星の歌

一花

第1話

 見渡す限り雲一つない一面の青い空と砂しかない景色、太陽はもう少し経つと真上に達するだろう。メルという名の少女は砂漠を泳ぐ砂イルカの首に捕まり焦るような気持ちでいた。

 なぜなら、先程まで暴食亭といういかにもな店で食事をオーダーし、今か今かと待ちわびいざ食事が来て食べようとした瞬間町の外で違和感を覚えたのだから。

 メルにとっては食事が冷める前に違和感の理由を確認し急いで帰りたいところだろう。


「もう少し、右側」


 そう砂イルカにメルが声をかけた瞬間砂の山の裂け目から分厚いローブに赤い髪が少しだけ出て倒れているのがわかったのだ。


「ごめんね、お願い。急いで」


 砂イルカの頬を撫でながらメルが頼むと目で見てわかる程明らかに素早さが上がった。

 近寄ると倒れていたのはまだ六歳ほどの子供で、意識を手放してからもう随分経っているように見えた。

 このとき、メルの焦り様は半端ではなかった。それは食事が冷めるからではなく、違和感の理由がいつもならば商人同士の喧嘩などくだらないもので、下手をすれば動物同士の喧嘩だってあるのに死にかけの子供が倒れていた。

 そんなこと今まで一度もなかったのにと。


「どうすれば……?」


 砂イルカが立ち尽くすメルに声をかけるように鳴き上げ、ローブをまとった赤い髪の子を頭の上に乗せようとする。が、乗せようとしている面積が小さ過ぎてうまく乗らない。


「そう、だね。ありがと。まず、私ができることをしないとね」


 メルはそう言うと、恐らく脱水症状で倒れていたと見られるその子のことを思い切り抱き締めた後、砂イルカの背に俯せで乗せその子を抑えるように跨って乗り町へと急いで帰るのだった。



 その赤髪に黒いチョーカーをつけたテレサという名の子供が気づいたとき、まず初めに思ったのは生きているという事だった。

 次に思ったのは、ここはどこだろうという疑問だった。

 石を切り出して積み上げただけの四角い部屋。

 窓や入口から男が覗いているのが見えるからだろう。

 せめて何かしらの目隠しなどしたらいいのにと思っても仕方が無いことだった。

 それともそういうことに全く無頓着なのかと思いつつ、テレサが横になっている布団に座りテーブルの上に両腕を枕にして寝ているメル、その銀髪ロングの髪にブルーの綺麗な目と目が丁度合ってしまう。


「もう、具合は大丈夫?」


 目が覚めぼぅっとしている様子だったテレサにメルが声をかける。


「大丈夫、です。あの、目隠しとかはしないんですか?」


 テレサは自分で言ってから、恐らく自分のことを助けてくれたであろう人にいきなり訳のわからないことを言ってしまったと少し後悔した。


「え? あぁ、そういえばそうだよね」


 窓と入口の上にある紐を引っ張ると一定の間隔で並んだ薄く細い木の板が音を立てて勢いよく落ちてきた。

 そして同時に、男共の嘆きの声も。


「私は余り気にしないんだけど一応女の子だもんね」

「あ、いや、頭がぼんやりしちゃって、すいません」

「気にしないで、あんな所で倒れてたんだから」


 そのメルの言葉によりテレサのぼんやりとしていた記憶が徐々に蘇ってくる。


「やっぱりあなたが助けてくれたんですか?」

「あなたじゃなくてメルね。みんなそう呼ぶし」


 そう言いながらメルはテレサの両頬に両手を伸ばし、思い切り親指と人差し指で挟んだ。


「痛い、痛い、何するんですかっ」

「話し方が気持ち悪い」

「は?」


 その余りにも一方的な言葉にテレサは面食らってしまう。


「もし次私いえ、この町の誰かにその話し方で話したら今の倍の痛さで頬をつねるから」

「理不尽だっ」

「そう、その調子。それで名前は?」

「テレサ……」

「ふーん、テレサか。具合は大丈夫そうね。出かけるわよ、テレサ」


 メルとテレサが二人で家から出てくるとき入口に群がっている男たちの会話が不意にテレサの耳に入った。

 それはメルが無理しているという内容で、いい意味ではないのだろうが男たちはニタニタしながらそれを話すので何となく嫌な感じだとテレサは思ったのだった



 太陽はもはや真上を過ぎてからしばらく経ちさらにしばらくすると地平線の彼方へとその輪郭をつけるだろうという頃。

 メルはテレサの手を引きながら行きつけの定食屋へと向かっていた。

 そんな中テレサはやけに人の目を引くなと思っていた。


「あの、何で白いワンピースしかきてない、の? 普通ローブとか羽織らないと肌を火傷しちゃうんじゃ……」

「んー、あぁローブね。あんなの着てたら中から蒸し焼きになっちゃうよ」


 テレサは人目を引く理由に思い当たったが、当の本人はあっけらかんとした感じで気にした様子はない。

 まあどうでもいいかとテレサはメルに手を引かれていくのだった。



 その暴食亭という文字が楕円の木の板に書かれた看板が紐でつるされただけという料理屋はメルの行きつけの店だった。

 先程メルがテレサを助けに行った時も恐らくすぐは戻ってこれまいという考えから、メルの食事をその場の客に振る舞ったのも店主の優しさの一つであった。

 最もいつもならばすぐにその場に帰ってきて静かに感情をあらわにするのだが、今日に限っては本当にテレサの面倒を見ていたので店主の判断は正しかったといえる。


「……そう、じゃあやっぱり、親子三人と護衛何人かで、あの砂漠を渡ってたのね」

「う、ん」


 そう恐る恐る答えたテレサの頬は今までの経緯を思い出し話しただけで赤く腫れていた。


「ごめんね。テレサしか助けられなくて」

「初めから、お父さんとお母さんは盗賊から私を逃がす時にもう……」

「そっか……」

「「……」」

「おまちどおさまっ」


 そう言ってただ豚を焼いただけではないかという見た目の料理をテーブルの上に置いた後、二人の様子を見るに見かねたのかゆっくりと戻ってくる。


「なぁんか知らんがしんみりしてるな。やなことなんか旨いもん食って全部忘れた方がいいぞっ」


 そう言うと言ってやったぜという感じで肩を揺らしながら帰っていく。


「だって、食べようか?」


 その肩を揺らしながら帰っていった店主が他の客からタコ殴りに合っているのでテレサは、止めなくていいのだろうかと思いメルの返事に一瞬詰まってしまった。


「う、うん」


 しかし先程メルの家の入口に居たのと同じ人たちということに気づき、そういう間柄なのだろうと勝手に納得したのだった。


「けどなんで、テレサたちは襲われたのかな?」

「あぁ多分それは、たまたまじゃないかな」

「たまたま?」

「よくわからないけど、あの人達魔女が住む町を探してたみたいだから」


 それを聞いた瞬間メルの顔が青ざめる。


「テレサ、もしその話が本当なら……」


 青ざめたメルは恐る恐るといった感じでゆっくりと一言一言を話して行った。


「……ふざけるなっ!」


 暴食亭にはテレサの叫び声が響いた。

 しんと静まり返る店内に「ごめんね」というメルの小さな呟きだけが響き、そのまま外へと走り出して行った。


「おい」


 メルが駆け出した後のテレサに声を掛けたのは暴食亭の主人とメルの家の入口近くにいた男共だった。



 メルはいろいろな感情が混ざりながら町の入口の方へと走っていた。

 本当ならば逃げ出してしまいたい気持ちさえあったが、テレサの話が本当だとしたら盗賊はこの町のすぐ近くにいる、そしてまた新たな犠牲者が生まれてしまうかもしれないという思いがその感情を否定した。


「テレサ、ごめん」


 と、暴食亭で呟いた言葉を再びなぞるように言うと、親指と人差し指で輪を作るようにして口にくわえ甲高い音を鳴らした。

 そのまま町の外に出るとメルのことを待っていた砂イルカの背中へと勢いよく飛び乗った。

 


 それよりも少しだけ前、テレサはガタイの良い男共に囲まれ「何メルちゃん泣かしてんだよっ」、「受けた恩を仇で返しやがって」等の罵声を浴びせられ半泣きになっていた。

 それは傍から見ると六歳になるだろうかという幼女をいい年した男が集団で罵るという異様な光景だった。

 それを見かねた暴食亭の奥さんはフライパンを持ちテレサを囲んでいた男達に近づくと、自分の主人を含めもぐら叩きの要領でフライパンをテンポよく振り下ろした。


「やめないかっ、大の男がみっともないっ。いくらメルが可愛いからってこんな小さな子に。それと、テレサだっけ? あんたもあの子に助けてもらったっていうのに何であんなこと言ったの?」

「……あいつ、メルが言ったんだ。テレサの両親が死んだのは私のせいだって」


 テレサはその一方的ではない暴食亭の奥さんの物言いに落ち着きを取り戻し、先程メルに言われた言葉を震える声で言う。



 太陽の輪郭が地平線につき始めた頃。

 それを背景に勢いよく砂埃をたてながらメルの元へと向かってくる者達がいた。

 それを目にしたメルは内心あぁやっぱりかと思い同時に陰鬱な気持ちになった。


「ありがと、行っていいよ」


 しかしそう告げても離れようとしない砂イルカに対しいつものように頬を撫でながらお願いする。

 渋々といった様子でメルの元を反対側の空、ゆっくりと紺色がにじむ様に広がっていく方向へと離れていく。

 そして三台の砂上バイクが近づいてくる。

 値踏みをするようなその視線は決して良い感情ではないだろうということはわかった。

 メルを囲み円状に走っていたそれはゆっくりと止まり話しかける。


「おい、お前、あーなんでこんな所に……いゃ、まぁいいか。この辺に魔女が住む町があるらしいんだがお前は何か知らないか? というか、本当にこの辺なのか?町なんかかけらも見当たらないんだが」

 

 その盗賊団の男達は白のワンピース一枚で砂漠の真ん中に立つメルに対して訝しげな感情を持ちつつ、貴重な情報元ということからささいなことには目をつぶり、先に情報を引き出そうという考えだった。


「見つかるわけない。あなた達みたいのに見つからないように私が結界を作ったんだから」


 それは紛れもなくメル自身の結界のせいで盗賊とテレサが出会い、そしてその両親が殺されてしまったという事実に他ならなかった。



「でもメルはこの村を守ろうとしてその結界を作ったんだ。悪意に反応して強すぎる悪意は村に入れなくなるなる結界をね。お父さんとお母さんは運が悪かったけど……」


 幼いテレサに諭すように暴食亭の奥さんは言う。


「運が悪い? そんなので納得できるはずないっ。それに結界だってこの村じゃなくてあいつが自分を守ってるだけじゃないかっ。そう、盗賊に襲われるのだってほんとはあいつが襲われていればよかったん……」


 頬を叩くパンッという短い音が店内に響く。

 テレサの扱いを任せゆっくりと食事をしながら見守っていた男達は先程の言葉を思い出しそんな小さい子を叩いちゃうのかよと半開きの口で呆気にとられていた。


「メルは、あの子は人一倍悪意が苦手なんだ。それでも何か感じとればいつだって

確認しに行くしテレサ、あんたもそんなあの子に助けられたんだろ?」

「悪意が苦手って、初対面でいきなり人の頬をつねるような奴が?」


頬を擦りながらその評価に偽りありと憎らしげにテレサが返す。


「まぁ確かにメルちゃんぽく無かったしな」

「無理してたよな」


 しかしそんなテレサのセリフに周りの男達はニヤニヤと、人によっては我慢できずに笑いながらまるでいい酒の肴かのように楽しげに口々に同じようなことをいう。

 その様子に疑問符がテレサの頭上に浮かんでいるのがわかったのか暴食亭の奥さんはそれに答えようとする。


「つまりね、メルは本来あんな性格じゃないんだよ。口数はもっと少ないし、表情もどちらかというと何を考えているのかわからない方だし」

「でも、何で? あんなに明るかったのに……」

「そんなの決まってると思うけどね。……あんたとの距離を早く縮めたかったんだろうさ。まぁ、それを邪魔しないって約束を初めに立てときながら一番初めに破るアホがそこにいるけど」


 そう言いながら自分の亭主を流し目で睨む。


「え、でも、それこそなんで……」


 溜息を一つ吐き幼いテレサにゆっくりと説明する。


「……この町は平和ではあるけれど裕福ではないからね。普通子供が砂漠のど真ん中にいたら、両親がどうなってるかなんて察してしまうものだし。メルがあんたを背負ってこの町に帰ってきた時私達になんて紹介したと思う?」

「……」


 わからないという意を込めて俯きながらテレサは首を横に数回振る。


「メルはね『私の妹です、これからよろしくお願いします』そう言ってあなたを私達に紹介したんだよ」



「は? 今、お前が作ったって言ったか?」

「えぇ」


 その結界を自分で作ったかという問いに短い返事で答える。

 そのイコール魔女は私だという返事に盗賊たちは素直に喜ぶことができなかった。

 なぜならその魔女がここに立っていたということは、何かしらの考えがあり待ち伏せしていたということなのだからと盗賊達はそろって喉を鳴らし身構える。


「まぁ本物の魔女ってことは認めてやるよ、普通の人間がそんな恰好でこんな場所いれるわけないからな」

「私、あなた達に殺してもらいたいの」


 しかし身構えていた盗賊達に聞こえてきたのは願ってもない申し出だった。

 ただそれを手放しで喜べる程この者たちも間抜けではなく、当たり前の様に何かしらの罠かと考えるのだった。


「……意味が、分からねぇな。魔女の血を飲めば不老不死になると言われ高く売れるっ。奴隷なら十倍だっ。そんな貴重な種族が自分から殺してくれってのは解せねぇな」

「私、もう疲れたの。本当はあなた達みたいな人が町に入れずうろついている時に、行商人さんと出会って被害に遭っていることも知っていたの」

「それは運がいい奴等だ。さっきの俺らは護衛が付いてたわりに大した収穫はなかったからな」


 その大して悪びれもせず楽しげに言う様子にメルが鋭い目つきで睨み講義するとそれに気圧されたのか盗賊達の笑顔は消えた。


「そう、そんなあなた達みたいな人に、今日みたいに私のせいで被害に遭う人がこれからも増えてくのが嫌なのっ、だから私を殺して……そして一つだけお願い、この町の魔女は死んだということを他の国や町にも広めてっ」


 盗賊のリーダーらしき男はそのメルの言葉を聞くと煙草に火をつけゆっくりとそれを持った左手を口元へと近づける。

 そして右太ももに手を伸ばし愛用のナイフを取り出すとそのままメルの首筋にあてがうと、顔に当てるように勢いよく煙草の煙をふかし一つの質問をする。


「なんで俺達なんだ? お前のその願いを叶えてくれる奴は町にいないのか?」

「それは、私が死ぬと結界が消えてしまうから……、本当はあなた達に殺されるのも嫌だけど今私が自分で死んだらあなた達が町に来てしまうでしょ?」


 頼めば誰かしらお前のことを殺す奴なんかいくらでもいるだろうという質問に対し、はなから自分が死ぬことしか考えていないメルに苛立ちを覚えたのか、舌打ちを一つするとまだ吸い始めたばかりの煙草を吐きだし足で踏みにじる。

 それは今までの自分が過ごしてきた国や町との治安の差にそのメルの台詞から気付いてしまったからだろう。


「つまらねぇ町だ」


 吐き捨てるように男は言いナイフ越しに首筋から力が加わるのがメルに伝わる。

 メルは男の質問を思い返しあの町にも一人だけ私の願いを叶えてくれそうな子がいたなと思い出す。


「さよなら、テレサ」

「……」

「え?」


 死を覚悟しテレサに別れを告げたメルに微かに聞こえてきたそれについ反応してしまう。


「どうした?」

「あ、気のせい、だったから」


 訝しがる男達に何でもないと返事をする。

 太陽は地平線の底に沈みかけ既に星々は瞬いている。

 そんな中完全な夜の向こう側から不自然に明滅し近づいてくるものがあった。


「メ……ル……」


 凄まじい砂埃とライトのせいで否が応でも気付いてしまいそうなそれらは、暴食亭の奥さんの話を聞いた後急いで店を飛び出し、町の入り口にいた砂イルカに乗ってきたテレサの一刻も早くメルに会いたいという気持の表れであり、そして確かに確実にテレサの声はメルに届いたのだった。


「ごめんなさい、さっきまでの話やっぱりなしで」

「あ?」

「私、妹の為にもう少し生きたいから」


 そう言うとメルは自分の胸の前で両手を組む。


「ふざけ……」

「妹とこの町、そしてあなた達のために……星の歌を」


 メルが祈るように歌い出すと空に浮かぶ星々は駆け出すように動き出し、盗賊達は三人共硬直してしまった。

 それは正に永遠に降る星の雨のようだった。



それからしばらく経ちメルは暴食亭のカウンターで注文もせずにテーブルに俯せになり足を一定の間隔で左右に振っていた。


「仕方ねえんじゃねぇか? お姫様だったんだろ?」

「……うん」


 そう、テレサはあの後隣国の姫という事が分かり元の国へと戻ったのだった。


「あ、ほらあいつらもよく働いてるよな。あの元盗賊の」


 それは別の話で気を逸らそうという考えだったのだが。


「あぁ、うん。私の歌は悪意とか穢れを雪ぐから。それでテレサが、テレサが納得したかはわからないけど」


 あまりうまくはいかなかったようだ。

 しかして今日も暴食亭の看板は揺れる。

 その赤髪の子がまた会いに来たよと。

 気付くのに一瞬遅れたメルはいつもより大げさに出迎え、そのいつも涼しげだった首元には黒いチョーカーが映えていた。


「お帰りっ、テレサっ」

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星の歌 一花 @itika_1590

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