ウォルフラムの見た景色
鴨田とり
第1話 命をかけて
「魔王様、ここはお逃げください。」
暴虐な力を容赦なく振るう敵との距離を取りつつ、忠誠を誓った主に撤退を進言する。
小隊の仲間と共に敵を牽制しながら攻撃を与えるも相手の動きは止まらず、地面に伏せる仲間の死体だけが増えている。どう見ても我々の分が悪い。今まで倒してきた強力な魔物が明確な意思と知能を持って襲ってくるような恐怖で背筋が凍える。
敵の力を侮りすぎていた。ヒトが一人でこの人里から遠く離れた魔性の森を進んでくるのだからもっと警戒すればよかったのだ。魔物の気配もなく近くに澄んだ川もある慣れ親しんだこの野営に最適な開けた場所で設営の準備をすることに気を取られ、周囲の警戒を薄めていたのが仇になった。
長い間を掛けた計画の準備が整った事で気が緩んだことも最悪の結果になった一因だろう。
そうだ、計画が何より今は重要なのだ。その計画の要となる魔王様に生きてもらわねば。
「急いでください。」
副隊長が相手とつばぜり合いをして時間稼ぎをしているが、確実に押し負けておりそう長くは持たないだろう。
王は踏ん切りがつかないのか逡巡している。後押しをするようにお任せください、と目で合図を送ると王は苦渋の表情で迷いながらも小さく頷いた。
「フラム、すまない。」
小さく謝罪の言葉を発する王は、私達この場に残る仲間が生きて再会することがない戦況を正しく判断している。王が謝る必要などなにもない。王の盾になり、剣になり、力になるのが私や、私の率いる隊の役目だ。ここで王が倒れてしまうことがあっては絶対にならない。せめて、計画が滞りなく実行された後、玉座で最後に残った唯一の魔族として王らしく最期を迎えていただかなければ。それがこの場に残る私達の共通の願いだ。
後方の小川のある方位に下がった王から大きく翼を広げる音がした。私は幼い頃に初めて見た大空に広がる王の翼を胸に思い出す。
空を覆い隠す夜闇のような漆黒。その雄大な姿に圧倒され憧れたものだ。そんな憧れの方に自分の力を認められた時は歓喜に震えた。時折、何も言わず微笑みながら頭を撫でられた時は面映ゆくも光栄だった。
もう二度とその力強い羽ばたきを何処までも高く、蒼く輝く空で目に映すことはできないだろう。あの暖かな手は私に触れることはない。その確信めいた予想は高い確率で事実になる。
だからといって振り向くことは出来ない。最期に見た王は私をただ一人の魔族として心配する姿だった。その想いに応えるのだ。
第二の親と思えるほどに目をかけていただいた。それだけで十分だ。この王に仕えられてよかった。
「どうか、ご無事で。」
飛び立って、遠く小さくなっていく王の気配に祈りにも似た気持ちを込める。
仲間の最期の一人である副隊長がうめき声を漏らし沈黙した。続いてどさりと重い肉が地面に崩れ落ちる音。このあとの時間稼ぎは私が引き継ごう。ご苦労だった。先に安らかに眠るが良い。
山間に沈み始めた太陽の日差しは、息絶えた仲間達の骸が合わさって辺り一面をより真っ赤に染め上げていた。
一対一で相見えた青年と私の間には場違いな虫の鳴き声と、小さく川のせせらぎが静かに辺りに響く。そんな穏やかな自然音とは対比的な、むせ返るくらい濃密な血液と仲間の肉の匂い。首筋を伝う汗を拭う行為すら致命的な隙になりうる緊張感だ。
「アンタが俺に勝てる見込みがない事ぐらい理解してんだろ。」
沈黙を破ったのは青年だった。たばこの煙を吐き出しながら青年は手にもった剣を振り下ろし、刃に着いた血糊を払う。
青年の近くに堆く積まれた仲間の死骸の服で刃を拭い、残っていた血液と脂を丹念に落とした。余裕綽々だな。
彼にとっては王を今倒すことも、あとで倒すことも同じ事だと見逃したのだろう。たった数分間でも向き合えばそれだけの実行力があると判断するには十分だ。だが、私の目的は敵を倒し勝利することではない。命を掛けて少しでも魔王様が斃されるまでの時間を稼ぐことだ。それが全ての民を救う方法なのだ。
愛刀である40センチほどの長さのダガーを、片方を逆手にもう片方を順手にしっかりと両手で握り直し腰を落として構え相手の隙を窺う。
この青年は先ほど確かに勇者と名乗った。もちろん私の眼前に無残にも切り捨てられている元仲間であった肉塊の山を築いたのも彼だ。
今まで我々に立ち向かってきた勇者達はヒトの世界を平和にするためという理由を掲げ、我々魔族を悪として屠ろうとしてきた。
その瞳は何も疑いを持たない子供のように、ただ純粋に彼らの行動は全て正義なのだと信じていた。
そんな盲信した力ある者に言葉は通じなかった。戦わなければ一方的に殺された。老若男女一人残さず惨殺された村もある。
残された遺族が復讐の炎に身を焦がし、過去の勇者を殺したこともある。しかし、我々がしたのは返り討ち、仇討ちのみだ。
過去やってきた勇者達が言うようなヒト族の生活圏を侵略したとこは我が主である魔王が王座に就いてからおよそ300年間、我々はヒト族の世界に対して行ってこなかった。
魔王様曰く、魔族の地を統治する上での諸問題がありそちらを解決する方がヒトの住む地を攻め入るよりも重要との考えからだ。
ただその間にもヒト族は勇者と呼ばれる者を何度も何人も送ってきていた。仲間と共に魔王軍と争うもの、魔物に襲われ命を落とすもの。ヒトと魔族、お互い大勢の命を散らした。
降りかかる火の粉を払うぐらいはする。我らとて己の命を簡単に差し出すことは無い。だが我らがしてきたのはそれだけだ。
ところが、過去に来ていた勇者と今対峙している彼はあまりに違う。これまでの勇者達が持っていた熱意が全く以て感じられない。数多の兵を切り伏せる間も、まるで手に何度もとまる蚊を叩き潰すように、ただ気怠げに剣を振るっていたのだ。その様子は何処かやりたくもない勉強をやらされている子供のように見えた。
「ヒトになんと言われようとも、私にも命をかけて守るべきものはある。」
抗戦して真っ先に王を狙った攻撃を庇い、背に受けた炎魔法は火が消えた今もジリジリと皮膚を焼き、両翼の付け根から肉の焦げる匂いを漂わせている。
ぐっと足の筋肉に力を込めて地面を駆ける。両腕を振るい、斬撃を何度もたたき込むが勇者の持つ剣でいなされてしまう。
ダガーを軽く振るうだけでも腕の筋肉から連動した背の肉が引き攣れて痛む。その痛みに奥歯を食いしばり耐えながら相手の死角へ蹴りを放つ。相手の身体を吹き飛ばす程の衝撃は足へ伝わってこず、がっちりと足首を掴まれた。相手は私の蹴りの勢いを活かしたまま、遠方へ投げ飛ばした。投げ飛ばされた身体を空中で反転させ、相手の追撃に備える。真上から振り下ろされた大剣を両手のダガーで受け止める。金属のこすれ合う悲鳴のような音が神経を逆なでる。そのまま力押しで私を斬ろうとしているものの、空中では踏ん張りがきかないお互いの力が弾けてしまうだけだった。
着地をした際に頭部と下半身に鋭い痛みが走る。何度か斬り合った際に、私の二つ名『片角のウォルフラム』の冠の由縁でもある左の魔角にヒビが入り、母に似た白銀色の髪と揃いの色をした長くしなやかであった尾も半分ほどに切られてしまった。
全身を蝕む痛みに脂汗が止まらない。少数精鋭の兵達をもってしても欠片もダメージを負っていない勇者に対して恐怖を覚える。近付けば手に持つ剣が牙をむき、距離を取れば強力な魔法攻撃を放ってくる。近距離戦と遠距離戦を駆使し、たった一人だというのに一小隊の戦力を壊滅へ追い込む総合戦闘力を備えていた。決して弱くない部下達でも皮膚の一枚すら傷つけることができない。ここまで強いヒトがいたなんて。
せめて一撃でも相手に攻撃を入れなければ王の左腕の名に障る。
「守るもの、ね。あっそ。」
眉の一つも動かさずにひときわ大きくたばこの煙を吸い込んだあと、彼は自分の作った魔族の血だまりにたばこを投げ捨てる。これから屠る相手の事など欠片も興味を持っていないのだろう。
火が消える低い音と、わずかに煙る血液の焦げた匂い。鼻につく不愉快な匂いに顔をしかめる。ぽたぽたとしたたる水音は私の冷や汗なのか、切り刻まれた身体から漏れる血液なのか確認することもできない。
たばこを止めたということは本気で相手をして貰えるようだ。武人として光栄に思う反面、先ほどまで手を抜いていたという事実にぞっとする。
だからといってここで引く事は出来ない。残り少ない魔力を自身の身体強化に使う。
「お前にだって背負う世界があるのだろう。だが、我に」
「ねぇよ。」
私の言葉を途中で遮り、勇者は短く否定する。
「何?」
今まで我々と敵対した勇者達は世界を守るのだと、我ら魔族を討伐し世界に平和を戻すのだと、そういっていたではないか。なのに守る世界などないだと?今までの勇者と目の前にいる勇者は大きく相違していた。
なぜそんな嫌悪感にあふれた表情で背負う世界などないと吐き捨てるように言うのだ。
「悪いけどね、俺世界のためにやってんじゃねーんだ。」
勇者は剣を片手から両手に握り直して中段の位置に緩やかに構えながら一瞬で元のやる気のない気怠げな表情に戻った。
会話をしつつも、少しでも勇者に隙が出来ないか両手のダガーを勇者に向けて左右からフェイントを混ぜながら数回打ち込むが、のらりくらりと躱され皮を切り裂く程度で避けられる。どんなに鋭く研いでいても自分の刃は敵に届かないようだ。力が及ばないとは正にこのことか。自分にかけている強化魔法もそう長くは続かない。
私の連撃をかいくぐり勇者の剣が左下段から素早いスピードで振り上げられるのを目の端で確認し、とっさに逆手で持ったダガーで受けようと構える。
しかし予想を上回る重撃を受け金属が砕ける鈍い音がして左手に持っていたダガーの刃が折れ、そのまま勇者の刃は私の左腕の骨の随まで切り裂く。その衝撃で私の身体が吹き飛ばされる。木の幹に叩き付けられ、圧迫された肺により呼吸が一瞬止まる。休む間もなく勇者の剣が振り下ろされる気配を感じ、右へ弾け飛ぶ。勇者の切っ先は空を切り地面へ食い込んだ。左腕に燃え上がるような強烈な痛み。ダガーがなければ腕は繋がっていなかっただろう。しかしだらりと垂れ下がった左腕は神経を切断してしまったのか激痛で動いている反応がわからない。遠く離れた地面に左手から離れ飛んだ折れたダガーの刃先が突き刺さる音がした。
「っぐぅ。ならば名声か?」
更なる追撃を避けるため後ろに数回飛び下がり距離を取る。着地をし膝をついた時の足の衝撃が骨を伝って腕に響き、痛みで意識が一杯になり悲鳴を上げそうになるが、奥歯を折れんばかりに噛み締めてこらえる。側にある仲間の衣服から紐を借り、立ち上がりながら左上腕をきつく縛り止血する。
魔族を倒した勇者ともなれば様々なものを手に入れられるであろう。異性も財産も何人にも生涯を脅かされることはないはずだ。魔族の将軍クラスを相手にしても圧倒的な力なのだからヒトが束になってかかろうとも敵ではない。
「はっ。そんなもの頼まれたって貰ってやらねーよ。」
勇者は短い詠唱と共に剣を振るい風魔法を起こす。激しい風の動きに周囲の木々がざわめき沢山の葉が乱れ散る。視界を覆う多くの葉により魔法攻撃を避けそびれた私の全身を風の刃が深く抉る。ぼたぼたと全身に刻まれた傷口からしたたり落ちる血液。この男、炎魔法だけでなく風魔法も使用できるのか。ヒトの身でありながらなんという能力を秘めているのだ。
先ほどから続く失血からか体の感覚を一瞬失いかける。ぐらりと体が傾いだ気がして、肩幅に広げた足に力を込め、倒れないよう踏みとどまる。
その間に充分に取っていたはずの距離はあっけなく詰められていた。
「ほかの奴らみてーに命乞いしないのか?泣き叫ばないのはお前が初めてだ。」
満身創痍の私にゆっくりと近づく勇者は感心したように問いかける。命乞いをしたところでお前は私を殺すのだろう?
痛いと喚いて敵が倒せるなど非現実的な考えは持ち合わせていない。そんな暇があれば一手でも多くの攻撃に当てた方が時間の無駄にならない。昔からそう考えて鍛練を積んできた。
今は少しでも状況を打破できる可能性を探さなくては。しかし使える手段など片手の数ほどもない。片腕の動かない私に対する皮肉にしては辛辣だな。苦い笑いが喉の奥から漏れる。こんな状況でも笑えるのならば上等だ。
「ありえないな。」
渾身の力を振り絞り勇者の喉元をめがけ我武者羅に突進し右手を振りかぶる。無意識に吼えていた私の声に、勇者はびくりと硬直したものの、私の持つ刃がその首の皮に切り込んだ瞬間、とっさにもう片方の手で剣の鞘を掴み、大きく空いた私の脇腹を殴り体を吹き飛ばした。
「うぐっ」
剣で薙がれていたら、今頃私の下半身は繋がっていなかっただろう。だが鞘とはいえ、全力で叩き付けられた体は踏ん張る力も入らず、何度もバウンドして地面を転がっていく。体内から響く骨の折れる鈍い音。全身の傷口を小石や砂などの砂利が抉る。傷に塩を塗るどころの話ではない。背中の傷を大きめの尖った石で削られ血肉が辺りに散らばっていく。地面に着地した際に太い枝が太ももに突き刺さったようで無残にも足を貫通していた。
もうこれでは立つこともままならない。
「うっ。がぁ、かはっ。」
せり上がる吐瀉物をこらえきれず吐き捨てるも、折れた骨が内臓を傷つけた際に出た大量の血液だった。地面に倒れているはずなのに、ぐらりと視界と平衡感覚が歪む。右手につかんでいるダガーの感覚が遠く、がくがくと力の入らない手の平から離れていく。痛みを訴えていない部位などない。全身にかけていた強化魔法が抜けていく脱力感。
「まぁまぁ強かったよ。」
私の体を跨いだ勇者は自分の喉元の細い傷口から滲む血を袖で乱暴に拭いながら、構えた剣の切っ先を喉元に定める。ご丁寧にこれ以上の反撃や奇襲が出来ないよう右手側にあったダガーは離れた場所へ蹴り飛ばされた。
強かっただと?致命傷にもなり得ない切り傷程度しか付けられない私に対する嫌みか。どこまでもむかつく男だ。
しかし、ここまでか。ふっと自嘲気味な笑みがこぼれた。
「メイリアス、弱い姉さんでごめんな。」
死の間際に浮かぶのは魔王様でなく、愛おしい妹の笑顔だった。ここで私が倒されればメイリアスも殺されてしまうのだろう。すまない。お前を守ると誓い魔王兵に志願し、魔王様の左腕に任命されたのにも関わらず、私の命はここまでのようだ。妹から私の無事を願い送られた小さなネックレスを震える手で握りしめ覚悟を決めて、目を閉じる。
「…。」
「……。」
なぜだ。私の命を奪う衝撃が一向に首へとやってこない。不信に思い目蓋を開けると、剣を構えたまま迷うような瞳をした勇者と目が合った。その表情は自分の感情を押し込められずに歪んでいる。何度も震える口を開き、そしてつぐむ。
一体何だというのか。先ほどまでの情け容赦ない勢いは何処へいった。
万策尽きて覚悟を決めたのだからひと思いに断ち切ってもらわなければ。
「お前、弟妹が…いるのか?」
喉の奥から掠れるように絞り出した声は先ほどまでの彼とはずいぶんと様子が違う。淀みなく振るってきたはずの剣は切っ先を私の喉に狙い澄まし構えたままカタカタと小刻みに震えている。
それがどうしたと言いたいところだが、この状態で悪態をつくのも意味がないので正直に勇者の質問に答える。なんにしろメイリアスの事を考えながら死ねるのなら本望だ。
「メイリアスのことか。幼い頃に両親を亡くした私にとって唯一にして最愛の妹だ。」
魔族の中でも魔力の弱い妹を守るため、辛く過酷な魔王軍へ志願した。女だからという理由で周りからはいびられた。朝早くから夜遅くまで血の滲む鍛錬に励んだ。軍の遠征で大怪我をしても、泣き叫びたくなる痛みを手に爪が食い込むぐらい握りしめて堪えた。血反吐を何度も吐きながら考え得る限り過酷な訓練を繰り返した。
すべては大切な妹の笑顔を守るためだった。
「お前にも妹がいるのか。」
呆然とした勇者の剣が首の横の地面に力なく突き刺さる。今にも泣き出しそうな、苦しそうな表情は、勇者が初めて見せたヒトらしい顔だった。どうやらこの口ぶりでは勇者にも妹がいるらしい。淀みなく敵を切り捨ててきた剣にすがりつくように握りしめる姿は妹を思う兄の顔をしていた。
「シェゼルは、アイツに、監き、いや。捕らえられていて…。」
どうやらシェゼルというのが勇者の妹の名前のようだ。アイツとは一体誰だ?そして、今監禁と言ったか?
ヒトの中には卑怯な手を使い己の欲望を叶えようとする者が沢山いると話に聞いた事があるが、誇張して伝えられているだけだろうと思っていた。
「監禁?お前は家族を人質に取られているのか?ソイツは魔物に魂を売ったのか?人として最低のクズだな。」
予想外の共通点と勇者のこぼした不穏な一言に私が不快を全面に表したことで戦意を喪失したのか、勇者はぽつりぽつりと身の上を話し出した。
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