いで運んだ人物がシェゼルの荷物を引き取って行ったのだという。名前を名乗ることはなかったが、主人がウィリアム達から頼まれていると主張して譲らなかったそうだ。見たところ着ている服など身なりもよく、貴族の下働きのようだった。その人物からウィリアムが目覚めたら主人から預かっている手紙を渡してくれと言伝されたそうだ。

宿の従業員から受け取った手紙をひらき、目を通したウィリアムは力なくその場に崩れ込んだ。

ウィリアムの元へ届けられた無記名の手紙には昨日の貴族とのやり取りを念を押すように記載されており、昨日の出来事が只の悪夢でなく現実であったことを示していた。

魔王や魔族の戦力が未知数の上、国王ですら指定しなかった現実的でない期間を設定されウィリアムは頭を抱えた。ウィリアムに死にに行けと言っているのと同じような内容だった。

しかし唯一残った愛しい家族を人質に取られ、ウィリアムは逆らうことなどできなかった。少しでも妹が生きられる可能性があるのならばと、文字通り死力を尽くした。

その後のウィリアムは各地で魔族や魔物を倒しながら自分を追い込み戦闘スキルを上げていった。

その中で治療薬の情報を求めて行った魔族の森に近い山奥に住む賢者から魔法の才能を見いだされた。剣術などの格闘術だけでも類を見ない技術を持っていたウィリアムだったが、扱える手段は多いに越したことはないと考え、その賢者の元で魔法の習練を行った。こうして世にも珍しい魔法剣士が生まれたのだ。ウィリアムは過去の勇者達のように仲間を募ることはなく、己一人で戦い続ける為に、さまざまな魔法の修行を行った。一つの魔法を習得するだけでも、血の滲む努力や年単位での修行が必要であったが、ウィリアムの鬼気迫る想いに賢者は応え、賢者の持ちうる知識を短期間で与えた。

賢者は魔法の知識だけでなく、これまでの王都に伝わる魔族の情報や、賢者が長年続けてきた魔物の研究、魔族の森に生える薬草の情報など、村で暮らしていた頃には聞くことすらなかった知識をウィリアムに授けた。だが万物を知っているように思えたその賢者でもウィリアムの探し求める治療薬が数百年前に一度万病を癒やす奇跡の薬として見つかったこと以外、くわしい情報を持たなかった。

魔法を習得したウィリアムは賢者の元を離れ、そのまま山脈沿いに魔族の地へと足を進めたのであった。

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