叩くと喋る孫は死んだ

 今日は朝からすこぶる調子がよく、そんなことは人生の中でもそう何度もあることではなく、朝食をたくさん食べ、苔とメダカの様子を見て、すべてのカーテンを開け筋トレをし、そうして朝からもりもりと文章を書いた。


 昼を迎える前に完全に集中力は切れたが、思いの外作業は進んだし、なにより文章が書けたので私はとても気分が良かった。昼に鯵の塩焼きを食べられたのもよかった。きっと午後にもたくさん作業が出来るだろうと思ったし、そのためには一眠りの休憩が必要だと思うと、なんだかどうしようもなく生きているのが楽しかった。


 インターホンがなって、出ると老婦人が立っていた。


 背の低い、見慣れない、金の指輪を2個、金のブレスレットを1個つけた老婦人だった。老婦人は私を見てひどく戸惑った風に自分の名字を名乗った。私は仕事の時の笑顔で、仕事の用の言葉使いで少し待つように伝え、母を呼びに家に戻った。


「あんなに大きくなって!」


 玄関の向こうから老婦人の声が聞こえた。私はどこか、その名字に聞き覚えがあるような気がしたが確信が持てなかった。母にその名字を伝えると一度怪訝そうな顔をしたが、玄関を開けて姿を確認すると大きな歓声を上げて老婦人の来訪を喜んだ。


 私はやはりその名字に聞き覚えがあるような気がしたが、玄関口での大きな声に脳が傷つくのを強く感じ、なぜだかわからないが指の先を洗った。汚れていない指が、ただしっとりと濡れて返ってきた。


 母は片目を失明しているために、黒い目玉のついたコンタクトをつけるから、老婦人を居間に案内するよう私に申し付けた。それをとても困難な事業だと思ったが、そのことをどう伝えればよいのか分からず、私はふらふら玄関へ戻り、仕事用の笑顔を作ることは失礼なような気がして、曖昧な、笑えていない顔を向け、中に入るようにというようなことを言ったと思う。


 居間に入ると老婦人は私の顔をまじまじと眺め、姉の名で私を呼んだ。正しくは姉の名前をした子で間違いないかと聞いた。私は自分の名を名乗った。すると突然、老婦人は強い力で私を抱きしめた。


 こんなに大きくなって、と老婦人は先程と同じことを言いながら、ものすごい強い力で、私の胴の辺りをいつまでも抱きしめていた。老婦人の頭は私の胸元くらいまでしかなく、それは抱きしめているというよりは捕まっていると言ったほうがよいような気がした。皺の上に金色の指輪が乗っている老婦人の指を見ながら、私は人の好意による抱きしめる力が、自分の胴に加わっていることを感じ、ひどく、気が遠くなった。


 涙が出そうだ、と言いながら実際老婦人は泣いていた。


 あんなに小さかった子がこんなに大きくなって、といい、何度も何度も私のことを姉だと思ったことを母に伝えた。そうして振り返ると老紳士が立っており、老婦人は彼にもまた私のことを姉だと思ったことを伝えた。


 老紳士は私の顔を見て、実に父親に似ているというようなことを言った。私は父親の顔を写真でしか覚えていないし、家の中に男性がいるということに強い緊張を覚えていたので、ふらふらと揺れて(喜びを表す手段がその他に思いつかなかった)子供に見えるように笑ってみせた。


 大きくなって、と言ってやはり老婦人は何度も私の体に触れ、さすり、会えてうれしいというようなことを言った。小さい私を背負って言った動物園や、ぶどう狩りや、その他の私の知らない思い出をたくさん語った。


 老夫婦はもう80をとうに越えているというが、とてもそうは思えなかった。髪は黒く、肌ツヤがよく、なにより老婦人は金色の指輪をしていた。私にとって金色の指輪は過去への憧憬やそれに似た情感めいたものの象徴であって、それは母と一緒に私を育ててくれた伯母が、別れた夫にもらった指輪をずっとつけていたからだった。


 つまり夫がまだ横にいて金の指輪をつけているこの老婦人は、憧憬やそれに似た情感めいたものとは真逆のものを抱いているに違いないのだ。それが未来への期待であるのか、来し方への充足感なのか、私には想像が出来なかった。


 私は、伯母の指にある金の指輪のことしか知らないのだ。


 居間で母と四人で卓を囲みながら、ずっと子供のふりをしていた。実際に思い出話には私の入る余地はなく、三十年ぶりに会ったというこの老夫婦に対して、当時非常に幼かった私は、肉感としての感情を持ち得ないでいた。


 ただ、相手が私に会えたことを涙を流しながら喜び、何度も何度も会えて嬉しいと言うことに対して、喜んでいるということを強く伝えなければいけないと思った。話を聞いているという顔をちゃんと出来ているかどうか、本当にちゃんと話を聞いているのに私は不安で仕方がなかった。


 老婦人には孫がおらず、叩くと喋る人形が家にいると話していた。


 三人の名前はケンイチとかヨリコとかマサトとか、なにかよくありそうな名前だったがしかし、太郎とか花子とかポチとか、そういった紛い物めいた響きではなく、そのことについて私はどう思うべきがよく分からなかった。


 それは、その出来事自体の良し悪しということではなく、彼らが、私がどう思えば喜ぶのかどうかが分からなかった、という意味だ。でも、そんなことは考えても仕様のないことだった。内面でどう感じていようが、外に向けて違わず表現できなければ意味がないし、そんなことは人間には不可能に違いない。


 そのうちの1体、ヒロシだかサトルだか、男性の響きをした人形はもう叩いても喋らないという。家電屋に持っていったがもう直らないと言われた、とも言っていた。


「もう死んでるね、ありゃあ」


 そういって老婦人が大きく笑ったので、私はやっと笑うことが出来た。私が笑うと老婦人も嬉しそうだった。でもユウトだかマナブだか、死んでしまった喋る人形のことを考えると、本当のところ私は悲しくて仕方がないような気がした。でも、老婦人が死んでしまった人形を捨てるとは思わなかったので、きっとヒカルだかヨウジだかにとっては幸福な一生であっただろう。これからもその幸福が続くのかもしれない。彼は人形なので、死んだ前と死んだ後で状態だって変わらない。


 それはとても長い間の出来事のように思ったが、老夫婦が座について立ち上がるまで、本当のところは一時間もなかったようだった。昔よく遊びに連れて行ってもらった、恐らくはかなり深い場所で我が家とかかわり合いのある老婦人は、ある日突然何も言わずに私の住んでいる街から消え、三十年の時を経て今日、再び我が家に姿を表したのだったが、母も老婦人も、そんな空白の時間のことはまったく気に留めていないようだった。


 私はその三十年の間に自我が目覚め、さまざまな人間体験をし、一通りの哲学的煩悶を終え、楽観と悲観の区別がつかなくなった。毎日がとても楽しく、毎日がとても悲しい。でもそれだって、この老婦人には全く関係のないことだ。


 最後にもう一度、老婦人は私のことを姉だと思ったと言ってから、また強く私を抱きしめた。私はどうにかしてそのことを喜ぼうとしたが、胴に加わる力はひどく強く、それでいて大変に弱く、まさに老人の力であることが恐ろしかった。どうにかして、喜んでいることを伝えるために懸命に笑ったが、笑っている顔に見えているかどうかは分からなかった。ただ、会えて嬉しいと言葉に出来たことは、奇跡的な出来事だった。言葉が外に出なければ、思っていないのと同じだから。


 また来るといって、老夫婦は去っていった。


 外まで見送って、家に戻り、私は横になった。まだ昼だったが、夜になるまで横になっていることしかできなかった。ベッドの中でもまだ、私は老夫婦が訪ねてきてくれたことを自分がどれだけ喜んでいるか、どうやって伝えればよいのかを考えていた。


 しかし、実際には私はひどく疲れていて、一日の半分を失ったことを残念にさえ思っているのだった。その事実が、私には耐え難く悲しく、実際に耐えられなかったので意識を失うことにした。


 短い怖い夢を見て、今起きたところ。

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