みんな獣~植木鉢たくさん置いてるよ園芸店に行ったんだよ~

 なんにもいいと思えない。


 久しぶりに長患いをして、いや、そういえば去年もこのあたりに患っていたよなと思った。去年の事件も恐ろしかったし、今年のことも悲しいとか苦しいとか辛いとか淋しいとかそんな言葉で表すのはとても嫌で、とにもかくにもどうしようもない。


 誰かが自然にしろ不自然にしろ(そもそも不自然というのだってどの立場から言っているのか分からない。死んだのだから自然だ)人間が死ぬことは絶対だと分かっている。まして私はその人に会ったことがないのだから、こんなにも狼狽えてしまう権利はない。でも視界が塞がるし、肺がへこむ。背中に根が生えて起き上がれない。


 こんなに尊いものが永遠に失われるなんて信じられない、と優しい友達が言っていて、私は、永遠に失われたという事態をはじめて知って驚いてしまった。死んだらそれは永遠に失われてしまう。そんなことは、私はよく考えいなかったように思う。永遠に戻ってこないということがどういうことか分からない。死んだ瞬間に、続きがなくなるというのは、どうも、なにかが。


 何も書きたいことがないので、何も書くことがない。


 ともかく、情報の取り入れ方が悪かった。もともと季節の変わり目で調子もよくなかったんだろうけれど、ついったーというものは「えっ?」とか「うそ」とかいう一文字だけでが流れてきたりして、私のようなメンタルへらへら精神衰弱野郎にはたいへんに危険な装置だ。年々パニックがひどくなっているような気がする。なぜなのだろう。人間は生きていくたびに鈍く強くなるものかと思っていたけれど。


 いや、鈍くはなっている気がする。あと弱くもなっている。以前はもっと鋭く精神が衰弱していたので、触れるものみなに傷つく尖った灰色の病み方をしていたけれど、最近では鈍く定着して心身が耗弱しているので、だからまぁ、すべてはタイミングという話になるのでしょう。


 しばらく患っていて、ふわふわしたり、ぬるぬるしたり、なんかそういう擬音のような暮らしをしていたのだけれど、最近、うちから車がいなくなったので、車のいた場所を花壇にするとかなんだかで、ドンドコどろどろ庭からいろんな音がしている。


 土が増えるのはいいし、植物が増えるのもいい。でもやっぱり心神耗弱状態なので、植物を育てるという人間の行為の浅ましさを考えたりして、太宰を読んで心を慰めたりなどしていた。


 元気なときには浅ましさこそ人間だよ!と私の中の私が言ってくれるが、もう私の中に臥せっていない私が一人もいない。なんなら外側の私が一番元気なので「なあ、そうだよな、みんな、、、、」と語りかけるけど、誰も答えてくれない。全員獣になって腹を地面につけて唸っている。


 少し元気になってというか、外側のわたしは健気にもバイトに行ったりなどして、バイト先で転売屋が尊い人間が永遠に失われたのを食い物にしようと群がっていて、労働しにいくたびに獣度をあげて帰っていたのだけれど、最近はまぁまぁ元気になりまして、このまえ「植木鉢たくさん置いてるよ園芸店」みたいなところにいったのである。


 植木鉢たくさん置いてるよ園芸店は、なんだか物語の中の場所みたいで、客は私しかいなくて白髪の雰囲気の柔らかいお姉さんが奥に座っていて、びっくりするくらい無造作に植木鉢と植木鉢にしたらいい感じなる鳥かごとか、実験罎みたいのとか、土偶?みたいな何かとかが、雨ざらしにされてあった。


 屋外では見渡す限りの植物が、みんなほぼ野生化していて、ヒメリンゴのポットの中にどっかから飛んできたシダがわしゃわしゃ生えていたり、みたことのない大きなクマンバチのようなクマ、ちがった、クマンバチだ。クマのようなハチと混じってしまった。が、わいわい飛んでいたり、奥のいちじくかな? なんかもう誰にも買わす気がないよね、っていうお化けみたいな葉っぱの植物に十個くらい蜘蛛の巣が張っていたりした。そのお化け葉っぱゾーンの手前に何千個もの植木鉢があって、わかんない、数えてないからわからないけど、小学生だったら無量大数って言うだろうな、っていうくらいのたくさんの植木鉢があって、なんか、魔法使いが片手間で開いている店みたいだった。


 そこで鳥かごを買って帰った。あと帰りに睡蓮鉢の横でニホンカナヘビに会った。


 鳥かごに植物を入れるのはすごく嫌らしいなと思ったけれど、元気になり始めていたので、まぁいずれ何かを入れようと24時間くらい家に空っぽの鳥かごを置いていた。で次の日にはもっと元気になっていたので、また植木鉢たくさん置いてるよ園芸店に出向いた。白髪の女性があやしい挙動のまた来た私にも「こんにちわ」と言ってくれたので「こんにちわ」とちゃんと返した。レジの前に見たことのない実をつけた見たことない形状の植物が置いてあったけど緊張してよく見れなかった。


 無造作に地面に置いてあった、土とガラスが組み合わされたメダカ水槽?みたいなものが、めちゃくちゃに形状がおしゃれで、どうやってそうなっているのか私には分からず、しゃがみこんで中を覗きこんだら小さい白いうねうねが中でたくさんうねうねしていたのでびっくりしてすぐ立ち上がった。メダカはいませんでした。


 無量大数の植木鉢を物色したら、小学五年生が夏休みに大作に挑戦したみたいな出来の、大きな瓶に河童のような何者かが寄りかかっている植木鉢(そうは見えなかったが植木鉢たくさん置いてるよ園芸店にあったから植木鉢なのだろう)がすごく気に入って高いのかしら?と思って、下にはってある値札を確認しようと手に取ったけど、びくりとも動かなかった。おどろいた。ものすごく重かった。私は普段文庫本が三百冊くらい入っているダンボールをわいわい持ち上げたりなどするバイトに従事しているけれど、それより重かった。でもそんなことがあるだろうか。新物質を使って作られているのかもしれない。あの体積であの重さにはならないと思う。怖いので持ち上げるのをやめた。


 植木鉢の向こう側で80年代サンリオファリミーをパクった文房具にいそうなヌルっとした犬がずっとこちらを見ていて奇妙だった。絵ならかわいいのかもしれないけれど、質量のある土くれの塊になるとなんかこわい。


 長いこと植木鉢と植物を見て、結局クランベリーと溶岩石を6個かった。溶岩石はすごく軽いのでなんだか持っていないみたいだ。ポイントカードをもらったので、また行きたいと思う。ポイントためたら年末のおたのしみ抽選会に参加出来るって書いてあった。選ばれた人間にしか使い方が分からない魔法道具があたるかもしれない。


 そんなこんなで今はだいぶ元気になってきていて、日々を過ごしているような気がする。でも昨今バイト先でも不安定な人が増えてきていて、なんだか世紀末めいている。今日は三回も怒鳴られたので、心臓ポンプのタイミングがずっとずれている。業務の改善なくして残業を減らすことは出来ない、と幹部の人たちが言っていたので、そうだそうだーと後ろから言うやつをやってきた。


 あと後輩ちゃんに「10万円でパソコン買おうと思うんだけど!」って元気に言ったら真剣に「10万円は一回しか支給されてないんですよ。何回10万円使うつもりなんですか」って言われたので、今週末くらいに買えればいいなと思う。どうかな。みんな応援してくれよな。


 ついったーにもそろそろ帰れるような気がするな。そういえば7月締め切りの原稿は割と直前で文字数オーバーしていることに気づいて、延々に文字数削ってなんとか出したよ。一生間違うな。私には数字がどういう風に存在しているのか、その見当もつかないんだ。


 本当は7月末に2個仕上がるはずだったけれど、全然仕上がる気配がねえよな。びっくりだぜ。そんなこんなで私は元気に過ごしています。今日の日記おわり。

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